楽善な日々

新社会人となった楽と、大学生善、おとん、そしておかんの日々を綴ります。新しい街に引っ越して、新しいスタートを切りました。

生きること 死ぬこと 

2022年06月28日 | 2022年日記
本棚が林立する和室に
ヨガマットを敷いて、汗だくで色々なポーズを試す昼下がり。

ポーズをとっている最中にふと目にとまった本がある。
「森本哲郎 世界への旅」全集。

9冊目を選んで読んでみた。
副題が「生き方の研究 続生き方の研究 あしたへの旅」
とあって、なんだか興味をひかれたから。

最初の章は「人生の短さについてーセネカ」

シェイクスピアは人生を「束の間の灯」と言ったそうだ。
人生50年という時代もあったのだから、
今の私は人生を生き切っていることになる。
夏目漱石も、松尾芭蕉も50歳で亡くなっているらしい。
松尾芭蕉はもっともっとおじいさんだと思っていたのに、年下だったとは。

私の52年も、必死で生きているうちに、あっという間に過ぎていった。
外国から日本に帰ってきて、カルチャーショックと戦っている日々あり、
おとんと出会い、楽が生まれ、善が生まれ、家族を作っていく日々あり、
転勤族となり、各地を転々と移動していく日々あり、
様々な仕事と出会い働く日々あり、退職して介護に取り組む日々あり。
ふと気が付くと、もうこんなところまで来ていた。
あっという間の52年。

でもセネカは言う。
「人生は短いのではない」と。
『われわれがそれを短くしているのだ』と。

人はどうしても心が忙しくなってしまう生き物だ。
他人の意見に左右されたり、人と比べたり、
欲望を満たそうとあくせくしていたり、
見栄や嫉妬で心がいっぱいになってしまったり。
いつも、心がざわざわしている。

高級レストランでコース料理を食べているとする。
アペタイザーは美味しそうだけど、
心がざわざわ忙しすぎて食事に集中できない。
気が付くと、食後のコーヒーが出されていた。
メインメニューはなんだっただろうか。
デザートなんて出てきたかしら。
なんていうことにもなりそう。
食事会が、人生に置き換わったとしたら、どうだろう。
気が付かないうちに終わってしまうなんて、悲しい。

セネカは勧める。
「毎日毎日を最後の一日」のように思って生きることを。
「それは、明日を頼りにして今日を失わないことである。
そして、多忙(心の多忙)からできるだけ解放されることだ」

食事会は一度きり、と思うと、
どのメニューも味わいつくして食べたいと思うはず。
「このお肉のジューシーなこと」なんて感想を言いながら。
人生も味わいつくしていきたい。
甘いものから、辛いものまで、
全部を味わっていこう。
そうするためには、心を忙しくせず、
足るを知ることが大事。
あれもこれもと心を忙しくせずに、
目の前にあることをじっくりと経験していこう。

最後に書かれていたセネカの言葉も興味深かった。
「生きることは生涯をかけて学ぶべきことである。
 そして、おそらくそれ以上に不思議に思われるであろうが、
生涯をかけて学ぶべきは死ぬことである。」

生きること
死ぬこと
足るを知ること

学ぶことはたくさんある。

6月28日  おかん










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