運命の不思議

運命の不思議さを感じる時があります。そんな時、なぜ?と思いませんか?

現代科学の限界・・・ダーウィンの進化論

2009-06-30 10:44:31 | 日記
ダーウィンはすばらしい科学者であることは間違いない。
いろいろな生態を研究し、”種の起源”で進化論を解いた。
偶然の重なりで、生命が誕生し、自然淘汰の中で、環境に応じた種のみが生存すると。
生き延びるかどうかは、生物そのものが選択するし、変化していくものだと。

一見して、これは正しそうに思えた。
私も、そのように思ってきた。
そこには、神なるものが入る余地すらない。

しかし、不思議なのはいつも時間的な観念である。
首の長いキリンは、木の高い葉っぱを食べるために、首をより長くしなければならなかった。
これは、理解しやすいことである。
しかし、オスの孔雀の羽の素晴らしさである。

一般的に、科学者の話では、メスを引き寄せるためにそのようになったという。
では、なぜ、メスにはその必要性がないのか?
また、何百年何千年もかけて、どのように変化させることができるのか?

そこにダーウィンだって矛盾を感じた。
そのため、突然変異なるものを持ち出した。
この時点でもう科学ではない。

そもそも、雌雄の区別のないものから、雌雄が生まれたことも、生物自身の意思なのか?

また、子孫を残す方法としてセックスの手段を講じたのも生物自身か?

その場合、男の側と女の側が同時に進化しなければならない。
時間的なスケールで考えてみて、そんなことなどありえない。

自分自身でできないとしたら、第三者が存在し、設計しているとしか思えない。

我々が知るダーウィンの進化論は矛盾だらけで、真実とはほど遠い。

宇宙的なレベルの善悪

2009-06-29 12:05:44 | 日記
我々は当然のこととして、今現在生きている社会の中で、善悪を判断している。

裸で、深夜公園で踊っていた草くんは、公然わいせつ罪で逮捕された。
誰もいない深夜の公園で、何が公然わいせつかと思う。

しかし、これはあくまでも人間社会が作った法律で悪と言われたまで。

それでは、神のレベル、宇宙のレベルで悪なのか?

それは違う。

神のレベルでは普通のこととして認められる。
神は「自然のまま」をよしとするのだ。

セックスはどうだろう。
鳥や動物のセックスのあり方を見ればよくわかる。
これは神がすべての生物に与えた本能である。
この本能を隠れてしなさいといったことはないのである。

それでは喫煙は?
飲酒は?
これらはともに、他人を傷つけるものではないという理由で、許される行為です。

肉食はどうだろうか?
もともと、ライオンのように肉を食べるように生まれてきたものは、それなりの役割として認められるが、人間のように草食として生まれてきたものが肉食になるのは神の御心にあっていない。

それは、何らかの形で弊害が起きるのです。
肉食の何が悪い?

あなたの子供が他の動物に食べられる光景を想像してみてください。
ゾッとするでしょう。
自分がされたくないことを他人にしてはならないという、神の教えでありルールなのです。

白鵬がなぜモンゴルに生まれた

2009-06-28 11:21:24 | 日記
昨夜、テレビ番組”オーラの泉”のゲストは白鵬だった。
江原さんが言う。
「あなたは、自分が日本人だと思うことはありませんか?」
それに対し、白鵬は笑ってうなずいた。
その意味は、そうであるかも知れないし、そうではないかも知れないといった表情だった。
江原は続ける。
「あなたには、江戸時代の関取の魂が入っている。しかも、モンゴルに生まれる必要があったのです。今の日本に生まれたのでは、横綱になるチャンスはない。大自然を相手にし、モンゴル相撲の横綱を父に持つ環境が、あなたの魂には最も良い環境だったのです。」

この考えはヨーガの輪廻転生の考えと合致している。

ところが、私が不思議に思うのは、あの盲目のピアニスト辻井伸行さんのこと。

素晴らしき、音楽家になるための最もいい環境が、盲目なのか?

多分、真の音楽家には実は視力があることは雑念が起きやすいのかもしれない。

人が集中するためには、目を閉じることと関係がありそうだ。
目は、生活するためには必要なものだが、神を感じるのにはあまり意味がないのかもしれない。

神のメッセージは光と音。

そうすると、目と耳は必要ではないか?
この光は、実は目で見る光ではなく、瞑想を通して見えるもの。
耳も同様。

人間の五感は生活のための機能。
この感覚で神のメッセージはつかめない。

Congratulation(おめでとう)

2009-06-25 12:34:22 | 日記
2日前の話である。
タイの会社のAさんと、ここ半月あまり輸入手続きの話を続けてきた。
彼らが輸入する場合、日本のメーカーからいろいろな書類を提出しなければならない。
いろんな書類をメールで送ったが、どうしても最後の一枚が見つからない。
そして、その日がやってきた。
メールが届いて、
「まさに待っていた最後の一枚がやってきた。これで我々は輸入の手続きがとれる」
と言ってきたのだ。
私は、その時、「Congratulation!!」と返事を打った。

それから10分が経ったであろうか。
家内が部屋に入っていた。
ちょっと興奮気味に、持っていた人形のスイッチを入れた。
流れてきた曲がなんと、Congratulation!!であった。

私はちょっと不思議な感じを受けた。
いかにもタイミングが良すぎる。
家内が言う。
「これは熊なんだけど、今年の娘の大学受験で長野に行った時の話よ。
その時、一軒の時計屋に入ったの。
その時計屋には、このようなオルゴール付の小物がいくつかあったの。
そこで、この熊を買ってきた。
そのお店ではオルゴールは鳴らさなかったの。
今日、人形の整理を始めると、この熊のことを思い出したの。
これを売るために陳列しようと考え、念の為、オルゴールを聴いてみた。
すると、Congratulation!!が聞こえてきたの。
もう、びっくりしたわ。娘の大学受験の合格を前もって祝福してくれているように思えたの。
これは売れないわ。娘の守り神だもの。

、と言って大事そうに抱えていた。

私は、呆然とした。
そのいきさつを家内に説明した。
つい10分程度前に、タイにCongratulation!!をメールで送ったばかりだと。

私は、このことに何か不思議なものを感じた。

臓器移植

2009-06-19 08:56:28 | 日記
ヨーガの世界で臓器移植はどのようにとらえるのだろうか?

さすがに、ヨーガの聖者も心臓移植のことまで考えたであろうか?

また、脳死判定とは何ぞや?

輪廻転生の中で、臓器を移植することは魂にとってどうであろうか?

また、脳死も人によって死を決定するのである。

魂自らが死を判定するのではなく、人によって決定されるのは何か問題が起きそうな気がする。

魂と肉体は一体であり、肉体が滅ぶ時、魂は次の肉体(生命)のために種子状態になる。

なのに、強制的に肉体、特に心臓が他の肉体に入っていく。

魂のなかに他の魂が混在していく。

ある青年が心臓移植したのちは、自分の未経験のバスケットの記憶がよみがえったと言う話は実際にアメリカであった。
すなわち、移植した心臓の持ち主はバスケット選手であったのだ。
心臓に記憶があるのではないかという問題が医学界で問題視されたと言う。

ヨーガ流にいえば、魂に、具体的に言えば、チャクラに記憶があると言う。

どうも、複雑な社会の中で、人の魂のなかに他人の魂が入るという複雑さが生まれてくる。

これは、どうも、人間が肉食するようになったことと同じかもしれない。