運命の不思議

運命の不思議さを感じる時があります。そんな時、なぜ?と思いませんか?

食べることと運命

2009-04-27 10:11:07 | 日記
我々人間と肉食動物の爪と歯を見比べよ。

人間の爪と歯はライオンなどのものではなく、どちらかというと馬、牛などの草食動物のものに似ている。

また、胃腸も植物性の食物を消化するのに適している。

神は人間を菜食動物として創造したと考えるのが自然。

人間に近い猿、チンパンジー、ゴリラなどは、肉を食べない。

自然界の生き物は生まれ持った習慣に基づいて生きており、自然の法則に反したものは食べない。

しかし、人間だけは違う。
いつの間にか、肉食を当たり前のようにしてしまった。
自然の法則を破ってしまっている。

人間は生存のために集団で動物と戦ってきた。
道具を発明し、武器を作り戦ってきた。
倒した動物の生肉を口にしたが、消化機能が違うため、下痢をしたであろう。
しかし、このことも火を利用し、肉を焼くことで、誰もが食べられるようになったのだ。

我々は、果たして神の御心に会った生き方をしているであろうか?




神が許さないもの

2009-04-25 14:25:36 | 日記
カルマと運命の法則は、人間の作った社会的な法に基づいているのではない。

まず、人は何が宇宙的レベルの善悪であるかを明確にしなければならない。

例1
男性か女性が、全ての服を脱ぎ捨てて、人々のにぎわう市場で踊り始めたとする。
我々の社旗規範ではその行為は悪とされ、警察に取り押さえられる。
しかし神の目線とそのカルマと運命の法則からは、警察官全員が彼らの服を脱ぎ捨てて、踊りだしても全く気にしない。

この宇宙では、すべてのものが裸のままだから。

例2
人前でキスをすることは欧米では問題ないが東洋では問題あり。
それでは、公園で愛し合うことは?
人間社会では地域によってOKっだが、神はキス、セックスを公然とすることは全く問題にしない。
鳥や動物がやっている行為は神が許している証拠。

普遍的宇宙の法則下では、裸は自然の中の美しさとして与えられている。
神にとって裸という判断ではなく、自然のままという判断なのだ。

例3
喫煙と飲酒はどうだろう?
健康面から見たらいいものではないが、他の人々に痛みを与えることもなく傷つけもしないのでなければ、神は問題にしない。

例4
肉食は?
肉は人間にとって自然な食べ物ではない。誰かの手で動物を殺している。
この2つの理由で神は許さない。




仏陀はそれぞれの人の心の中で

2009-04-25 10:31:27 | 日記
もしも、我々が行動した数分後か数時間後に、自分のカルマの結果を受け取るなら、人は間違うのが恐ろしくなり、自由に行動ができなくなる。

魂のために創った神の宇宙プランは、何か目に見えないものへ恐怖を抱いて生きるためではなく、全ての魂がこの地球上で完全な自由を感じられるように創られたのだ。

全とあくとの基本的な問題を解決するために、そして、カルマと運命の法則を自分の中で堅固なものにするために、神は全ての魂に非常に根強い善良の感覚を与えた。

だからこそ、事故や災害が起きた際、多くの人々が自発的に犠牲者助けるために奔走するのです。

犯罪者に映画を見せた。
映画の最後のシーンで悪人ではなく、善人が勝利するシーンを喜ぶことが心理学の実験で明らかになった。

仏陀はそれぞれの人の心の中で眠ったいる。






再出発、すなわち、生まれ変わりは全て忘れて

2009-04-25 10:16:04 | 日記
疑問:
この世で暮らす人間が全盛のカルマの世で苦しんでいるとしたら、
なぜ人間は、苦しみの原因となった原因となった悪い行動や考えを記憶していないのか?

宇宙のシステムがある目的を持って非常に巧妙に創られているので、魂は現在の家族と現在の状況に生まれている理由が、どのカルマの影響によるものなのかを覚えていられない。

魂が過去世からの全てを覚えているとしたら、人生を続けていくこと自体が難しくなる。
現在の人生からでさえ、何らかの否定的経験をした人々がその状況を思い出した時、情緒障害を起こすことがあるように。

忘れて再出発することが必要なのです。
再出発するには、全てリセットし、自由に前向きに生きることが重要なのです。




カルマ保存の法則

2009-04-24 18:24:14 | 日記
この世では、人間関係で誤解が起きるもの。
例えば、自分に傷つけられたと感じた人がいたとする。

自分は、彼らを傷つけるつもりがなかったとしたら、自分のカルマにはならない。

彼らの運命がそうさせたのだ。

また、誰かが自分の都合で他人を傷つけようとした場合、実行に移さなくても、自分の発生した波動の質に合ったカルマの作用を受けることになる。
すなわち、考えただけでも運命を変えることになる。

人の行為とは、肉体が勝手に動くわけではなく、精神によって決定し行なわれるものだからである。

我々の肉体は我々が頭で考えたことを実行する道具に過ぎない。

困っている人を助けたり、自分の魂や他の人たちの魂が向上するような行いをしたら、宇宙と惑星はその情報を記憶している。

自分はその善意に対する恩恵を未来に受け取ることになる。

今世で悪事を働いているにもかかわらず、楽しい人生を送っている人がいるとしたら、それは前世のカルマが良かったのです。
しかし、前世からの良いカルマの恩恵が底を突いた時点で、その人物は、今世のうちか、または来世でその悪いカルマの影響を受け始める。