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お楽しみぶろぐ

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戦争を考える

2006-08-11 | 医療・健康・危機一髪

▲春、自衛隊の記念祭で撮影した画像。
これも武器。

二度と戦争を起こさない、参加しない。
過去をもっと知ることからはじめないと。

原爆の予定地が数箇所あったという話を聞いたのが、
かなり昔の授業で。

広島・長崎・小倉・新潟・横浜・京都。

京都は「新型爆弾」の威力を計るために、空襲を禁止して、
落としたあとがどのように変化するかをみる候補地になっていたとか。
現存する歴史的な文化遺産を守るために、
京都を空襲しなかったという説を鵜呑みにしていたので、
事実を知った時に愕然とした。

更に、「戦争を終わらせるために原爆を投下した」のではなく、
アメリカは戦争が末期になっている事実を把握して、
その上で「原爆実験」として投下した文書が公表されている。
長崎と広島では別のタイプの原爆を使用。
その後、軍事基地や製造工場がある地域に、
試験的な爆弾が投下されて、威力のデータを集めていたとか。

同盟国のドイツやイタリアに原爆を落とさなかったのは、
アメリカ人研究者の中に「白人至上主義者」がいたからという説も。
黄色人種は人間では無いので、実験しても問題無いということらしい。

広島に落とされた原爆の被害は、
半径2キロ以内を焼き尽くして、犠牲者は14万人以上。
1発の爆弾がこれほどの威力があるのに、
現在ではその数十倍の爆弾が作られてしまう。

宇都宮でも昭和20年7月12日午後11時過ぎ、
B29が133機飛来して、焼夷弾の爆撃を遂行。
空襲によって街の大半が壊滅した。

ある人が、「人間は地球に巣くうガン」だと言った。
良性もあれば悪性もある。
悪性になる可能性を秘めて生存しているのだと。

私の世代ですでに戦争は過去の出来事という感覚。
両親も戦時中は子供で、徴兵される年代まで達していなかった。
「食べ物が無かった」とか、
「竹槍の訓練をさせられた」とか、
記憶の片隅にあるだけ。
親や親戚から聞かされた戦時中の話も、
他人事のような感じになっている。

TVドラマや映画で戦争モノを取り上げることが多くなってきた。
これで慣らして、徴兵制度復活なんてことにならなければ良いのだけど。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

都市空襲
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15 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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禁止用語 (うおこ♪)
2006-08-15 10:14:14
★みけちゃん

いろいろありがとう。



某チャットで、禁止用語を変換しないという技術を導入してたのね。

「ひじかた としぞう」を変換すると、

土方という言葉が禁止用語にひっかかって出なかったんです。

「ドカタ」って駄目だったみたい。



今日は終戦(敗戦)記念日。

首相の靖国参拝で賛否両論が。

武力にでれば武力で返ってくる戦争は二度と起こらないようにしたいな。
返信する
放送禁止用語 (みけ)
2006-08-15 00:14:17
 傷痍軍人という言葉は、禁止用語で無かったと思います。ただ、子供の頃、使っていた言葉が、たくさん禁止用語になってるので、説明しにくいです。

 

 戦争は悲惨なもの。正しい戦争なんて無いですよね。
返信する
放送禁止用語。 (うおこ♪)
2006-08-14 21:57:08
★みけちゃ

コメントありがとん。

傷痍軍人という言葉をあえて使用しないように気遣いしてくれてたのね。

放送禁止用語に該当しちゃうのかな。

何気なく使ってしまった言葉にも傷つく方々がいるんだということに気付きました。

私はちょっと配慮が足りなかったです。



軍人と軍属だと、後々の保障がまるで違うという事実を最近知りました。

まだまだ知らないことが沢山あります。



明日は8月15日。戦争をもう一度考えようと思います。
返信する
傷痍軍人 (みけ)
2006-08-14 05:52:08
 傷痍軍人でした。その頃の事、書こうとしたら放送禁止用語だらけで、言葉を置き換えると雰囲気が伝えられません。

 言葉は使う人の心がけしだいなのに、あれもこれもでは、やりにくいですね。
返信する
傷痍軍人ですね (うおこ♪)
2006-08-13 11:58:16
★みけちゃん

うちの父の実家がある岩舟山という場所に、

私が子供の頃、

お祭り時期に白装束で、傷痍軍人が募金箱を抱えていました。

たいてい階段の途中の踊り場に、

松葉杖を脇に置いて、小さなアコーディオンを鳴らしたり。

でも、夕方になると義足をつけて、元気に階段を降りて行く姿を見て複雑な気持ちになった記憶があります。

他の地域でも同じようなことをしていた人がいたんですね。



この時期に戦争について皆で考えて議論出来たらいいですね。
返信する
戦争 (みけ)
2006-08-13 11:37:41
 私も戦後生まれですが、体験者の話を身近に聞いて育ちました。

 そして、戦後何年も傷病兵が物乞いしてる姿を、街中で見ました。手足の先が無かったり、両膝から先が無く、犬のようによつばいで頭を垂れ、お金を恵んで貰う生活者。

 今でこそ、禁止されてる行為ですが、繁華街にはそういう人たちが多くいました。

 

 戦争は誰もが嫌いなはず。昔、戦争があったという事実と体験者の話をそのまま、記録し語り続けることが大切だと思います。

 何かあっても、報復ではなくどのように解決したら良いか、話し合い寛容な心を育てるのが

教育じゃないでしょうか。



 先ずは自分を律しないとできませんね。分かっているのに、理想と現実はギャップが有り過ぎです。









返信する
政教分離は変更しないで欲しい。 (うおこ♪)
2006-08-12 20:41:01
★りゃくちゃ

空襲で焼け出された人、家族を失った人、職を失った人、

それぞれが大変な苦労をして今があるってことをちゃんと考えなきゃいけないんだよね。

今生きていられるって幸せに気付くことも大切だなぁとしみじみ思ったよ。

貴重な話ありがとです。



靖国神社の合祀問題は、もっと議論するべきだし、

宗教法人から外すってことを国が決めちゃダメだと思う。

私達より戦争の時代を知る政治家が、

あの提案をする裏に何があるのか考えると怖くなるよ。
返信する
広島菜の話知ってる? (りゃく)
2006-08-12 14:10:14
小学生のトキに、課外授業で聞いたおばばの話。標準語で書きます。



「みんな、ピカ(原爆)の話ばかりして、広島市内だけがしんどかったような話のし具合だけど、ここも絨毯爆撃で更地にされたすごい被害があった地域なんだよ。しんどいのはみんな同じ。そこから今の生活ができるようになったんだから、皆に感謝しなきゃねいけないよ。」



というようなコトだったと思う。

きっと、戦争の象徴としてのピカの話の持ち上げられ方が気に入らなかったり、後の保障のなさとか、いろいろなキブンだったんだろうなぁ。



でも、立ち直ったコトも評価している。

阪神の震災後の立ち直りもそうだけど、ヒトの良い方に向いていくパワーってすごいと思う。でも、それが「悪いコトの後」にしか来ないような気もする。

かつては、天災に立ち向かっていって団結していったんだろうけど、今は団結の末の収拾のつかない戦争。

どうすればいいんだろう…

反対できるだけの知識と知恵をつけるのは、まず第一歩ではあるんだろね。



靖国神社の宗教法人からの除外提案は、絶対に許しちゃイカンと思う。

政教分離しなきゃ、こんなトコからどんどん歪んでいくはず。



なるもにあ賛江

 つたない文章ですんません( ̄▽ ̄;;;

 でも、伝わっていたので、ホッとしました。

 いらんコト言いばかりですが、お許しくださいなm(_ _)m
返信する
コメント感謝です~ (うおこ♪)
2006-08-12 11:37:22
★ジイ

お子さんもジイの話を聞いて育ち、

次の世代にちゃんと受け継いで行く。

これからもお孫さんに戦争の話を伝えていってください。

8日誕生日おめでとん。



友人が2月26日生まれなんだけど、その日になると2・26事件の話が出るんだな。

語り継ぐことって必要だよね。







★りゃくちゃ

広島だと、私達より戦争の事を教える機会が多かったんですねぇ。

こちらでは歴史一部をさらっと教えられたという感じ。

今日二次被爆の犠牲者のニュースを見てました。

当時は焼けた街を人を探して歩いて被爆した人が多数いたとか。

想像以上に悲惨な状態だったようで。

一度は原爆記念館に行ってみたいと思ってるんだ。



昨日古本屋で発見した「CB感」というSF漫画。

2××4年、北京が地球の首都になって管理統制をしているんだけど、

環境破壊をする「バイク」は禁止という話。

管理されていることに慣れた人間は疑問を持たないというところが怖い裏テーマ。



戦争を肯定しないでも、否定できなかった人々は疑問にも思わない洗脳された状態だったのかも。

宗教などでマインドコントロールされる事件が続いているけど、

入り込んだら変だということに気付かないようになっちゃうのかな。





★なるもにあさん

なるもにあさんの記事読んで、いろいろ考えました。

難しいテーマだけど、目をそらしちゃいけないと思います。

戦争を始めるのは簡単なことなんですよね。



何故他の国と戦争することになったのかということも調べる必要があるし。

国内の政権争いに外国と手を組んだ江戸時代の末期。

このあたりから外国との係わり合い、利権などが絡んで戦争に繋がっていくような感じがします。



TBって「していいの?大丈夫かな?」って感覚があるもんで。

なので、TBしたあとコメントに記入しちゃうんだけど。

なんだかFAX送った後にTELして念を押すような感じかなぁ。

こちらはTB歓迎です~。





★うえりくさん

私の学生時代も、すでに教師が戦争を体験していない世代が大多数でした。

校長先生や教頭先生が語る戦争の話も現実味が薄れていて、

源平合戦や、関が原の戦いのような歴史の過去をなぞるような感覚でした。

現在も紛争が続く地域があるという事実を認識することも薄れています。

それぞれ個人が戦争のことを考える機会になればいいなと思うのですが。







~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~







朝の情報番組で、

A級戦犯のことを取り上げていました。

靖国神社に合祀された経緯や、東京裁判のこと。

中国や韓国が靖国神社参拝に反対する理由など。

それを受け入れて靖国神社を宗教法人からはずす提案など。

確かにそれぞれの言い分は良く解るのだけど。



もう少し詳しく知る必要がありそう。
返信する
戦争を伝えていくこと (うえりく)
2006-08-12 10:19:26
私の両親が昭和20年生まれで、生まれてはいたが体験したとは言えない世代なので、私自身は直接戦争を語り継がれたことはありません。

学校でも太平洋戦争についてはほとんど教えられた覚えもありません。



中学生の頃、被爆者の方々の画集や手記を読んで、衝撃を受けました。

体験された方々の絵や言葉には圧倒的な説得力がある・・・戦争を知る世代がいなくなり、この記憶が途絶えたとき誤った道を選ばぬためにも、「戦争の記憶」を伝えていくことは必要だけど、子どもたちに伝える前に、我々大人がきちんと分かっていないといけないな、と感じます。



「都市空襲」で紹介のあった場所で近いところに行ってみようと思ってます。
返信する
記事連鎖に感謝します。 (なるもにあ)
2006-08-12 06:06:42
貴重な記事を本当にありがとうございます。



納涼盆踊りの記事でも思ったのですが、

過去だけでなく、「今」という視点で

戦争を語ることも大切だなぁ、と感じました。



いつでも身近に戦争への入り口はある、

それを開かないようにする努力、

その入り口をなくす努力、

両方が必要なのだと思います。



そのためには過去の理解、それを繰り返さないという信念と

「今」日本がおかれている状況をしっかり見据えることが

求められるのかな。と・・・



りゃく様のコメント、なんだかすごくささりました。

「結果」だけにこだわりすぎると、「過去」に閉じこめられ・風化した

「形式的な悲惨さ」になってしまうのかも・・・。

「今」も戦争は世界中で起っている。

そうしたことも、きちんと考え、子どもたちに伝えていかなければ

ならないと思います。



※TBダメだったでしょうか?

 記事内にリンクさせていただきます。
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間違った教育も (りゃく)
2006-08-12 02:22:40
おいらは、広島県の端っこで育ちまして、それはそれはキッチリと戦争記憶教育をされました。

なんせ、ウチの母親は満州で生まれ育ってたし。

おいらが住んでる地域もかつて、「大空襲」と呼ばれたものがあって焼き尽くされたらしぃし。

地域のじじばばからいろんな話を聞き、原爆資料館にももちろん行き、トラウマになってしまうような画像もいっぱい見ました。

(ちなみに、今の広島原爆資料館の展示物は、おいらが見たものよりかなりヌルいものです)



そして大人は言う「だから戦争はいけないんだ」



戦争は確かに忌むべきものなんだけど、そこに拘って身動き取れなくなった日本人。

結果を見ていけないというコトではなく、「戦争はダメだよ」と言えてた大人がいなかったよ。

反戦歌も、結局あったことを訴えていた(おいらにいわせると)絵日記ソングも多く、イマイチ本質をエグるトコにいっていなかったように思う。



ヒロシマやナガサキを象徴に持っていって、「あの日は悲惨だった…」といいつのるのもどうかと思う。そりゃ悲惨に決まってるよ。でもね、ピカの後、「あんた、また物忘れひどぉなったんな、もっぺんピカにあたま撫でてもらいぃな」というようなジョークが飛ぶほどの日常もあったらしぃ。



現代に「ちから」でハバきかせようとするなら、武力以上にキく「ちから」がいっぱいあるのにね。

分かり合えるのはムリだとしても、そこにラインを引いたり説明(言い訳)したりする機関が、国連以外に必要だと思うよ。



昔のSF小説にあった「地球連邦共和国」って、夢物語なんかなぁ…
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わたくしの誕生日 (ジイ)
2006-08-12 01:29:36
実は8月6日誕生日で、ものごころついた頃から広島の原爆投下の日は単なる誕生日ではなく、平和を願い、原子爆弾の使用がされないように願う日というのがいい意味ですり込まれていきました。子供が小さい時には父や母の戦争体験を話すようにしていました。今度は孫にしていかないと。
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良い街。 (うおこ♪)
2006-08-11 20:12:50
★ほのちゃ

住みやすい場所には人が集まるし、都市形成も大きくなるし。

戦争がもっと長引いていたらもっと大変なことに発展していたのかな。

日本語使用禁止とか、列島を別々の国の統治にされたり。

戦争が二度と起きないようにしたいです。

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三方を山に囲まれた町 (ほの)
2006-08-11 14:31:44
広島、小倉、長崎、京都、横浜は、三方を山に囲まれ、山の裾までびっしりと市街地になっているので、新型爆弾の効果を試すのにはうってつけです。

中でも京都が理想的だったので、担当者は最後まで京都に拘ったそうです。



でも、こういう町って、風水的にも良い条件を備えているんだよね。
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