ufoのブログ  貝のあくび

終活の徒然に、思いつくままの雑記帳。

台風で・・・・

2012年09月30日 | 日記
子供の頃、台風が近づく予報がラジオから流れると、どこの家も強風に備えトントンカンカンと釘を

打ち付ける音が、彼方此方から慌ただしく聞こえたものだ。

何の補強をしなくてもいい頑丈な造りの家は、近所には無かった様に思う。

板塀や雨戸も倒れたり、外れないように補強の釘付けや突っ張り棒で補強していた。

子供心なりに、大人たちの動きを見ながら落ち着かずソワソワ。

その内、町内唯一の電話設置の薬屋に休校の連絡があり、児童の各家庭に伝言ゲームの様に伝わる。

その時点で私のソワソワは掻き消され、雨の中を友達の家に行ったり来たりワクワク。

大人の心配も知らず、しばらく台風が止まってくれればいいのにな・・と燥いだりして叱られたものだ。

そんな事を思い出しながら、時々鳴る電線の音を聞いている。

被害者が出ない内に早い通過を望みたい。


手の日焼け

2012年09月29日 | 日記
この前の二日続きの釣りで、痒かった両手の甲の皮膚が、やっと剥がれ脱皮?が終わった。

長年この手を愛用しているが、日焼けで皮膚が剥がれたことは無かった。

背中なら、シャツでも着れば隠せるが、オトコの手は難しい。

レースの手袋を付ける訳にもいかず、地図状に白く皮膚が剥がれ掛った手は見た目にも汚い。

日焼けと思う人は少ないだろうし、多分皮膚病と見ただろう。

買い物でも、手の甲が見えないように支払を済ませるのは難しく、不快感を与えないようにハンドクリームを

塗って行った。

何年かの間母に付き合っていて、釣りから遠ざかっていたが、手の甲が日焼けで脱皮?するなど思いもしなかった

釣り用の手袋も夏用はあるが、暑い時は素手ほど涼しい物は無いから使わなかったが、これからは

なるべく着用しよう、人前で手を出すのに気を使う事になるから。





潟スキーでもないし・・・・

2012年09月26日 | 日記
この前、海岸沿いを徘徊してた時に、何やら楽しそうな風景が目に付いた。

車を止め観察したら、ボディーボードを両手で持ち、勢いよく駆け出してから前方に

ボードを投げだし、それに飛び乗って滑っている。

駆けるスピードと、投げ出す位置が難しそうに見えたが、上手く乗れても滑る距離は7~8メートル位だ。

誰も居なかったら、ちょっと真似てみたいような気もするが、後で筋肉痛が問題になるかも。

何と言うアソビか知らないけど、多分泳げないカナヅチ組が考えたのだと思う。

スケボーは転べば痛いし、スノボーはまだ早いし、その結果コレかな ?。

干潟を遊び場にとはよく考えたものだ、私の感覚では潮干狩しか思いつかない。

しかし若者には私が毎日乗っている,ネンキンボード ? は知らないと思う。

薄氷に乗るような暮らしで、生きるか死ぬかスリルを味わえる生き方をしている事を。 


ボードが前過ぎたー

なぜか気になる・・・

2012年09月25日 | 日記
私はアンテナの生まれ変わりではないが、このアンテナがやはり気になる。

昔行っていたスキー場の外れに立っていた。

当時は麓のロッジも数多くあったが殆ど取り壊されて、あとはホテルになった所もある。

そんな中に、アナログ用かと思うアンテナが取り残されていた。

電波を受け、テレビに繋がっていた頃はもう少し大事にされていただろう。

今は、蔓草を支える事に生きがいを見つけたのか、仕方なく絡まれているのか分からないが、

曲がり具合から、おそらくこの秋が見納めだろう。

冬の雪の重みに耐えられる姿勢は、もうすでに無くしているようだ。

その姿が、これからの私を暗示するように思え、気になるのかもしれない。

知人の墓参で・・・・

2012年09月23日 | 日記
明け方4時頃まで土砂降りだった雨も、夜明けとともに止んだ。

7時頃の西の空に青空が見えだし、もう降る心配はないだろう。

午前の予定も無いし、昼までに知人の墓参りに行くことにした。

グラスをポケットに押し込み、コンビニでオールドを買い、ツマミは無し。

食べ物は、カラスが散らかすから供えても帰りには持ち帰る事になる。

日曜は混雑も無く、30分ほどで着いた。

線香をあげ、読経後グラスに注ぎ、乾杯とは行かないが昔話をしてきた。

帰りの駐車場で息子さんに出会い、帰りにウイスキーは下げておくように頼んだら、

今日は運がいいと笑っていた。

私はいつも墓前には、好物のウイスキーを供えることにしているので、その始末は、

私の直後に来た兄弟の誰かが持ち帰る事に自然に決まったらしい。

今日の息子さんは末っ子で、まだ兄が3人居り、だれもが父親譲りの酒好きで、持ち帰って

飲んでくれるらしい。

キープボトルなみに、小さく日付を入れているが、墓前に何日も有る事は無いと言い、

父親の命日を4人全員が忘れることも無いからと言つた。

もし、僅かの時間に誰かが劇薬でも入れたらどうする? と言うと、笑いながらすかさず

そんな事するのは○○さんしか居ないから、しっかりバケて出るから構わない・・・と。

○○さんとは、私の事なのだ。

中学生の頃から知っているが、それが3人の親になり50代に近いとは・・・・・

過ぎた時間は早すぎる。

お世辞に「若いなあー変わらんぞ」と言ってやったのに、「○○さんこそー若いですよー」と

答礼のコトバは無かった。  私も歳相応にしか見えなくなったか、アイツの視力が・・・・

偶に走れば・・・・

2012年09月22日 | 日記
昨日の疲れか、目覚めたら9時だった。

普段は買い物で5~6分のドライブか、精々10キロ圏位で済む事ばかりなので、

100キロ圏超の往復は疲れた。

行きは運悪く、大型トラックの後ろを走る事になったが、蛇行と頻繁なブレーキングで明らかに

居眠り走行の状態。

危ないので車間を開けたが、誰も入ってこず後ろからは煽られる。

追い越し車線に移り一気に抜きたいが、平日でもあり通行量も多く中々変われずそのまま我慢。

10分程経って、追い越し車線に間が出来たので入ろうとウインカーを点け移動し始めたらたら、

全く同時にそのトラックは合図も無く変更を始めた。

また後ろを走る事になったが、蛇行もブレーキも変わらない。

蛇行もタイヤ幅2個分は完全にラインを超え、其の度にコンテナが大きく傾ぐ。

追い越し車線に入りながら、スピードはそのままでどうしょうもない。

走行車線の車も、それに気付いたのかそのトラックとの並走を避けだした。

その開いた走行車線に戻るには、もう少しスピードが欲しいがトラックに接近するのも危ない。

イライラドキドキが30分も続いただろうか、やっと登坂車線に掛った。 が・・・・

トラックはそのまま走行を続けスピードが落ちた。

私も限界だったのか、クラクションを押しっ放しで付いて行ったら、やっと車線を空けた。

目が覚めたのかどうか分からないが、寝起きの悪いおニイさんが進路を塞ぎ降りてきたら・・・と

後で考えたら一寸軽率だったかなと思った。

しかし、100キロを超す流れの中では妥当だろう。

開けた前方にホッとしながら、あのトラック登坂車線を素直に走っているのか気になったが、

平坦路で、誰かがまたヒヤヒヤしながら走ったのかもしれない。

思い出したら、また疲れそう。





まだまだ若いせいか、迷いが多い・・・

2012年09月19日 | 日記
晴れた、晴れた !

新聞読んで洗濯済ませ、買い出しに行かなくては葉物野菜が切れたしジュースも無い。

誰もが野菜は毎日摂らないと健康に悪いと言い、従っていたら人に依っては正反対の事も言うし、

本も色んなこと書いて何が本当なのか、何がいいのか分からない。

バランスのとれた食事など、栄養士でもないのにムリだべ? 予算もあるじゃろじゃろー。

私にバランスがいいのは、封を切ったら二秒でゴハンかな ?。

両親は、明治大正昭和平成と生き延びたが、サプリや健康レシピも関係なく好きな物を食べ、

好きなように飲み、92歳と99歳まで生きた。

その息子の私が、健康についての色々な"説"に惑わされ、ジヤラジャラとサプリを飲むのは親不孝??

ま、自身の弱さもあるが、もう、これと言った目的も無いのに商業ベースにすぐ乗ってしまうのは

心中に"イヤラシ"くシツコく生きようとするイケない根性が座っている所為だろう。

心してかからないと、両親のように自宅で眠ったままの昇天は無理かもしれない。

日頃の行いも、大した事してないから、私の場合は"消点"になるかも・・・・・・

何れにしても、アチラには行く事になるのだから、下見を兼ねた一泊位のツアーがあっても

いいと思うのだけど、無いと言うことは添乗員が嫌がるのかもしれない。



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