海月美紗のおでかけ日記

おでかけ大好きです
見つけた小さな“happy”を記録していきます

日本100名城・多賀城

2024-06-24 10:30:00 | 

多賀城は、724年に大野東人(おおののあずまひと)によって創建され、陸奥国を治めるために国府が置かれた。

現在は、発掘調査成果をもとに環境整備が進んでいる。奈良県の平城京跡、福岡県の太宰府跡とともに日本三大史跡のひとつ。

△多賀城外郭南辺の築地塀と櫓跡

△築地塀北側の低湿地、現在は「あやめ園」になっている。

△外壁南門(再建中)

外壁南辺のほぼ中央。多賀城の正門にふさわしい二階建ての豪華な造り。

△多賀城碑と覆屋

△政庁跡から外郭南門跡へ、南北にまっすぐ通じる城内のメインストリート。政庁南門の前は傾斜がきつく、階段を登るのがけっこう大変。

△政庁跡

約900m四方の城内、とにかく広い。看板写真を見て、やっと全体像と自分の位置がつかめる。

△政庁南門跡

△政庁正殿跡

多賀城のほぼ中央に位置している。東西103m、南北116mの築地塀で囲われ、重要な政務や儀式が執り行われた。

△政庁復元模型と建物配置図

△政庁東殿跡

△政庁跡から外壁南門を見下ろす。高台にあり、風が心地よい。とにかく広くて威厳がある。

その向こうに広がる街並み。昔、蝦夷と呼ばれた人々は、どんな思いでこの多賀城を見上げていたんだろう。そして、歴史はどんなふうに展開されてきたんだろう。

政庁跡に桜の木が植えられている。桜の咲く頃になったら、この広い城趾を散策しながら1300年前の陸奥国に想いを馳せるのもよいと思った。

2024.6.21

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続日本100名城・白石城

2024-06-14 17:00:00 | 

白石城は、仙台市の南西・白石市の中心部に位置していた平山城。

△1602年以降、仙台城の支城として伊達家家臣・片倉氏が代々居城。1615年の「一国一城令」後、他藩の支城が取り壊される中で例外的に存続が認められていたという。

明治時代の「廃城令」で解体されたが、1995年に三階櫓(天守)と大手門が復元された。

△復元された大手一ノ門

△復元された大手二ノ門

△復元された天守(三階櫓)

一国一城令で特例として存続を認められた白石城では、天守に相当する櫓を「大櫓」と呼び、「天守」とは呼ばなかったという。

△天守1階

天守の内部、木造での復元が特別に許可された。戦後の木造復元天守では、高さ・広さとも日本最大級ということ。

△天守3階

外の気温は30℃を越えるが、天守の中は木の床がさらっとしていて、四方の大きな窓から吹き抜ける風が心地よい。

△本丸御殿跡

△大手一ノ門・大手ニノ門

△東には白石市の街並みが、西には遠く蔵王連峰が見渡せる。

△すこぶる急な階段。上りはまだいいが、下りは1段ずつ慎重に。

△天守と大手二ノ門

△本丸跡外郭石垣

石垣も明治時代に解体され、今は基底部だけ残っている。大雨や地震などで崩れ、たびたび修復を繰り返したので北側と南側で石の積み方が違っている。

△当信寺山門として移転された、白石城「東口門」

△東口門跡

△延命寺山門として移転された、白石城「厩口門」

△厩口門跡

 

 

△今回のドライブ、一番のめあては梅花藻。

白石城の外堀・沢端川のせせらぎは本当にきれいで、梅花藻の白い花が水の流れに揺れていた。何の魚だろう、気持ちよさそうに泳いでるのが見えた。

気温は32℃、でも、白石城と沢端川で心地よい涼風を感じることができた。今日もすこぶる Happy !

 

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日本100名城·仙台城

2024-06-10 16:25:00 | 

1600年に伊達政宗が標高約130mの青葉山に築城した仙台城。別名は青葉城。

△仙台城は東も南も断崖、西は山という自然の利を生かした天険の城。将軍家康に敵意のないことを示すため、あえて天守閣を築かなかったという。

△本丸に至る登場路は2つ。巽門・清水門・沢門を通るものと、大手門・中門を通るもの。

△大手門跡:2階建・瓦葺の豪壮な建物だった大手門は1945年の仙台空襲で焼失。伊達政宗の没後400年にあたる2036年を目標に復元する計画が進んでいる。

△大手門脇櫓:一部2階建の建物だったが、大手門とともに焼失。脇櫓のみ1967年に再建された。

△大手門北側土塀:大手門が焼失したときに被災を免れた、現在仙台城に残る唯一の建造物。

△清水門跡:巽門から沢門に至る上り坂の途中にあった2階建の門。付近に湧水があったらしい。野面積みの石垣が残っている。

△沢門跡に至る道脇の石垣。すこぶる急な坂道。下るのはまだいいが、登るのは…おまけに遠い。

△本丸詰門跡:本丸北側に設けられた正門。門の両脇にあった3階櫓は1646年の地震で被災。門の礎石だけが残っていたが修復工事中。

現在は、本丸跡に造られた護国神社の鳥居が建っている。

△大広間跡:本丸跡の北側に位置する大広間は約430畳あり、「千畳敷」といわれた。本丸御殿の重要な建物で、ここで藩の政治や儀式を行った。

△本丸北壁石垣:四角く加工された切石を使用した布積みの石垣。最も高いところは17m、美しいそりを持つ。急な坂道をはぁはぁと登ってきて、この石垣を見上げると達成感を味わえる!


△青葉山の麓から見えていた、あの石垣!

△子門跡:現在は、三の丸跡に建てられた仙台市博物館への入り口になっている。木造2階建・瓦葺の門だったが、今は石垣だけが残っている。

△長沼と三の丸跡東側土塁:南北の長さ約252m、深さが約4.5mの堀。土塁の高さは約3.6m。

△伊達政宗公騎馬像

△伊達政宗和歌詠草「入そめて」

入そめて 国ゆたかなる みきりとや

千代とかきらし せんたいのまつ

伊達政宗が仙台の末長い繁栄を願って読んだ和歌。

△青葉城址から見える仙台の街。「杜の都仙台」は、現在人口100万人を越す政令指定都市。歴史があり、自然が豊か季候も穏やか、文化的な住みよい街。

独眼竜政宗は今も青葉城趾からこの街を見渡し、その発展を願っているに違いない。

△予備校の送迎で仙台市内には随分通ったんだけど…一度は住んでみたかった!

2024.6.7

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