goo blog サービス終了のお知らせ 

通訳・翻訳の勉強部屋

通訳・翻訳者を目指し、日々勉強を続けております!!

英字新聞♪

2007-01-28 23:03:36 | 読者投稿
初投稿が英字新聞に載りました!!!
ありがとうございます!!!
自分の英語の文章が英字新聞に載るってとっても嬉しい!!!!

もうすべてに感謝です!!!
ありがとうございます!!!!

Daily Yomiuri

2007-01-21 17:05:10 | 読者投稿
There are so many English learners in Japan now. They are always straggling with English and seeking for the best way to improve their English skills. Many people think that the best way to improve English skills is to go abroad. I disagree with it. My opinion is that we can improve our English skills in Japan. I could be evidence for that because I can speak English even though I've never been abroad. So, I'd like to give advice that can improve their English skills.
It's a simple thing. Talk to yourself in English. I could be really good help to improve your English skills. Think in English. It will spur you to be curious. Curiosity like "how do you say ~ in English?" is really important. And if you do this, you will be in the same situation when you are abroad. So, you don't need to go abroad.
And speak out English if you talk to yourself in English. One of the reasons that we Japanese can't speak English is not to get used to speaking out English. Writing and speaking are really different things. Don't feel embarrassed to speak out English. If you feel embarrassed when you speak English, be another person. Think of you as another person. Think of you as an American, a British, or a person from another English -speaking country. You can name yourself like Judy, Tom and so on.
As I noted above, the best way to improve your English skills is a really simple thing. Think of yourself as a person from English-speaking country and talk to yourself in English. It takes time until you get used to, but please enjoy doing this practice. The most important thing is to enjoy!

MY書評

2006-07-12 08:49:56 | 読者投稿
『モリー先生との火曜日』(ミッチ・アルボム著)の特筆すべき点は、人生の意味や愛について考えさせられる内容でありながら、それが全て実在の人物の語られた言葉であったという事実だ。モリー先生がALSという難病に侵されながらも、ただの闘病記としてではなく、人生の意味について深く掘り下げた内容が心を震わせる。モリーの言葉は単純明快で、せかせかと働く現代人の心につきささり深く考えさせられる。

産経テーマ投稿6/24

2006-06-24 19:44:00 | 読者投稿
 私は散歩とは無縁の生活をずっと送ってきた。運動の苦手な私は体を動かすことが嫌いで体の弱いことを理由に散歩を避けていた。しかしそんな私が最近散歩を習慣とするようになった。というのも、ご年配の方が散歩を習慣にすることで大病もせず健康に暮らしておられるという「談話室」での記事に感銘を受けたからだ。私は若年にもかかわらず難病を患い、何度も再燃させている。これはひとえに病気の回復期に運動を怠ったからではないかとこの記事を読んで思い、散歩をリハビリの一環として始めることにした。最近病気の調子も段々よくなってきたのはこの散歩のおかげだと思っている。
 難病で完治の方法がないといわれた私の病気。「もう治らない病気だから」と病気から回復することを半分諦めかけていたが、こんな身近なところに特効薬があるとは。これからも散歩を続けて難病に打ち勝ちたいと思う。

ゆうゆうlife

2006-06-06 17:16:22 | 読者投稿
 六日付の『ゆうゆうLife』に掲載されていた「住みにくいけど負けない」を読みました。確かに現代社会は弱者が住みにくい世の中になっていると思います。
 私は祖母と母との三人暮らし。祖母は身体障害者で母の介護が必要です。つまり祖母はもちろん母も働けません。私が働いて何とかせねばと思っていた矢先、私まで完治のない難病にかかってしまいました。さすがに病気が悪化していたときは体が思うように動かず全く働けませんでしたが、最近やっと回復してきたので私でもできる仕事をといろいろ探してみたのですが、たとえアルバイトであっても難病患者を受け入れてくれる会社はありません。病気に対する社会の理解はうすく、仕事をするなら病気を持っていることは隠さなければいけない現状です。こんな状況でも税金や年金の保険料は否応なしに家計の負担となります。
 それでも「住みにくいけど負けない」とひたむきに生きておられる姿をこの紙面で拝見して勇気付けられました。私も生活は苦しくても家族と一緒に暮らしている幸せに感謝して難病患者に冷たい社会に立ち向かっていきたいと思います。

マイ書評5/30

2006-05-30 10:44:52 | 読者投稿
『英語となかよくなれる本』(高橋茅香子著)は英語の苦手意識の強い日本人に向けていろいろな方面から英語にアタックする方法を伝授してくれる。英語を勉強と思わず、自分の好きな方面から親しんでいくノウハウが書かれており、これこそ真の英語の教科書と言ってもいいかもしれない。「英語が嫌い」「英語は勉強」と決め付けず、まさに英語と「なかよくなる」ことが英語上達の秘訣であろう。英語を「趣味」とできる一冊だ。

毎日3/26

2006-03-26 20:06:52 | 読者投稿
 最近めったに女の子の名前に「子」をつけることがなくなった。
 私が小さい頃はクラスの半分くらいの女の子に「子」がついていて、「子」がついていると古くさいイメージがあり、自分の名前に「子」がついていない同級生が羨ましかった。そんな理由から子どもの頃は自分の名前が嫌いだった。
 だが最近になってこれは日本独特の名前であり、日本文化の一つではないかと思うようになった。日本人が愛称に「~ちゃん」を使うのと同様に日本人特有であり、しかも女の子にしかつかない名前だと思うと、なんだか「子」がつく自分の名前に愛着が沸いてきた。日本人として生まれてきたのだから、母国ならではの名前を持つことは誇れることではないかと思う。今はこの名前をつけてくれた両親に感謝している。
 日本人の一つの文化とも言える「子」がつく名前がもうなくなりつつあるのは悲しい。もう一度日本人としての伝統を見直してほしいと思った。

3/25さんけいテーマ投稿

2006-03-25 19:11:25 | 読者投稿
「駄菓子屋さんの楽しみ」
 春になると、駄菓子屋さんを思い出す。大人になった今でも駄菓子屋さんへ行くとわくわくするのは、子どもの頃春の遠足のために母からもらった数枚の硬貨を手に握り締め自分の欲しい駄菓子の値段を一所懸命計算して選んで楽しんだことを思い出すからだ。十円、二十円のお菓子をうまく組み合わせてなるべく多くの種類のお菓子が買えるようやりくりする。子どもながらに予算を考えながら自分で計画をたてることを楽しんでいたのだ。
 最近駄菓子屋さんも減ったが、それ以上に子どもに小遣いを渡すという習慣が減ったらしい。好きなときに好きなものを買ってもらう子どもが増えた。少子化で一人っ子が増えたのも原因かもしれない。だが限られた小遣いの中で自分の好きなものを選んで買う楽しみというのもある。子どもを持つご家庭はぜひお子さんには小遣いをあげて予算内でやりくりする楽しみを教えてあげてほしい。

きのうきょう3/25

2006-03-25 18:40:59 | 読者投稿
「たこ焼きではぐくむ母とのコミュニケーション」
 大阪の名物たこ焼き。関西人はほとんどの人がたこ焼きを家で作るといわれているが、それは子どもがいる家庭。私も子どもの頃はよく作っていたが高校、大学と年を重ねるにつれ、たこ焼きを家で作る機会はなくなっていった。
 中学、高校、大学そして就職とどんどん家を空けることが多くなり、母と話す機会なぞほとんどなくなってしまった私にある転機が訪れる。いきなり原因不明の難病と診断され、仕事を辞めなくてはならず自宅療養を余儀なくされた。突然の宣告に自宅で時間をもてあます私に母がふと言った。
「たこ焼き作ろうか?」
 たこ焼きを作るなんて小学校以来。棚の奥にしまわれたままのほこりをかぶったたこ焼き器をひっぱりだして十五年ぶりのたこ焼きに挑戦だ。たこ焼きをくるくる回転させながら、母が昔の思い出話を話し始める。母との久々の会話に話が盛り上がる。今まで遠かった母との心の距離がいきなり近づいた感じがした。
 たかがたこ焼き。されどたこ焼き。たこ焼きでこんなに母と仲良くなれるとは思わなかった。それ以来、週に一回私の家ではたこ焼き作りが習慣となっている。

よみうり3/21

2006-03-21 16:38:57 | 読者投稿
「生かされている認識」
 友人の後輩が急病で亡くなった。亡くなる二ヶ月前は元気に旅行に行っていたのに。私は直接知り合いではないが、年下の若者の病気による急死を受けて深く考えさせられた。
 私は膠原病を患って三年。いまだ闘病生活ではあるが日常生活で命の危険にさらされながら生きているわけではない。
 だが死は突然やってくる。
 病気も突然やってくる。
 病気の突然の到来は若いながらに経験して習知したはずなのに、年齢からか死はずっと遠いものに感じていた。だが私より若い身近な人の病死を受けて、いきなり死というものが近くなった気がした。そして病気を患いながらも生かされている自分の境遇に感謝した。
 普通に生活していると、命の大切さを見失いがちだ。健康な人でも明日は交通事故で命を落とすかもしれない。「自分が生きている」ことにだけ目を向けがちだが、「自分が生かされている」ことを認識するのも大事であると思う。

よみうり

2006-03-15 21:51:45 | 読者投稿
「マスメディアは正しい日本語を」
「一段落」は「いちだんらく」と読む。「ひとだんらく」というのは間違いだ。
 先日テレビCMで「ひとだんらく」と言っているのを聞いてびっくりしてしまった。CMというのは本来その企業の宣伝なのだから間違った日本語を使うことなんてありえない。そんなことをしたら企業のイメージダウンにつながる。それを平気で使うなんて日本語を粗末に扱っている証拠だ。CM製作なんて多くの人がかかわったに違いないのに誰もこのことに気がつかなかったのだろうか。
 他にもテレビ番組で「ひとだんらく」と言っているのを何回か聞いた。これでは「ひとだんらく」を正しいと思って子どもが使う可能性は大きい。
 マスメディアというのは影響が多大だからこそ日本語を正しく使う責任がある。にもかかわらず最近のテレビ番組においての日本語の乱れは目をみはるものがある。マスメディアは日本語に責任を持って欲しい。

3/8

2006-03-08 17:26:03 | 読者投稿
「ブログで広がる仲間の輪」
 半年前、ブログを作った。膠原病を患い医者から仕事復帰の許可が出ず時間のある私に友人が薦めてくれた。パソコンに弱い私でも簡単に作れたので軽い気持ちで始めた。
 ところがいざ始めてみると、素晴らしい出会いがあった。今まで同じ病気の人に知り合いはおらず一人で闘病生活を送っていたが、ブログを作ると病気の名前で検索して同じ病気の人が訪れてくれるようになったのだ。しかも同じ病気でしか分からない情報を教えてくれたり悩みを分かち合ってくれたりした。まさに「同病相哀れむ」。同じ病気を持つ人と知り合うことが有意義なことであると実感した。
 今私のブログは多くの同じ病気の人のブログとリンクするまでになった。ブログはただの簡易ホームページではあるがそこから新しい発見があったり手助けをしてもらったり、この半年間でブログが私に与えたものは計り知れない。今やブログは私の生活の一部となっている。

3/5

2006-03-05 16:24:56 | 読者投稿
「半世紀以上たったひな人形」
 私の家にはひな人形が二セットある。母の分と私の分だ。もちろんどちらも飾る。二つを見比べると、見栄えするのは私の方だが母の方が装飾が細かかったりして味わいがある。ふと気付けば母も五十三歳。生まれた時に買ってもらったというこのひな人形も五十三歳なのだ。
「このひな人形半世紀共にしてるね」としみじみと人形を見つめる母。五十三年間毎年欠かさず飾っているらしい。
 ひな人形を飾らない家が増えた。確かに段を組み立てたり、たくさんの人形を並べたりするのは大変で、飾るのも片付けるのも丸一日かかってしまう。だからとりあえずちらし寿司と蛤のお吸い物さえ飲んだらいいという考え方が出てきている。だが、ひな人形を飾るからこそひな祭りの行事は成り立つと思う。例え面倒でもひな人形は飾るべきだ。日本独特の文化はやはり守っていきたい。五十三年間ひな人形を大切にしてきた母の姿から学んだ。

3/3

2006-03-03 23:45:48 | 読者投稿
「ニートの定義を明らかに」
 ニート――働かず、学生でもない若者。今や大きな社会問題として非難の的だ。
 私は二十四歳、無職、学生でもない。だがニートでもない。働きたいし、勉強したい。しかし約64万人という数値に私が入っている可能性大だ。
 私がニートまがいになったのは難病を患ったからだ。二十歳で完治しない難病におかされ入退院をくり返している。それでも私は働きたい。だが病気で歩行困難、髪の毛も八割ない。そこで在宅の仕事を探しながら独学で勉強中だ。しかし病人を採用してくれる会社は皆無。働きたくても受け入れてくれない社会の現状がある。
 私のように働きたくても働けないのにニート扱いされている若者が他にもいないだろうか。そういう存在を知りもせずただ無職で学生でもない若者を批判し自分の会社では病気を理由に不採用の決定を下す年配の人を私は批判し返したい。ニートの定義をもっと明らかにするべきだ。

3/2

2006-03-03 09:23:15 | 読者投稿
「献血がしたい」
「献血お願いします!」
 駅前でよく聞く声。頭をぺこぺこ下げながらお願いする人を尻目に皆足早に目の前を過ぎ去る。私は献血がしたいができない。なぜなら私は病気持ちだからだ。
 病気になるまでの健康体のときは一度たりとも献血をしたいなぞ思わなかった。私も足早に去っていく人達の仲間だった。だが、病気になり入退院を繰り返す体となった今、献血をしたいと思うようになった。
 入院の時に同室だった人が毎日輸血をしなければならない人だった。見たことのない赤い点滴。朝と晩の一日二回。輸血の度にその血液と合うかどうかのテストを行わなければならない。何ヶ月もの入院で体重も十キロ落ちたらしい。それでも早く退院したいと前向きに頑張る姿を目の当たりにして、今まで献血をしたことのなかった自分をひどく悔やんだ。
 健康である時はその健康のありがたさに気がつかない。病気になってからでは遅いこともある。だからこそ、今健康である人ならば献血をしてほしい。