最近おもしろい動画を見つけました。こちらです↓
中国歴史地図です。中国と周辺の国の詳しい変遷がはっきり見れて、
時代ドラマへの理解にも役立てると思います。
地図と合わせながら、「美人心計~一人の妃と二人の皇帝」、「後宮の涙」、「二人の王女」、
「織姫の祈り」、「傾城の雪」、「宮廷女官ジャクギ」、「宮廷の諍い女」を説明したいと思います。
まぁ、歴史学科出身じゃないので、間違ったところがあったら指摘してくだいさいね。(⌒・⌒)ゞ
1、「美人心計~一人の妃と二人の皇帝」
時は漢王朝、劉邦が天下を統一した。
紀元前196年、代で起こった反乱を治め、劉邦は幼い劉恒を代王と封じ、その土地を与えた。
ドラマのはじめに、呂皇后の迫害から逃れるために、薄姫が顔を傷つけ、
息子を代国へ連れて行くシーンがありました。
その代国はこちらにあります↓
恵帝(劉盈)死後、自分の権力と地位を確保するために、
呂皇后は劉邦の息子を次々と殺害したが、
都から離れるためか、劉恒は迫害を受けず、後に漢文帝となった。
当時、諸侯王の勢力が膨らみ、中央政府の命令を聞かない者が多かった。
紀元前157年、文帝薨去、景帝即位。
ドラマでは、この人です↓
彼は、諸侯王の力を押さえ込むため、諸侯の領地を削ったが、
それが引き金に、呉王劉濞をはじめ、楚、趙など、合わせて七人の諸侯王が反乱を起こした。
それが「呉楚七国の乱」でした↓。
呉の領土はけっこう広かったですね。
その反乱を治めたのが、周亜夫です↓
ドラマの最後、劉徹(幼名:劉彘)が即位し、漪房が太皇太后になった。
劉徹は漢武帝です。彼の統治より、漢王朝は全盛期を迎えた。
こちらが武帝時代の地図です↓
文帝や景帝の時代よりかなり大きくなりましたね。
特に、それまで大きな脅威であった匈奴を打ち破った功績がすごかった。
2、「後宮の涙」
第14話の話では、陸貞は北魏の馮太后が愛用した鳳冠を婁太后に献げた。
北魏は鮮卑族の王朝の中でもっとも強かった、
そして、北斎の国土の大半が北魏からもらったとも説明した。
この北魏とは、これです↓
南のは梁国。蕭喚雲の母国です。
ちなみに、北は高湛の祖父がいる柔然、西は都美兒のふるさと土谷渾。
534年、北魏は東魏と西魏に分裂した↓
東魏は後に北斎となったのです。
その後、北斎と西魏は力を合わせ、梁の国土をじわじわ侵食していく。
こちらが紀元556年の梁↓
560年、つまり高演が即位する年になると、こんな状態になりました↓
後梁といっても、実質上は北周の附属国だった。
国土のほとんどは陳霸先(もと梁の軍人)に乗っ取られ、陳国となったのです。
ちなみに、同年(560年)、宇文邕が即位。ドラマ「蘭陵王」の時代となります。
573年、高長恭が亡くなった。当時の地図はこちら↓
わずか4年後↓
北斎が滅んだ。
北周の軍事力が強いのも一つの原因だけど、
実際、当時北斎皇室は腐りきった状態でした。滅ばなかったら逆におかしいわ。 (_ _||)
3、「二人の王女」
唐の時代、太宗皇帝死後、武則天が即位し、国号を周とした。
当時の領土を全盛期の唐と比べれば分るが↓、
当時唐の強敵は突厥と吐蕃でした。
吐蕃から太平公主の降嫁を願う申し出があったが、武則天はそれを許さなかった。
まぁ、もし許したら、吐蕃との仲はすこし良くなるかもしれません。
705年、武則天退位、李顕即位。国号はまた唐になりました↓
李顕死後、李隆基即位。
ドラマはここで終ったが、その後の話というと、
地図を見てもわかるとおり、吐蕃、突厥と大食との領土戦です。
唐の晩期の地図を見ると、西の領土が吐蕃の統治下に入った↓
ちなみに、袁弘さんはドラマで突厥親王アジェナスムを演じましたね。
その突厥は回紇によって滅ぼされました。
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思ったより話が長くなりました、残ったドラマの説明は次の記事にしましょう (⌒・⌒)ゞ