うれしたのしおいし

風の吹くまま気の向くままな日々

青の絶景と炎の地獄門・後記

2019年11月22日 | ’19 ウズベキスタン・トルクメニスタン8日間

日本で両替はできず
現地で米ドルからの両替になる。
現地旅行社がそれそれ両替パックを用意している。

ウズベキスタンでは30ドルで225000スムに両替
トイレチップが1000スム、ビール30000スムなど
トイレチップやショップでは現地通貨しか使えないが
レストランなどでの飲み物代は米ドルが使えたので
最初に両替した分だけで大丈夫だった、というか9000スム残った。

トルクメニスタンでは40ドル240マナト両替
カメラチップだけで二人で60マナト
ショップも現地通貨しか使えなかったが
こちらもレストランなどではドル払いができたので
初めに両替した分だけでよかった。
結構残ってしまったので
4WDのドライバーにチップとして渡したので残金は無し。


家にあった米ドルと空港で両替したドルを持って飛び立ったが
ツアー後に残金を調べたところ
両替した以上のドルが残っていたのでびっくり

買い物をしないのでそりゃあいらないわねぇと思ったけど・・・
しょうがない
ドルを消費しに出かけるしかないか

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青の絶景と炎の地獄門・7日目・タシケント市内観光

2019年11月20日 | ’19 ウズベキスタン・トルクメニスタン8日間

地下鉄体験乗車
ソ連邦時代の1977年にオープンしたタシュケント地下鉄は
もともと核シェルターの役割で設計され
軍事施設として指定されたため
カメラ及びビデオカメラの撮影は禁止されてましたが
2018年にカメラに限り解除されました。

3路線29駅あるそうです。


これは地下鉄のトークンです。1200スム:約17円くらい
区間関係なくトークン一枚で行けます、安っ













大理石の壁面、セラミックの壁画、シャンデリア
ちょっとゴージャスでアートな地下鉄ということで
知られているところだそうですが
そういうことは帰国してから知りました。
知ってたらもっと構内の写真を撮るんだったのに


一駅だけの体験乗車の後
地上へ出て、歩いてナヴォイ・オペラ・バレエ劇場へ











シベリアからの抑留者が建設した劇場です。
1966年、直下型地震で壊滅的な被害のタシケントでも
無傷だったナヴォイ劇場



日本人抑留者墓地にお参りに行きました、胸が詰まります。


工芸博物館




















ツアー最後の夕食




初めにテーブルに並んでいたもの









盛り付けるとこんな感じ


お豆のスープ


ビーフストロガノフ


デザートは撮り忘れみたい・・・

 
直行便でセントレアへ
         タシケント発 21:05
         セントレア着 8:25 



ブログ終盤はやっつけ仕事になってしまいましたが
これにてウズベク旅行記は終了です

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青の絶景と炎の地獄門・7日目・タシケントへ移動

2019年11月17日 | ’19 ウズベキスタン・トルクメニスタン8日間

 国内線にてタシケントへ

ウルゲンチ 9:35発
タシケント 12:10着

午後、タシケント市内観光
*地下鉄乗車体験
*ナボイ・オペラ・バレエ劇場
*日本人抑留者墓地
*工芸博物館

朝食は6:30~、何故かなぁ写真撮ってないみたいです・・・

7:20 チェックアウト                 

ウルゲンチの街を車窓から


















ウルゲンチ空港滑走路機内から




ウルゲンチ上空







タシケント空港到着






タシケント市内を車窓から






トルクメニスタンではあまり目にすることのなかったCM看板














午後一時半、遅めの昼食


















ランチ後は市内観光げ残っています。

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青の絶景と炎の地獄門・6日目・ヒバ

2019年11月14日 | ’19 ウズベキスタン・トルクメニスタン8日間

クフナウルゲンチでランチの後(14時)
国境のタシャウスまで約90分
揺れに少し慣れたのかほとんど居眠り

国境まで頑張ってくれた4WDのドライバーに
残っていたトルクメニスタンの紙幣を全部チップとして渡しました。

ありがとう~ 

国境の入り口(出口?)の門の前までくると
手に手にお札を持った男たちに囲まれ
トルクメニスタン:マナトをウズベキスタン:スムに両替するよ~
お金残ってるだろう?

ちょっと惜しいことしちゃったかな


国境越えは
資料によると、三日目のと同じように
頻繁なパスポートチェック、混乗バスなどと書いてあるんだけど
実は
この国境越えの記憶がほぼ残って無いの・・・
夫にも聞いてみたけど、大差なく・・・
写真でもあればそれをもとに記憶の糸もほぐすことがあるんだろうけど
なにもないのですっかりさっぱり・・・
すんなりと1時間半くらいでウズベキスタンに入国しました。


国境から本日のホテルのあるヒバまでは約90分


古代ペルシャ時代からカラクム砂漠の玄関口として繁栄したウズベキスタン西部の都市ヒヴァ。
外敵からの侵入を防ぐために、外壁(デシャンカラ)・内壁(イチャンカラ)と二重の城壁で街を守られていました。
城壁内は歩いて数々のモスク、メドレセ、ミナレットが観光できます。

「旅のしおり」には、ホテルは城壁の外にあるため
城壁内に入ることはできませんという案内文がありました
18時前にホテルに到着できました。
何故だろう、ホテルの写真がほぼありません・・・
多分普通のホテルだったんでしょう・・・悪かったという記憶もないので

ホテル到着は17時半、19時からホテルのダイニングで夕食~

おなじみのナンは切り分けられていました。


ビーツと赤キャベツのサラダ



ピーマンにベーコンと野菜の炒め物が乗っかってる。
ピーマンはそのままのかたちで中身の種ごと食べる。



茄子の天ぷら風のものに、トマトペースト。



ニンニクの効いたサラダ、かな?



鶏・じゃがいも・にんじんなど、具だくさんの麺スープ



多分お肉のミンチの春巻き風・・・かな?

デザートは撮り忘れたらしい

食事中に城壁内に入れるらしいという事を聞いて
添乗員・Uくんに、夜の外出は大丈夫かと確認すると
「普通に注意してれば大丈夫です。迷わないように気を付けてくださいね」

ではでは

ホテルの外は暗い、、、
イチャンカラの城壁沿いに歩くと入場できる門があるそうなので


ミナレットを目印に入り口を探して


賑やかな音楽と人の声が聞こえてきた。

マーケットのようですが、見るだけ見るだけで
美味しそうな匂いもただよっていました。


その場所を一歩出ると、静かー、誰かいないのー


明るいほうへ移動











青の彩釉タイルで覆われた美しい塔です。
ライトアップの照明のためか、青というより緑っぽく見えましたが。
残念ながら未完成です。(理由は諸説あるそうです)
基礎部の直径が14.2mもあるので、
完成していたら70〜80mにもなっただろうと言われていますが、
結局26mで終わってしまいました。








城壁は内壁と外壁の二重になっており、内壁の内部をイチャン・カラと言います。
イチャン・カラは高さ約8m、厚さ約6m、長さ2100mの城壁に囲まれていて
南北に約650m、東西に約400mの小さな町になっています。




メインの西門と西門前の広場
広場の向こう側のライトアップはクフナアルクという17世紀のハーンの居城らしい。


来た道を帰る手もあったけど、違う道を行ってみよう

西門を出て城壁沿いに歩けば、いつかホテルに着くはず

ホントに暗い、、、、、人も車もまばら、、、ちょっと小走り

灯りが見えたと思ったらホテルだった、無事生還



家に帰り、グーグルで確かめるとこんな感じ

右端の星印がホテル。一時間弱の冒険だった。
イチャンカラには20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットなど多くの遺跡があって
ユネスコの文化遺産に登録されてるそうです。
昼間ならいろいろな建物に入場したり、登ったりもできます。
今回の旅はヒバはただ通過するだけの場所だったのでここでの観光は無し。
夜の散策はおまけでした。
教えてくれたツアー仲間のお嬢さんに感謝

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青の絶景と炎の地獄門・6日目・クフナウルゲンチ

2019年11月12日 | ’19 ウズベキスタン・トルクメニスタン8日間

寝袋二枚重ねで快適睡眠がとれました。


明るくなると地獄の門も目立たな~い


明るくなって目覚めたので
7時朝食、8時出発は忙しかった

朝ご飯はパン・リンゴ・ジュース・温かい飲み物



Uくんの手作り資料で今日の行程を確認


4WDに分乗して出発~

地獄の門を周ってくれました。
矢印が展望した山(丘)

昼間見ると迫力無いけど、熱いよ~



クフナウルゲンチまで4時間 がんばるぞ


隊列を組んで進む



ラクダ 野生の






車なんて気にしな~いのね



道路脇の窪地で青空トイレ、、、出発一時間でもう
女性は右へ、男性は左へ分かれて







砂色のモニュメントバレー みたいな風景



見た目は舗装路のようなんですがデコボコで
まるでラリーのような走りです。

前車の砂煙を避けて右に行ったり左に行ったり





時には視界が

デコボコが凄い、そして対向車も来るから(右側通行です)


街に近づくと所々で白い山。
綿花の収穫の季節で畑からトラックや荷車で運ばれた綿花が
ベルトコンベアーで山のように積まれて飛散防止のシートで覆ってあります。


ここはまだ収穫が始まっていない畑。


お米も作ってるんです。




揺られ揺られて4時間、クフナウルゲンチに到着。

世界遺産のクフナウルゲンチ
12世紀から13世紀初頭にかけてが黄金時代であったが
1221年、チンギスハンが中央アジアへの進出を開始して
人類史に類を見ない大虐殺を展開しました。
その後、復興を見せることとなるが
1370年には、アムダリア川の流れが北に変わったことにより
自然による都市の破壊が始まりました。
現在のクフナウルゲンチの遺構は多くが全壊あるいは半壊に近い状態です。
2005年に世界遺産に登録されました。

*イル・アルスラン廟
スルタン・テケシュの父親の廟





*スルタン・テケシュ廟
クフナウルゲンチの最盛期のテケシュの廟
一部修復中。








*クトゥルグ・ティムール・ミナレット
11世紀から12世紀に建設された
タカさ60m、中央アジアで最も高いミナレット。










*トレベクハニム廟
14世紀に建設された、クトルグティムールの夫人トレベクハニムの廟。
クフナウルゲンチで最も大きな建築物。










天井のブルーのモザイクは
一年の日数、月日、時間を表してるそうですが・・・



一時間ほどの観光の後。街のレストランでランチ。






具だくさんの牛肉入りスープ



ほぼ餃子、水餃子みたい


甘いケーキ



美味しかったと思う、、、疲れた、、、

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