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宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

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2012年11月02日 | Weblog







|・)  アメリカは昨日が ハロウィーン。
     昨日は 46人の子供たちが家に来たよ。



|・)  昨日は ニンジャの格好をしている子供たち、
     能面マスクを頭につけた子がいたのが 印象的だったんだい。



|・)  昨年は スーパーマリオの仮装が一番多くて、
     ハロウィーンの仮装に 日本文化の影響も見られるんだよね。



|・)… お菓子をあげるのは もみは アメリカに住んでから欠かした事がないんだよ。

     テロの後でも 気管支炎でダウンしても
     ハロウィーンでお菓子をあげる事は 絶対には欠かさないという
     信念のようなものがあって…。



|・)… 白人以外の人種がほとんどいない地域だから、
     毎年 もみを見て 固まってしまう小さい子がいるんだい。




|・)… そして昨日 一人の男の子は、
     黒いコスチュームの上から 肌色のブラをして
     ブラの中に 沢山の綿を詰めて、
     更に ブラに 何個かのスパイスの小さい瓶をぶら下げるとか、
     個性的すぎる仮装を…


+ + +



     【Empty Bowl】英語/ポーランド語
     http://www.pustamiska.pl/en/index.php

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10 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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魔術の玄理って 中々難しい (もみ@間奏21秒)
2012-11-02 19:27:24

|・)(躁ダ…)

「魔術とは意識の変革である」
という言葉を読んで
納得していたつもりの 中学生の頃|・)…

その頃のもみと
現在のもみ
何か変わったかと聞かれれば
何も変わってないような気も|・)…
返信する
もみじ詩集より (もみ@箱根登山鉄道塔ノ沢)
2012-11-02 19:22:17

 冒涜の匂い

     悲しみが
     つんつん
     こみあげてくる

     神仙道を
     つんつん突いた教祖の
     醜行を見て

     道がくらい
     くらい

     嘆息が
     つんつん
     こみあげてくる

     梅風書房 嗚呼平成玄学界ヨリ
返信する
躁だ 躁だ (カルピス躁ダ)
2012-11-02 18:46:36
魔術の玄理を知ってしまえば
無尽に実は活用出来てしまうんだね。
先人ぼぴんずめりーさんは苦いお薬
に砂糖を混ぜ合わせて飲んでしまえば
万事OK
つまりまったく違うものをゆうごうさせて
酸素と水素を混ぜ合わせて水てな具合
実に土着的であり洗練されている
古きを訪ねて新しきを得るってことなんだ
ろーうねぇぇぇぇぇぇー
返信する
海を支配する魔術 (もみ@霜降り体操)
2012-11-02 18:29:41

【七つの海を統御する】

2つの缶入りのソーダを用意して ソーダを飲み、
その缶の上に布を置いて 布で缶の上部を覆うようする。
そのようにして呪文を唱える。

★「水の神よ 我がすべての力によりて
七つの海を統御する力を我に授けたまえ。
我が視界の中で 一切の力を忘却することなし。
常にこれに心を配るが 我が意なれば
ただこの力を 我に与えたまえ。
かくあれかし。」
返信する
じゅず玉の匂い (詩画集 ポケットの星)
2012-11-02 17:55:43
    じゅず玉の匂い

     さびしさが
     つんつん
     こみあげてくる

     じゅず玉を
     つんつん抜いた日の
     ように

     空があおい
     あおい

     さびしさが
     つんつん
     こみあげてくる

     立風書房 みつはしちかこヨリ
返信する
日本のハロウィーンや魔女は 可愛いのイメージが定着 (もみ@豆のこれから)
2012-11-02 16:44:27

|・)…

日本と欧米では「ハロウィーン」「魔女」などの
イメージが ちょっと違う感じかも|・)?

どちらも欧米は「可愛い」のイメージはなくて、
日本ではアニメやキャラクター的な
「可愛い」or「小悪魔的」のイメージが
強くなったみたい。
ハロウィーンの料理レシピを見ても、
日本の場合 やっぱり「可愛い」感じ
なんだよね|・)

ハロウィーンのお化けや怪物の仮装、
こちらは子供でも結構グロテスク|・)

日本人が英語で「魔女」と言いたい場合、
「シャーマン」「ホワイトウィッチ」とか
詳しく 自分の持っている概念を伝えないと、
誤解を招いてしまうばい|・)…
返信する
哲学的断片ノ秋 (大井康暢詩集)
2012-11-02 13:27:46
      哲学的断片ノ秋

花ハ
哲学的断片ノ上ニ咲ク

石を目掛け
力まかせに切り付けた白刃は
足首まで
たたき切った

一瞬の手許が狂って
精妙な直感は
本質を滑ったのだ
はしる血
純潔なる著者の

脳髄を内側から支えていた
女の顔が
二つに割れた

盛り上げる
怒涛に浮いて
鷗か海猫か
するどく
鳴いているらしい

哲学的断片ハ
散リニ散ル銀杏ノ落葉だ

   新編  大井康暢詩集 土曜美術社ヨリ
返信する
巌頭之感 (楽観と悲観)
2012-11-02 13:00:33
藤村操さんの巌頭之感
は有名な言葉でありますが・・・

・・始めてしる大いなる悲観は
大いなる楽観に一致する・・・・・
終章末尾の言葉は恐ろしい響が
あるね・・・・生死は一如だものね・・・・。
以下こびぺ

藤村操出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内、 検索
藤村操
木に書かれた巌頭之感
最期の地(華厳滝)
「藤村操君絶命辞」の碑。青山霊園。藤村 操(ふじむら みさお、1886年(明治19年)7月 - 1903年(明治36年)5月22日)は北海道出身の旧制一高の学生。華厳滝で投身自殺した。自殺現場に残した遺書「巌頭之感」によって当時のマスコミ・知識人に波紋を広げた。

目次 [表示]
1 出自と家庭2 華厳滝の自殺 2.1 遺書「巌頭之感」2.2 自殺の波紋 2.2.1 言及の例2.2.2 偽書の登場2.3 自殺の原因3 事件への取り上げ方4 脚注5 関連項目6 外部リンク

出自と家庭 [編集]祖父の藤村政徳は盛岡藩士であった。父の胖(ゆたか、政徳の長子)は明治維新後、北海道に渡り、事業家として成功する。

操は、1886年(明治19年)に北海道で胖の長男として生まれ、12歳の札幌中学入学直後まで北海道で過ごした。この間の1899年(明治32年)に胖が死去している[1]。その後、東京へ移り、開成中学から一年飛び級での京北中学編入を経て[2]第一高等学校に入学した。

父の藤村胖は、屯田銀行頭取である。
弟の藤村朗は、建築家で三菱地所社長となる。
妹の夫安倍能成は、漱石門下の哲学者。学習院院長や文部大臣を歴任した。
叔父の那珂通世(胖の弟)は、歴史学者である。
華厳滝の自殺 [編集]1903年(明治36年)5月22日、日光の華厳滝において、傍らの木に「巌頭之感」(がんとうのかん)を書き残して自殺。厭世観によるエリート学生の死は「立身出世」を美徳としてきた当時の社会に大きな影響を与え、後を追う者が続出した。警戒中の警察官に保護され未遂に終わった者が多かったものの、藤村の死後4年間で同所で自殺を図った者は185名にのぼった(内既遂が40名)。華厳滝がいまだに自殺の名所として知られるのは、操の死ゆえである[3]。

墓所は東京都港区の青山霊園。

藤村が遺書を記したミズナラの木は、警察により削り取られ伐採されたという。しかし、それを撮影した写真が現存し、現在でも華厳滝でお土産として販売されている。

遺書「巌頭之感」 [編集]藤村が遺書として残した「巌頭之感」の全文は以下の通り。

巌頭之感
悠々たる哉天壤、
遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、
大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。
ホレーショとはシェイクスピア『ハムレット』の登場人物を指すと言われている[4][5]。

「終に死を決するに至る」の箇所を「終に死を決す」としている資料が多いが、誤りである。

自殺の波紋 [編集]彼の死は、一高で彼のクラスの英語を担当していた夏目漱石やその同級生、在学中の岩波茂雄の精神にも大きな打撃を与えた。[6] 漱石は自殺直前の授業中、藤村に「君の英文学の考え方は間違っている」と叱っていた。この事件は漱石が後年、うつ病となった一因とも言われる[7]。

また、黒岩涙香、井上哲次郎、坪内逍遥ら当時の知識人の間でも、藤村の死に対する評価を巡って議論が交わされた。当時のメディアでも、『萬朝報』の主催者であった黒岩涙香が「藤村操の死に就て」と題した講演筆記[8]や叔父那珂道世の痛哭文を載せ、『近時画報』が「巌頭の感」の写真版を載せたのを始め、雑誌も多くこの事件を取り挙げた。

言及の例 [編集]夏目漱石『吾輩は猫である』十より
打ちゃって置くと巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むかも知れない。
『草枕』より
余の視るところにては、かの青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。[9]
「趣味の何物たるをも心得ぬ下司下郎の、わがが卑しき心根に比較して他を賤しむに至っては許しがたい」「ただその死を促すの動機に至っては解しがたい。去れども死その物の壮烈をだに体し得ざるものが、如何にして藤村子の所業を嗤い得べき。かれらは壮烈の最後を遂ぐるの情趣を味い得ざるが故に、たとい正当の事情のもとにも、到底壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主張する。」[10]
偽書の登場 [編集]1907年『煩悶記』也奈義書房出版、岩本無縫篇。内容は藤村操が実は生き延びて書いたとする偽書。出版直後に発売禁止処分になる。

藤村は自殺未遂後、下山し、海賊船で世界を巡り、パリで悟りを開く。それを原稿にまとめて知人に託したものをまとめたものとする。「予は迷ひ初めたり。予は疑ひ初めたり。予は泣きたり、煩悶したり」と始まる。内容は社会主義や無政府主義の強い影響を受けており、発禁処分もそのためとも言われる。現在、3冊しか存在が確認されていない希少本であり、神田古本まつりに出展された際には、147万円の高値がついたことがある。そのうちの一冊は、野間光辰が所有していたことが判明し、また別の一冊を谷沢永一が所有しており、その全文が『遊星群 時代を語る好書録 明治篇』[11]に掲載されている[12][13][14]。

自殺の原因 [編集]自殺直後は、遺書「巌頭之感」の影響もあって、藤村は哲学的な悩みによって自殺をしたものと推測された。今日でもこのように考える者は多い。しかし、自殺の前に藤村が失恋していたことが明らかになり[15]、これを自殺の原因と考える者もいる。恋慕の相手は、菊池大麓の長女多美子である。なお、藤村の自殺の年に多美子は美濃部達吉と結婚した。また、自殺ではなく自決だとの考えもあり、自らの命を軽んずる自殺とは違い、恥の文化による武士道精神に則った行動との解釈も存在する。事実、藤村の死は日露戦争を前に、巨大な西洋文明に対峙し、足下をゆるがされていた多くの知識人を大いに勇気づけた。[要出典]

事件への取り上げ方 [編集]藤村の学力については、基本的なレベルにおける英文読解力が欠如していたとの指摘がある[16]。


端的な例を挙げるとすれば、遺書の中に出てくる、「ホレーショの哲學」という言葉は、ハムレットの次の台詞を参照したものであると推察される。


There are more things in heaven and earth, Horatio, Than are dreamt of in your philosophy.


この文における「your」を藤村は「あなたの」という意味で解釈してしまっている
返信する
西洋の盆と正月が一度に (もみ@百舌鳥)
2012-11-02 12:42:09

|・)(た゜…)

欧州の土着宗教で 10月31日~11月1日は
「盆と正月が一度に来る」特別な時で、
カトリック教会がそれを取り入れて
11月1日を「諸聖人祭」、11月2日を
「死者の日」にしたんだよね|・)

60年代まで 11月1日と2日は、
教会の中でも厳粛に祝われたみたいだけど、
現在はそんなに重い感じは無いね|・)…

本来的にキリスト教と関係無い祭りだから、
キリスト教の原理主義の人で
ハロウィーンを絶対やらないという人も
いるばい。

眠ろうとしてお布団に入った時、
急に幽体離脱が起こって
空に向かって伸びる
テレビの砂嵐のような模様の 中が空洞の
大きな円筒状の何かに
もみは吸い上げられ、
その大きな筒から出ると
沢山の星が光っていたばい。
そして星に向かって行きながら
意識がなくなってしまったばい。

ハロウィーンの夜であった事と
関係があったのかな|・)?
返信する
万聖節 ハロウィーン (カルチャーショック)
2012-11-02 11:43:31
やっぱり西洋圏の話し、教会などは
それなりのセレモニーがあるんだろうね
日本にはバレンタインデーみたいなものも
定着しているし、和洋折衷も悪くはない
けれど・・・・・・・・・

イースター?万聖節に近所の子供たちが
無気味なお面や服を魔とって
お菓子を貰いにくる習慣があるみたいだけど
ピストルで撃たれた日本の子供さんがいた
りしてね。
そもハロウイーンとは何た゜べや
以下こぴぺ
ハロウィン、あるいはハロウィーン(Halloween, Hallowe'en)は、ヨーロッパを起源とする民俗行事で、毎年10月31日の晩に行われる。西ヨーロッパ古代のペイガニズムにもとづく死者の祭りおよび収穫祭、とりわけケルト人の行うサウィン祭(英語版)に由来するとされている。由来と歴史的経緯からアングロ・サクソン系諸国で盛大に行われ、今日イメージするハロウィンの習俗は19世紀後半以降、アメリカの非宗教的大衆文化として広まったものである。

ハロウィンという語そのものから連想すると、カトリックあるいはキリスト教の行事と誤認されがちであるが、本来無関係である。その語源は日付上の関連によるものにすぎない。ケルト人は、自然崇拝からケルト系キリスト教を経てカトリックへと改宗していった。カトリックでは11月1日を諸聖人の日(万聖節)としているが、この行事はその前晩にあたることから、後に諸聖人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜)、Hallowseveが訛って、Halloweenと呼ばれるようになった。そもそも魑魅魍魎が跋扈するハロウィンの世界は、福音を説くキリストの教えと相容れるものではない。

目次 [表示]
1 概要2 歴史3 キリスト教との関連4 ハロウィンの行事 4.1 トリック・オア・トリート4.2 ジャックランタン4.3 仮装4.4 ダック・アップル5 日本での受容6 ハロウィンが題材の作品 6.1 映画6.2 書籍6.3 音楽7 脚注8 関連項目

概要 [編集]ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。これに因み、31日の夜、カボチャ(本来はカブ。スコットランドではカブの一種の「スィード (swede) 」を用いる[1]。)をくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャックランタン (Jack-o'-lantern) 」を作り、魔女やお化けに仮装した子供達が近くの家を1軒ずつ訪ねては「トリック・オア・トリート(Trick or treat. ご馳走をくれないと悪戯するよ)」と唱える。家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちは貰ったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりする。お菓子がもらえなかった場合は報復の悪戯をしてもよい。

現代では主にアイルランド、イギリス、アメリカ、カナダ、プエルトリコ、ニュージーランド、そしてオーストラリアの一部に広まっている。これらの国ではハロウィンが盛大に開かれるが、プロテスタント信徒が多いせいもあって、その翌日にあたる諸聖人の日には、通常これといった行事は催されない。宗教改革以降、プロテスタント諸国ではカトリック教会の祝日である諸聖人の日が徐々に廃れたため、ハロウィンのみが残された格好になっている。

アメリカの一部キリスト教系学校では、ハロウィンがキリスト教由来の行事ではないことから、「ハロウィンを行わないように」という通達が出されることがある[2]。

東方教会(正教会・東方諸教会)の広まる地域(東欧・中東など)においてはハロウィンはあまり普及していない。ロンドンにあるロシア正教会の司祭はハロウィンを「死のカルト」であると批判している[3]。またロシアにおいてはロシア教育省が宗教行事の一環であることを理由に、公立学校に対してハロウィンの関連行事を行わないよう通達を出している。

カトリック信徒の多いラテン系諸国(イタリア・スペイン・ポルトガルおよび中南米諸国)ではあまり普及していない。これらの国においては、諸聖人の日が重要視されており、祝日に制定している国もある。

ドイツと日本においてはアメリカの大衆文化として一部受容されている(日本については後述)。

歴史 [編集]
ハロウィンのために魔女やお化けに仮装した子供たち古代ケルトのドルイドの信仰では、新年の始まりは冬の季節の始まりである11月1日のサウィン(サオィン /ˈsaʊ.ɪn/、サワーン /ˈsaʊn/、サーウィン /ˈsɑːwɪn/[4]または、サウィーン、サーオィン、サムハイン)祭であった。ちょうど短い日が新しい年の始まりを示していたように、日没は新しい日の始まりを意味していた。したがって、この収穫祭は毎年現在の暦で言えば10月31日の夜に始まった。アイルランドと英国のドルイド祭司たちは、火をつけ、作物と動物の犠牲を捧げた。また、ドルイド祭司たちが火のまわりで踊るとともに、太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節が始まった。

11月1日の朝が来ると、ドルイド祭司は、各家庭にこの火から燃えさしを与えた。各家族は、この火を家に持ち帰り、かまどの火を新しくつけて家を暖め、「妖精」(「シー (Sith) 」と呼ばれる。女の妖精はバンシーと呼ばれた)などの悪霊が入らないようにする。というのも、1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていたからである。

祭典ではかがり火が大きな役割を演じた。村民たちは、した牛の骨を炎の上に投げ込んだ。かがり火が燃え上がると、村人たちは他のすべての火を消した。その後、各家族は厳粛にこの共通の炎から炉床に火をつけた。アイルランドでは10月最後の月曜が祝日となっており、ハロウィンを祝う習慣が最も純粋な形で残っている。この祝日に続く週は、学期の半ばであるがすべての学校が休みになり、一般にハロウィン休みと呼ばれる。

ハロウィンの習慣は、イングランド南部では17世紀以降、11月5日の火薬陰謀事件の記念日(ガイ・フォークス・デイ)に置き換わり、廃れた。しかしながら、スコットランドおよびイングランド北部においては広く普及したままであった。

キリスト教との関連 [編集]キリスト教は紀元後、現在にいたるまで西欧文化と不可分の関係にあり、ことに信仰とは離れた民間習俗では往々にして聖俗の習合もまま起こりうる。ケルト人への宣教にあたりサウィン祭をキリスト教に取り込んだのが現在のハロウィンであるという説がまことしやかに語られることがあるが、実際は積極的に取り込んだのではなく、異教の習俗を排除しきれなかったにすぎない[5]。その後、ペイガニズムやケルト文化が衰退したこともキリスト教との関連を際立たせている。たとえば、わが国ではカトリック教会をはじめ、多くのキリスト教会が七五三の祝福を正式な教会行事として行っているが[6][7]、仮に神道が衰退するようなことがあったとしても、だれも七五三がキリスト教の行事とは考えないであろう。

カトリック教会の諸聖人の日は609年に導入され、当初は5月13日に祝われていたが、835年、ローマ教皇グレゴリウス4世により現在の11月1日に変更された。これがケルトのサウィン祭の影響によるものとの指摘も一部にはあるが、定かではない。いずれにせよハロウィンという名称すなわち「諸聖人の日前夜」はこれ以後に用いられるようになったと考えられるが、現在確認されている使用例は、はるか後の16世紀にみられるものが最古である[8]。

現在のキリスト教会のハロウィンに対する態度はさまざまである。

肯定的あるいは中立的
宗教には関係ないと割り切って、参加してもよい[9]
キリスト教の行事ではないことを明確にし、娯楽として楽しむのならよい[10]
キリスト教の伝統の中でなおも保持された風習に、キリスト教的意義を見出すことが大事[11]
起源・歴史を知り、真実を伝えていくことが大切[12]
否定的
キリスト教信仰とは無縁、むしろ対立する恐ろしい悪魔崇拝である[13]
死神と邪悪な霊をたたえ、傷害事件まで誘発している[14]
ハロウィンの行事 [編集] トリック・オア・トリート [編集]
ハロウィンを記念するカードの一つ「トリック・オア・トリート (Trick or Treat) 」の習慣は、クリスマスの時期の酒宴(古い英語で wassailing と呼ばれる)の習慣に似た、soulingと呼ばれるヨーロッパの習慣から発展したと思われる。11月2日の死者の日(万霊節)に、キリスト教徒は「魂のケーキ (soul cake) [15]」を乞いながら、村から村へと歩いた。物乞いをするときには、亡くなった親類の霊魂の天国への道を助けるためのお祈りをすると約束した。魂のケーキの分配は、サウィン祭のとき徘徊する幽霊に食べ物とワインを残す古代の風習に代わるものとして、キリスト教会によって奨励された。

ジャックランタン [編集]
ジャックランタンジャックランタン(英: Jack-o'-Lantern, ジャック・オ・ランターン)お化けカボチャ、カボチャちょうちん)は、オレンジ色のカボチャをくりぬき、刻み目を入れ、内側からろうそくで照らしたもので、最もハロウィンらしいシンボルである。ハロウィンを祝う家庭では、カボチャを刻んで怖い顔や滑稽な顔を作り、悪い霊を怖がらせて追い払うため、ハロウィンの晩、家の戸口の上り段に置く。これは「ウィル・オー・ザ・ウィスプ」を象徴したものである。

詳細は「ジャックランタン」および「ウィル・オー・ザ・ウィスプ」を参照

仮装 [編集]
大きくオレンジ色の外皮が特徴的なアメリカのカボチャハロウィンで仮装されるものには、幽霊、魔女、コウモリ、黒猫、ゴブリン、バンシー、ゾンビ、魔神、などの民間で伝承されるものや、ドラキュラやフランケンシュタインのような文学作品に登場する怪物が含まれる。ハロウィン前後の時期には、これらのシンボルで家を飾る。

1990年代以降、仮装の対象としてあまり扱われなくなったモチーフも多い。黒人・インディアンなどは人種差別の見地から、妊婦や身体障害者なども同様の見地から好まれないようになった。

ダック・アップル [編集]「 ダック・アップル (Duck Apple) 」(リンゴ食い競争)はハロウィン・パーティーで行われる余興の1つで、水を入れた大きめのたらいにリンゴを浮かべ、手を使わずに口でくわえてとるゲーム[1]。

アガサ・クリスティ著『ハロウィーン・パーティー』の中ではこのリンゴ食い競争の他[16]、昔から代々伝わってきたゲームとして、小麦粉の山から6ペンス硬貨を落とさないよう小麦粉を順番に削り取る「小麦粉切り」や、ブランディが燃えている皿から干しブドウを取り出す「スナップ・ドラゴン」(ブドウつまみ)などが紹介されている。

日本での受容 [編集]日本では宗教的背景の上でハロウィンを開催している例は皆無といってよく、クリスマス等と同じくあくまでイベントとして楽しむもので、娯楽化、商業化されたものである。

ハロウィンのパレードとしてはJR川崎駅前の「カワサキ・ハロウィン・パレード」が知られる。このパレードでは約3000人による仮装パレードで約10万人の人出を数える(2012年で16回目)[17]。

東京ディズニーランドでも1999年まで関連の催しは特になかった。しかし、2000年に入ってから次第に秋のイベントして恒例化し、今では9月初旬から始まる大きなイベントとなっている。

欧米系島民が多数在住
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