運命の不思議

運命の不思議さを感じる時があります。そんな時、なぜ?と思いませんか?

神の前に、みな平等?

2009-05-30 15:14:59 | 日記
生まれたとき、育つ過程で、我々は果たして平等であろうか?

決して、平等だとは思えない。

裕福に生まれ育つ人もいれば、飢餓状態に生まれ育ったり、あるいは、ハンディを負って生まれてくる人がいる。

では、神はどうしてそのような不平等を生むのか?

ハンディを負った人は、どうしてそのような目に会わなければならなかったのか?

いくつかの理由が考えられる。

それぞれの役目だといえばそれまで。

しかし、その人の前世の行いでそのような運命をしょわされたとしたら、それはある意味納得する。

なるほど輪廻転生の仕組みか?

また、ハンディを負うのは前世の肉体か?

そうではない。

前世と今世では肉体が異なっている。

とすると、魂が同一でなければならない。

魂は前世の魂の意識のあり方で、今世の役目が決められる。


人生の意味

2009-05-29 10:19:32 | 日記
我々は、若いころよく考えたもの。

我々は何のために生きているのか?

そして、その問いかけには誰も答えられなかった。

まあ、そのうち、生きている間に、何かがわかるだろうと自分で結論付けた。

そうして60年がたった。

やはり未だに人生の意味がわからない。

しかし、この間、何かヒントになることに遭遇してきた。

信じられないことが起きる。
どうもそれは偶然ではなさそうだということ。

ふと昔の人のことを思い出したら、なぜか、その日に電話がかかってきたとか。

自分が考えていることを、隣にいる女房がふと口にするとか。

ある人の顔がなぜか、自分の父親に見えるとか。

どうも、誰かが自分に何かを知らせているような気がする。

そんなことを考えていたら、ふと気づいたことがある。

どうも、神が私を創ったときに、私の中に神の言葉を感じるセンサーを埋め込んでいるのではないかと。

すなわち、そのセンサーの感度を上げれば、神からの信号はキャッチできるのではなかろうか、と。

我々は、あるとき、何かひらめくことがある。

その時は、何かを夢中で考えたりしているときか、あるいは、その集中している作業をやめて、ふと空を仰いだときとか。

私は、気がついた。
集中することが、センサーの感度を上げることだと。

まず神の声を聞いてみよう。
耳を研ぎ澄ませて。

ヨーガーでは、神の知恵は、求める人にしか届かないと。
それは、すなわち、神がいちいち信号を送ることはない。
すでに、神が、人の中にその神の知恵を与えているのだろうと思う。

もしそうだとすると、その神の知恵と肉体とはどんな関係なのか?
どうも、神の知恵のほうが優先で、肉体は滅びるもの。

何のために滅びるのか?

神は我々のために、魂を一つずつ創った。

その魂に、何かをさせるため。

その使命を、感じよう、目を瞑って。

人生の不思議

2009-05-28 10:36:15 | 日記
世の中には不思議なことがいっぱいある。
むかし、私は、奇怪な話ということで、「力バカ」(力ばか)という話を読んだ。
ある村に、体は大きいが知恵が少し足りない青年がいた。
当然、村ではずーっとバカにされ続けてきた。
あるとき、村の若者がその青年を捕まえて手に力バカと書いたのだ。
ところが、その青年はなぜかその後すぐに死んでしまう。

それからしばらく経って、少し離れた村で男の子が生まれてきた。
その子の手に、力バカと書かれてあったという。

これは典型的な生まれ変わりの話。

世の中にはこれに近い話がいっぱいある。
今までは、そんな話は作り話としか思われてこなかった。

しかし、今はテレビが発達し、そういった奇怪な話も検証の対象になってきた。

輪廻転生も、まさに、科学の目で見られるようになって来たのだ。

人は何のために生まれ、何のために死んでいくのか?

その問いかけにあなたは、どんな答えを持っているのか?

もしも明確な答えをお持ちでなかったら、ちょっと、ヨーガの哲学を勉強してみてください。

一番偉大な奇跡は・・・

2009-05-25 10:39:02 | 日記
アインシュタインはこう言っている。
[この人生を生きる二つの道がある。全てのものが奇跡に満ちているか、何一つ奇跡が起きていないか?」
アインシュタインはこの宇宙に起きている全てに奇跡を見ていた。
普通の人には、その軌跡が見えていないだけなのだ。

ほとんどの人たちは、障害の間、いつも自分の体に起きている衝撃的奇跡に全く気づいていない。

自分の体に起きている奇跡を感じた人は、一番偉大な奇跡は、自分がこの地球に存在していることだと思い始める。

その奇跡に気づくことができた人がマスターとなっていく。

その中の一人が、シッダールタ王子。

一人の男がやってきて、シッダールタに尋ねた。
「あなたは神ですか?」
「いいえ」
「救世主ですか?」
「いいえ」
「それではあなたは一体何者なんですか?」
「仏陀である」

仏陀とはサンスクリット語で、「目覚めた者」を意味する。
仏陀は、この世を去るまで、「目覚めなさい」というメッセージを人々に伝え続けた。

仏陀の死後2500年が過ぎるのに、人々はまだ、仏陀の言った「目覚める」ということが解らないのだ。

五感を通じて意識を向上させる

2009-05-23 11:22:52 | 日記
タントラの方法では、セックスを利用するだけではなく、視覚、聴覚、味覚、嗅覚や肌で感じる触覚など、肉体の感覚を通じて意識を向上させることもできる。

これらの感覚に神の力が働いている。

すなわち、神の存在を体で感じられるものが五感なのだ。

タントラの教えでは、この宇宙の神秘を知りたいなら、空を見上げて宇宙を見るのではなく、自分自身の体を観察しなさいと言う。

これらの感覚は三つのタイプの使われ方をしている。
(1)生きるために必要な機能として体の感覚を使う。これは、動物などの生き物が使っている感覚レベル。
(2)体に感じる感覚で、「楽しみ」を感じることができる。これは、動物などにはなく、人間だけが持っている感覚。
(3)体にかんじる感覚の中に、神の反映を知ることができる。

具体的に視覚を検証してみる。
通常、目で輪割のものを見ている・・・これが(1)
絵画や映画の鑑賞で楽しむ・・・これが(2)

きれいな空を見たり、広大な海を見たとき、思わず、
「わー、すごい」
と感動する。・・・これが(3)

生まれながらに目の見えない子供たちは、情景を、音や臭いなど他の感覚で補い、心の目で見ているのだ。