宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「正神の感応」

2014年05月02日 | Weblog








正神は 人間に容易に言葉を告げられず、
告げたとしても 一文字の無駄もない 最低限の言葉しか語られず、
また 象徴的なビジョンによって 人間に示される事も多く


自称 霊能者・神界交流者による
神仏のお告げを聞いたとか 神仏と話しをしたという体験談が多いのですが、
そのような言葉を見ると 無駄な言葉の多い 人間の想像可能域にある内容しかなく、
それによって 偽りであるという事がわかります。


以下 ネットに投稿されていた体験談で
敬神の念の篤い工場経営者が自死を考えられていた時に 正神によって 自己の死後の姿を示されて 
自死を思いとどまられたというものです。




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もうだいぶ前のことになりますが、当時私は金属加工の小さな工場を経営していて、
折からの不況もあってその経営に行き詰まっていました。
そしてお恥ずかしい話ですが、自殺を考えたのです。

もう子供たちは成人しておりましたし、負債は生命保険で何とかできると思われる額でした。
今にして思えば何とでも道はあったのですが、精神的に追い詰められるとはあのことでしょう。
その時はそれしか考えられなくなっていました。

五月の連休の期間に、家族には告げずに郷里に帰りました。
郷里といってももう実家は存在していなかったのですが、
自分が子供の頃に遊んだ山河は残っていました。
この帰郷の目的は、裏山にある古い神社に『これから死にます』という報告をしようと思ったことです。
昔檀家だった寺もあったのですが、
住職やその家族に会って現況をあれこれ聞かれるのが嫌で、
そこに行くことは考えませんでした。



神社に行くまで少し坂を上りますので、鳥居をくぐったときにはだいぶ汗ばんでいました。
この神社は村の氏神のようなものですが、過疎化の進んだ昨今は常駐する神主もおりません。
例祭のとき以外にはめったにお参りする人もいないような所です。

大きな石に山水をひいた手水鉢で手を清めようとして、ふとその底をのぞき込んだときに、
くらくらと目眩がして、水に頭から突っ込んでしまいました。
深さは五十センチ程度だったと思うのですが、
私の体はストーンとそのまま手水鉢の中に落ち込んでしまいました。
そしてかなりの高さを落ちていった気がします。

ばしゃっと音をたてて、井戸の底のような所に落ち込みました。
ショックはあったのですが、そのわりには体に痛いところはありませんでした。
そこはおかしな空間で、半径1.5mほどの茶筒の底のようで、
1mくらい水が溜まった中に私は立っています。
回りの壁は平らでつるつるしていて、しかも真珠のような色と光沢で内部から光っているのです。
一番不思議なのは、真上10mくらいのところに手水鉢と思われる穴があり、
水がゆらるらとゆらいで見えることです。
しかし私自身の顔は空気中にあり、下半身は水の中にいるのです。



私が浸かっている水はまったく濁りがなく透明で、さして冷たくはありません。
底の方を見ていると、足元に20cmばかりの井守がいるのに気づきました。
それだけではありません。
井守は一匹の小さな青蛙を足の方から半分ほどくわえ込んでいます。
蛙はまだ生きていて、逃れようと手をばたつかせますがどうにもなりません。
その状態が長い時間続いているようです。

私はふと、その蛙の姿が工場の資金繰りに行き詰まってもがいている自分のようで、
かがんで手を伸ばし助けてやろうとしました、
その時、頭の中に声が聞こえたのです。

『そうだ、その蛙はお前だ。ただし今のお前ではなく、自死したのち罰を受けているお前の姿だ』


私はあっと思いました。
がつん、ばしゃっという衝撃があり、
気がつくと手水鉢の縁に頭をぶつけていました。少し血が出ました。
血は神社の境内では不浄と思ったので、ハンカチで押さえながら急いで鳥居の外に出ました。
体は少しも濡れたりはしていません。
そしてその時には、あれほど頭の中を占めていた自殺という考えはすっかりなくなっていたのです。

郷里から帰った私は奮闘し、工場の経営を立て直しました。
そして毎年その神社へのお参りはかかしていません。
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3 コメント

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アース (詩集 午後の睡り)
2014-05-02 21:16:56
           アース

地面にねっころがると
地球からのメッセージが受け取れるそうだ
だから
歩き始めたばかりのサヨは
やわらかい土の上ではなく
モールの硬い地面にねっころがる
ママがおっきしなさい

おっきしなさい
と何度も懇願するのに
なかなか起き上がってこないのは
ショッピングモールの床から
遠い地球のメッセージを
受け取るのに手間取っているのだろうか

樹も花も鳥も
風とともに私たちに語りかけるのが
聴こえるひとがいるそうだ
だから
ひとりになったばかりのサヨは
散歩の途中で並木の細い幹に抱きついて
うぐうぐ話しているのだろうか

カーテンが揺れる
透き間から
冬の太陽の光が一瞬強く差し込んだ
 「あー ばあしゃん」
預言者のように
サヨが光を指差した
指の先に光が
ちいさな虹になってとまっている
そのときふいに
なにがあっても
この先地球の未来が明るく続くような
そんな気がして
私は

思わず涙ぐんでしまったのだ
ちいさなサヨの
たっぷりしたふわふわの髪に顔をうずめて
太陽にさらされた干し草に似た
髪のにおいにつつまれて

土曜美術社 詩集 午後の睡り 井手ひとみ
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ゲげっと Old (老いるショック)
2014-05-02 23:29:41
 最近は良く近隣の森林の中に入ってて散策
そのうちマムシ君に遭遇するかも未知との・・
一度猪と遭遇して、挙句の果て山林の中で
道に迷って、ズボンのヒップは山からスベリ
下りるときに穴はアナーキィー 猪のは性別は
彼か彼女かわからねど健啖な吐息まで聞こえて
ヒンヤリびびびのび。もみさんこの猪と遭遇した
ことを何と言うのか知ってる?
      開口健

では明日のリクエスト  よろしく

今井美樹 Miki Imai - 20才のころ (LIVE)

スパイダース 真珠の涙

加山雄三   まだ見ぬ恋人よ

*此処にもみさん 二曲

Mr melody Natalie Cole

Morning Train Shena Easton

Mony Mony Billy Idol

*此処からバトンタッチ よろしく 金蠅~
返信する
正神の感応 (もみ@自性寺焼)
2014-05-03 07:40:21

|・)…

正神から何かを直接教えられる事は
実際には少なくて、
多くは ビジョンやインスピレーションや神託を通じて
教えられるものなのだけど、
自称神界出入者は
神仙から何かをいつも直接教わっているような話しが多い一方で、
新しい知識をもたらすような事もなく、
どこかからの受け売りとか
どこかで聞いたり読んだ事があるような話しばっかりばい。
返信する

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