通訳・翻訳の勉強部屋

通訳・翻訳者を目指し、日々勉強を続けております!!

らぶあくちゅありー

2006-03-29 11:30:02 | 映画
【あらすじ】
 19人による9つのすぐ身近にあるラブストーリーがアンサンブル形式のドラマに仕立てあげた作品。私たちが日常的に経験する悲喜こもごもの出来事を等身大のまなざしでスケッチしながら、人を愛することの喜びと、愛によって輝く人生の素晴らしさを、心にしみるタッチで描いた珠玉の感動作。

【所感】     
 9つのストーリーが折り重なることで、一つのストーリーの作品よりは多少分かりにくいものとなっているが、同様の形式の「マグノリア」よりはかなり分かりやすい上にそれぞれの話が心温まるものなので、先に九つのストーリーに分かれていることを知っていれば問題はないと思う。
 キャストも「ノッティングヒルの恋人」のヒュー・グラントがイギリスの首相を演じたり、「ハリー・ポッター」のスネイプ先生役のアラン・リックマンが普通の中年男性を演じたりしていて面白かった。
 ただ9つもストーリーがあるので、ほんの少ししかでてこないものもありちょっと残念だった。だからと言って長すぎるとあきてしまうので、うまく短くまとめてある脚本には感心した。

毎日3/26

2006-03-26 20:06:52 | 読者投稿
 最近めったに女の子の名前に「子」をつけることがなくなった。
 私が小さい頃はクラスの半分くらいの女の子に「子」がついていて、「子」がついていると古くさいイメージがあり、自分の名前に「子」がついていない同級生が羨ましかった。そんな理由から子どもの頃は自分の名前が嫌いだった。
 だが最近になってこれは日本独特の名前であり、日本文化の一つではないかと思うようになった。日本人が愛称に「~ちゃん」を使うのと同様に日本人特有であり、しかも女の子にしかつかない名前だと思うと、なんだか「子」がつく自分の名前に愛着が沸いてきた。日本人として生まれてきたのだから、母国ならではの名前を持つことは誇れることではないかと思う。今はこの名前をつけてくれた両親に感謝している。
 日本人の一つの文化とも言える「子」がつく名前がもうなくなりつつあるのは悲しい。もう一度日本人としての伝統を見直してほしいと思った。

3/25さんけいテーマ投稿

2006-03-25 19:11:25 | 読者投稿
「駄菓子屋さんの楽しみ」
 春になると、駄菓子屋さんを思い出す。大人になった今でも駄菓子屋さんへ行くとわくわくするのは、子どもの頃春の遠足のために母からもらった数枚の硬貨を手に握り締め自分の欲しい駄菓子の値段を一所懸命計算して選んで楽しんだことを思い出すからだ。十円、二十円のお菓子をうまく組み合わせてなるべく多くの種類のお菓子が買えるようやりくりする。子どもながらに予算を考えながら自分で計画をたてることを楽しんでいたのだ。
 最近駄菓子屋さんも減ったが、それ以上に子どもに小遣いを渡すという習慣が減ったらしい。好きなときに好きなものを買ってもらう子どもが増えた。少子化で一人っ子が増えたのも原因かもしれない。だが限られた小遣いの中で自分の好きなものを選んで買う楽しみというのもある。子どもを持つご家庭はぜひお子さんには小遣いをあげて予算内でやりくりする楽しみを教えてあげてほしい。

きのうきょう3/25

2006-03-25 18:40:59 | 読者投稿
「たこ焼きではぐくむ母とのコミュニケーション」
 大阪の名物たこ焼き。関西人はほとんどの人がたこ焼きを家で作るといわれているが、それは子どもがいる家庭。私も子どもの頃はよく作っていたが高校、大学と年を重ねるにつれ、たこ焼きを家で作る機会はなくなっていった。
 中学、高校、大学そして就職とどんどん家を空けることが多くなり、母と話す機会なぞほとんどなくなってしまった私にある転機が訪れる。いきなり原因不明の難病と診断され、仕事を辞めなくてはならず自宅療養を余儀なくされた。突然の宣告に自宅で時間をもてあます私に母がふと言った。
「たこ焼き作ろうか?」
 たこ焼きを作るなんて小学校以来。棚の奥にしまわれたままのほこりをかぶったたこ焼き器をひっぱりだして十五年ぶりのたこ焼きに挑戦だ。たこ焼きをくるくる回転させながら、母が昔の思い出話を話し始める。母との久々の会話に話が盛り上がる。今まで遠かった母との心の距離がいきなり近づいた感じがした。
 たかがたこ焼き。されどたこ焼き。たこ焼きでこんなに母と仲良くなれるとは思わなかった。それ以来、週に一回私の家ではたこ焼き作りが習慣となっている。

しゃるうぃーだんす

2006-03-25 09:53:41 | 映画
【あらすじ】
真面目でこれといった趣味も持たないサラリーマンの杉山正平は、ある日の会社の帰り、電車の中から見えるダンス教室の窓に、物憂げに佇むひとりの女性を見つけた。その美しい姿に目を奪われた彼は、数日後、その“岸川ダンス教室"を訪れる。中年のたま子先生の勧めでグループレッスンを受けることにした杉山は、同じく初心者の田中、少しダンスを齧っている服部とともに、生まれて初めての社交ダンスを習い始めた。杉山が見かけた女性はこのダンス教室の娘・舞で、ダンス・コンテストの最高峰ブラックプールに参加してアクシデントに見舞われてから、パートナーに対する信頼感を持てなくなり、父親から半ば強制的にダンス教室の先生をさせられていたのだった。そんなある日、教室に杉山の会社の同僚である青木が姿をみせた。別人のようにいきいきと踊る青木の姿に驚いた杉山は、同じ教室に通う主婦・豊子のダンスにかける情熱にも心を動かされ、舞と踊りたいという不純な動機もすっかり消えて、ダンスそのものに純粋にのめり込んでいった。一方、杉山の妻・昌子は夫の様子がおかしいと感じて、素行調査を探偵に依頼していた。そうとは知らない杉山は、たま子先生の提案で豊子とペアを組んで大会に出場することになり、舞のコーチのもと、さらなる特訓の日々を過ごすことになった。大会当日、会場には探偵から連絡を受けた杉山の妻子の姿もあった。杉山と豊子はワルツをうまくこなして見事二次審査を通過したが、三次のクイックステップで娘の千景の声援を耳にした杉山は、動揺して大失敗する。自分のダンスが終わったと感じた杉山は、それからダンス教室へ行くのをやめてしまった。しばらくして、杉山は舞がイギリスへ行くと知らされる。舞は杉山たちとの特訓を通じてパートナーへの信頼感の大切さを痛感し、ダンスへの純粋な気持ちを取り戻して、再びブラックプールに挑戦することにしたのだった。青木と豊子は舞のためのサヨナラ・パーティに杉山を誘うが、彼は行こうとしない。パーティーの夜、いつもの電車の中からダンス教室の窓を見上げた杉山は、そこに“Shall we ダンス?"と書かれた自分宛てのメッセージを見つけた。パーティも佳境に入ったころ、舞がラストダンスのパートナーを決めようとした時に、杉山がようやく姿を見せた。舞の差し伸べる手をとった杉山は、みんなが見守る中で、最高のダンスを踊るのだった。

【解説】
ひょんなことから始めた社交ダンスを通して、平凡なサラリーマンが人生を見つめ直す姿を描いたハートフル・コメディ。監督・原案・脚本は「シコふんじゃった。」の周防正行。撮影は「哭きの竜」の栢野直樹。音楽は、監督の従兄弟で「お墓と離婚」の周防義和が担当している。主演は「KAMIKAZE TAXI」の役所広司と、日本バレエ界を代表するプリマドンナ・草刈民代。作品完成後に、周防監督と主演の草刈が電撃結婚したことでも話題を呼んだ。文部省選定作品。96年度キネマ旬報ベストテン第1位、同読者選出ベストテン第1位のほか、主演男優賞(役所)、助演女優賞(草村)、新人女優賞(草刈)、脚本賞(周防)を獲得。他の主要映画賞でも各賞を総ナメにする圧倒的な強さをみせた。

以上goo映画より

【所感】
 心温まる映画。出演している俳優がそれぞれ個性的でコメディーの要素もたっぷりあり、楽しい作品。少々脇役の個性が強すぎてそちらに目が向いてしまうところあり。草刈民代のダンスは非常にきれいだが、周りを実力派俳優にかためられたため一人だけ演技の下手さが目立つところが残念だ。あの演技力で女優賞がとれたのはあまり理解ができない。竹中直人があまりにも面白く目をひく存在であった。
 内容としてもダンスにのめりこんでしまう真面目なサラリーマンの姿がなんとも面白いし、平凡な生活に趣味がどれだけ潤いをもたすかを忙しい現代社会の人間に教えてくれる。だがこれは日本人の平凡なサラリーマンが社交ダンスにのめりこむというところが面白いのに、ハリウッドでリメイクされたら面白さが半減しそうだ。ハリウッド版はまだ見ていないが、そういう点で気になる。竹中直人の役柄もハリウッド版なら誰がするのか気になる。でもこの映画の面白みの一つである「かっこわるさ」がリチャード・ギアがダンスをしたら絶対でない気がするのだが。

おしゃれどろぼう

2006-03-22 11:28:25 | 映画
【あらすじ】
 シャルル・ボネ(ヒュー・グリフィス)は美術の愛好家であり収集家である。また美術品を美術館に寄附する篤志家でもある。さらに時々はコレクションの一部を競売に出す。彼のいうところによると、それらの美術品は彼の父が買い集めた遺品だというが、誰もコレクションを見た人はいない。実をいえば、ボネは偽作の天才なのだ。ブローニュの森の近くにある彼の大邸宅内には、秘密のアトリエがあって、彼は自ら偽作をしているのだ。彼には一人娘のニコル(オードリー・ヘップバーン)があるが、彼女は父親の仕事を止めさせようと、いつも胸を痛めている。パリ一の美術商ド・ソルネ(シャルル・ボワイエ)は、得意客のボネが、どうしてあんなにコレクションがあるのか、いつも不思議に思っていた。もしかするとあの傑作はニセモノでは……というわけで、私立探偵シモン・デルモット(ピーター・オトゥール)に万事を頼んだ。ところがヘマなシモンはニコルに見つかり、苦しまぎれに自分は泥棒だ、といったが、何故かニコルは彼を警察に引き渡さなかった。ボネが所有している美術品中の逸品はチェリーニのビーナスだが、彼はそれを美術館に出品するという。しかし、もし偽作だと分かったら大変と、ニコルはシモンに頼んでまんまと盗み出してしまった。ここにリーランド(イーライ・ウォラック)というアメリカの美術収集家がいた。彼はビーナス欲しさに政略結婚を考え、ニコルと婚約を結んだ。そしてド・ソルネのあっせんでシモンと会見したが、シモンは3つの条件を出した。第1は売価が100万ドル、第2はすぐに国外へ持ち出すこと、第3はニコルとの婚約を取り消すことー。ビーナスさえ手に入ればと、リーランドはすぐにこの条件を承知。うまく100万ドルをせしめたシモンは、いつしか恋仲になったニコルと駆け落ちしてしまった。

【解説】
 ジョージ・ブラッドショウの原作を「ピラミッド(1955)」のハリー・カーニッツが脚色し「コレクター」のウィリアム・ワイラーが演出したオトナのコメディー。撮影は「シャレード」のチャールズ・ラング。音楽はジョニー・ウィリアムス(2)が担当。主演に「パリの恋人」のオードリー・ヘップバーン、「アラビアのロレンス」のピーター・オトゥール。彼らを中心に「ファニー」のシャルル・ボワイエ、「トム・ジョーンズの華麗な冒険」のヒュー・グリフィス、「青年」のイーライ・ウォラックらヴェテランが絡む。製作は「ピクニック」のフレッド・コールマー。

【所感】
 ストーリーもよくできていて、たくさんの人たちに受け入れられやすい作品。最後の最後にシモンが私立探偵であることが分かるという大どんでん返しつきだ。内容は複雑すぎず、軽いコメディータッチにできている。またオードリー・ヘップバーンの衣装は注目すべき点。




よみうり3/21

2006-03-21 16:38:57 | 読者投稿
「生かされている認識」
 友人の後輩が急病で亡くなった。亡くなる二ヶ月前は元気に旅行に行っていたのに。私は直接知り合いではないが、年下の若者の病気による急死を受けて深く考えさせられた。
 私は膠原病を患って三年。いまだ闘病生活ではあるが日常生活で命の危険にさらされながら生きているわけではない。
 だが死は突然やってくる。
 病気も突然やってくる。
 病気の突然の到来は若いながらに経験して習知したはずなのに、年齢からか死はずっと遠いものに感じていた。だが私より若い身近な人の病死を受けて、いきなり死というものが近くなった気がした。そして病気を患いながらも生かされている自分の境遇に感謝した。
 普通に生活していると、命の大切さを見失いがちだ。健康な人でも明日は交通事故で命を落とすかもしれない。「自分が生きている」ことにだけ目を向けがちだが、「自分が生かされている」ことを認識するのも大事であると思う。

こいにおちたしぇいくすぴあ

2006-03-16 09:51:44 | 映画
【登場人物】
ウィル・シェイクスピア:劇作家。ヴァイオラと恋に落ちる。
ヴァイオラ:芝居が大好きな貴族の娘。トマス・ケントとして芝居に出る。ウィルと恋に落ちる。
ウェセックス卿:ヴァイオラの婚約者。嫉妬深く何回もウィルを殺そうとする。
エリザベス女王;独特の貫禄を持つ。プライド高く威厳がある。
乳母:ヴァイオラの良き味方。
ネッド:役者。自分の演技に自信がある。
マーロー:劇作家。

【あらすじ】
 舞台はイギリス。劇作家ウィル・シェイクスピアは喜劇「ロミオと海賊の娘エセル」の執筆活動中。疫病で閉鎖されていた芝居小屋が解禁になったことを受け、役者の募集を始める。
 ヴァイオラ・レセップスは貴族の娘。芝居が大好きで自分も芝居に出たいと思うようになっていた。そして男のなりをして役者募集の芝居小屋を訪れる。乳母の甥トマス・ケントの名を借りてセリフを読むヴァイオラ。彼女のセリフ回しに惹かれたウィルは主役のロミオ役に抜擢したいと思い彼女を追いかける。たどりついたのはヴァイオラのお屋敷。トマス・ケントはそこの乳母の孫だということを知る。芝居の成功のためにはトマス・ケントが必要だと確信したウィル。なんとかトマス・ケントに芝居に出てほしいと交渉する。そんな中、変装をとったヴァイオラを見て一目で恋に落ちてしまう。ヴァイオラもウィルの野性的な魅力に惹かれていった。しかし、ヴァイオラは両親が勝手に決めた婚約者ウェセックス卿がいた。ヴァイオラに恋するウィルを見てウェセックス卿は彼女に近づかないように警告する。その時名を聞かれたウィルはとっさに劇作家仲間のマーローの名を語る。恋におぼれるウィルは創作意欲がかきたてられ、「ロミオと海賊の娘エセル」は「ロミオとジュリエット」へとかわる。トマス・ケントはロミオ役として練習に加わった。またトマス・ケントという仲介役を通じ、ヴァイオラとウィルは手紙のやりとりをして愛をはぐくんでいった。しかしそこで親の決めた結婚のことをウェセックス卿から聞き、ショックを受けるが、女王陛下の命令と泣く泣くこの結婚を承諾し、ウィルに別れの手紙を書く。結婚の事実を書き記した手紙は深くウィルの心に突き刺さり、それでもヴァイオラを愛する気持ちをトマス・ケントに語り、ヴァイオラは自分がどれだけウィルを愛しているかを感じる。そこでウィルはヴァイオラとトマス・ケントが同一人物であることを知り、ヴァイオラの部屋へ忍び込む。そこで愛を確かめた二人。それから二人の秘密の愛の関係が始まる。
 ところがヴァイオラが女であることがばれてしまい、芝居小屋が閉鎖になる。落ち込むウィル。そこでカーテン座が提供されることとなり、「ロミオとジュリエット」は上演されることに。
 ヴァイオラの結婚式の日。この日は「ロミオとジュリエット」の上演日だった。結婚式中にチラシを見たヴァイオラは芝居小屋に行こうと途中で結婚式を抜け出す。だが本番当日になってジュリエット役の役者が声変わりをしてしまい一座は混乱していた。客席にいたヴァイオラはそれを聞きジュリエットのセリフはすべて暗記していることから代役で舞台に立つことに。ロミオ役はウィル。舞台は大成功となる。しかし女が舞台にたったことで問題となるが、女王がうまく機転をきかせ、その場はまるくおさまる。ただし、ヴァイオラはウェセックスと共にアメリカに行かねばならない。ウィルとヴァイオラは最後の別れを惜しむ。そしてウィルはヴァイオラのことを思い描きながら「十二夜」を執筆するのであった。

【あらすじ】
芝居熱が過熱するエリザベス朝のロンドン。ローズ座は人気作家ウィリアム・シェイクスピア(ジョゼフ・ファインズ)のコメディが頼みの綱だったが、彼はスランプに陥っていた。なんとか書き出した新作コメディのオーディションにトマス・ケントと名乗る青年がやってくる。実はトマスが裕福な商人の娘ヴァイオラ(グウィネス・パルトロウ)の男装した姿だった。商人の館にもぐり込んだシェイクスピアは、ヴァイオラと運命の恋に落ちる。その日から堰を切ったように劇作を書き始めたが、トマスから親が決めた結婚のためもう会えないというヴァイオラの別れの手紙を受け取り、納得できずまた館へ。そこでトマスがヴァイオラの仮の姿だと知る。心のままに結ばれたふたりはその後も忍び逢いを続け、この恋が次第に運命の悲恋物語「ロミオとジュリエット」を形づくっていく。ヴァイオラは、トマスとして劇場の皆を欺き芝居の稽古を続けていた。初演を待つばかりの日、トマスが実は女性であることがバレ、劇場の閉鎖が言い渡される。女性が舞台に立つことが許されない時代だったのだ。ライバル劇場のカーテン座の協力で初演を迎えたが、同じ日ヴァイオラはいやいや結婚式を挙げていた。式の後劇場に駆けつけたヴァイオラは、突然声変わりが起こって出演できなくなった少年の代わりに、ジュリエット役を演じることに。ロミオ役はシェイクスピアだ。詩に溢れた悲恋劇は大喝采を呼ぶが、芝居好きのエリザベス女王の許しで劇場閉鎖は免れたものの、ヴァイオラの結婚は無効にはならず涙ながらにふたりは別れることに。結婚して新天地アメリカに赴いたヴァイオラを思い、シェイクスピアは新たなコメディ「十二夜」を書き始める……。

【情報】
文豪シェイクスピアの秘められた恋物語を劇中劇と絡めて織り成した一大ラヴ・ロマンス。監督はイギリス演劇界出身、「Queen Victoria 至上の恋」のジョン・マッデン。製作総指揮は「マイ・フレンド・メモリー」のジュリー・ゴールドステイン、「54」のボブ・ワインステイン。製作は「鳩の翼」のデイヴィッド・パーフィット、「エマ」のドナ・ジクリオッティ、「真実の行方」のエドワード・ズウィック。脚本は「カットスロート・アイランド」のマーク・ノーマン、「ビリー・バスゲイト」のトム・ストッパード。撮影のリチャード・グレトリックス、音楽のスティーヴン・ウォーベック、、美術のマーティン・チャイルズは「Queen Victoria 至上の恋」に続く参加。編集はデイヴィッド・ガンブル。衣裳は「ベルベット・ゴールドマイン」のサンディ・パウエル。出演は「魅せられて」のジョゼフ・ファインズ、「ダイヤルM」のグウィネス・パルトロウ、「Queen Victoria 至上の恋」のジュディ・デンチ、「レ・ミゼラブル」のジョフリー・ラッシュほか。第71回(98年度)アカデミー作品賞・主演女優賞・助演女優賞・オリジナル脚本賞・美術&装置賞・衣裳デザイン賞を受賞。

【所感】
 シェイクスピア作品はあまりにも有名なのに対し、本人のことはあまり知られていない。この盲点をうまく利用してつくられた作品。シェイクスピアの劇をこの映画の劇中劇として演じていることは、シェイクスピア作品の多くの劇中劇を連想させ、シェイクスピアらしさを出している。史実と虚構をおりまぜつつ作品を展開させることで、舞台という虚構の世界にどっぷりつかった人生を生きたシェイクスピアを表現したかったのかもしれない。
 

よみうり

2006-03-15 21:51:45 | 読者投稿
「マスメディアは正しい日本語を」
「一段落」は「いちだんらく」と読む。「ひとだんらく」というのは間違いだ。
 先日テレビCMで「ひとだんらく」と言っているのを聞いてびっくりしてしまった。CMというのは本来その企業の宣伝なのだから間違った日本語を使うことなんてありえない。そんなことをしたら企業のイメージダウンにつながる。それを平気で使うなんて日本語を粗末に扱っている証拠だ。CM製作なんて多くの人がかかわったに違いないのに誰もこのことに気がつかなかったのだろうか。
 他にもテレビ番組で「ひとだんらく」と言っているのを何回か聞いた。これでは「ひとだんらく」を正しいと思って子どもが使う可能性は大きい。
 マスメディアというのは影響が多大だからこそ日本語を正しく使う責任がある。にもかかわらず最近のテレビ番組においての日本語の乱れは目をみはるものがある。マスメディアは日本語に責任を持って欲しい。

ぴーたーらびっと

2006-03-13 09:38:46 | リーディング
【登場人物】
ピーターラビット…いたずら好きのウサギ。
マクレガーさん…人間。ピーターのお父さんを食べた。
ミセスラビット…ピーターのお母さん。
フロプシー、モプシー、コットンテイル…ピーターの兄弟。

【あらすじ】
 昔々四羽の兄弟ウサギとお母さんウサギが住んでいた。ある日お母さんは買い物に出かけ、マクレガーさんの庭には近づかないように子どもたちに注意をした。お父さんはマクレガーさんに食べられてしまったからだ。三羽の兄弟たちはお母さんの教えを守ったが、いたずら好きのピーターはマクレガーさんの庭へ行った。そして野菜をつまんでいるとマクレガーさんに見つかりいそいで逃げた。いろいろな場所で道に迷ったり捕まったりしそうになりながらやっとの思いでお母さんと兄弟の待つ家に帰ることができた。へとへとのピーターだったが、お母さんから少しのカモミールティーしかもらえなかった。

【所感】
 子ども向きの絵本。ピーターの逃走劇がかわいらしく分かりやすくスリル満点で描き出されている。挿絵も可愛らしく、さすが世界中から愛されている作品であると言える。

ローマの休日

2006-03-12 08:39:34 | 映画
【登場人物】
アン…王女。毎日の皇務に嫌気がさし逃げ出す。ずっと宮中で育ってきたため世間知らず。
ジョー…新聞記者。アンを王女と知り記事にしようとするが、アンに恋をしてしまう。
アービング…ジョーの友人。カメラマン。

【あらすじ】
 イタリアを訪問中のアン王女。日々の皇務の退屈さにとうとう我慢ができなくなって逃げ出した。だが行くあてのないアン王女。夜にベンチで寝てしまった。そこで新聞記者ジョーに出会う。ジョーはアン王女を家に送ろうとするも、寝ぼけていて話にならない。仕方なく自分の家に連れて行く。翌朝新聞で彼女がアン王女だと知り、金儲けを思いつく。早速友人のアービングに知らせ、自分はジョーの家を出たアン王女の跡をつける。ローマを巡るアン王女。彼女にとってはすべてが新鮮だった。美容院に行って髪を切ってもらったり、ジェラートを食べたりして楽しむ。そこでジョーは偶然を装いアン王女に近づき、ローマ観光を提案する。アービングを呼び、観光名所をまわる。サンタンジェロでは王女を探す一行と大乱闘となるがなんとか逃げ出す。この間にジョーとアン王女は恋に落ちてしまう。しかし、アン王女は帰らなければならない身の上。二人はそれぞれの想いを胸に別れるのであった。
 無事戻ったアン王女。記者会見の場にはジョーとアービングの姿が。アービングは今まで隠し撮りした写真をアン王女に渡す。そしてジョーは一人会場をあとにするのだった。

【情報】
監督:ウィリアム・ワイラー

《監督作品》(日本公開作)

『戦友の為に』(26) 『稲妻の男』(26) 『新時代』(27) 『名馬と名騎士』(27) 『君を尋ねて三千里』(28) ※以上サイレント映画

『熱血阿修羅王』(29) 『恋のからくり』(29) ※以上パート・トーキー(発声)


キャスト
アン王女:オードリー・ヘップバーン
ジョー:グレゴリー・ペック
アービング:エディ・アルバート

【所感】
 美しい街ローマを舞台に繰り広げられる王女と新聞記者のたった一日のラブストーリーは今もなお非常にたくさんの人の心を打っている。ストーリーとしては単純だが分かりやすいので万人に受ける作品だと言っても過言ではない。
 アン王女役のオードリー・ヘップバーンとジョー役のグレゴリー・ペックの美しさとローマの街並みの美しさが溶け合い、白黒ながら視覚的にも楽しめる作品に仕上がっている。二人の美しい主役に加え、アービング役のエディ・アルバートが名脇役ぶりを果たしており、脚本の構成の上でもよく出来ている作品だ。
 老若男女問わず楽しめる作品だからこそ、50年たった今でもたくさんの人から愛されているのだろう。

きゅーてぃーぶろんど2

2006-03-11 11:48:11 | 映画
【あらすじ】
 弁護士になったエルはエメットとの結婚式の準備にいそしむ。そして愛犬ブルーザーのお母さん犬をぜひ結婚式に招待したいと思いつき、さっそく探すことに。するとブルーザーのお母さんはメイク用品の動物実験犬だった。犬を実験台にすることに心を痛めたエル。動物を実験台にすることを禁じる法案を作ろうと思いつき、事務所に提案した。しかし、真面目に受け取ってもらえず、エルは解雇されてしまった。それでもめげずワシントンに飛び、ラッド上院議員の助けを借りてブルーザー法案を通そうとする。ラッドの事務所でも異色なエルは冷めた目で見られる。特に真面目で冷酷なグレースはエルのことをいやがる。なかなかブルーザー法案を通してくれる気のない議会。それでもエルはどんどん議員を味方につけ、とうとう法案は可決されそうになる。そのときラッド議員が予算の関係でこの法案可決には無理があると言い出し、ブルーザー法案は廃案に。その後、ラッドはエルにグレースのせいだと告げる。しかし実際はラッドが自分の資金援助が滞るのを恐れ、しくんだことだった。ラッドに裏切られたことを知ったグレースもエルに味方し、とうとうブルーザー法案を可決することに成功。ブルーザーのお母さん犬も解放され、無事にエルとエメットは結婚式をあげることができた。

【所感】
 第一作と構成が同様のため、一作目のファンなら楽しめる作品。さらに前作と同じように、登場人物の衣装や髪型にもしっかりしたこだわりがあり、視覚的にも見ていて楽しいものに仕上がっている。コメディーの要素はさらに強くなっており、愛犬ブルーザーが実はゲイだったなどいう突拍子もないエピソードがあったりして日本人でも笑えるコメディー作品と言える。アメリカンジョークをちりばめたコメディー映画よりは日本人に受け入れられやすいはずである。ファッション好き、犬好きの女性には必見。前作に続き、内容も女性好みの作品だ。

3/8

2006-03-08 17:26:03 | 読者投稿
「ブログで広がる仲間の輪」
 半年前、ブログを作った。膠原病を患い医者から仕事復帰の許可が出ず時間のある私に友人が薦めてくれた。パソコンに弱い私でも簡単に作れたので軽い気持ちで始めた。
 ところがいざ始めてみると、素晴らしい出会いがあった。今まで同じ病気の人に知り合いはおらず一人で闘病生活を送っていたが、ブログを作ると病気の名前で検索して同じ病気の人が訪れてくれるようになったのだ。しかも同じ病気でしか分からない情報を教えてくれたり悩みを分かち合ってくれたりした。まさに「同病相哀れむ」。同じ病気を持つ人と知り合うことが有意義なことであると実感した。
 今私のブログは多くの同じ病気の人のブログとリンクするまでになった。ブログはただの簡易ホームページではあるがそこから新しい発見があったり手助けをしてもらったり、この半年間でブログが私に与えたものは計り知れない。今やブログは私の生活の一部となっている。

わがはいはねこである

2006-03-08 14:51:24 | リーディング
1我輩は猫である。名前はまだない。家なしだったが教師を職業とする主人の家に飼われることとなった。ここで生涯気楽に過ごそうと思っている。
 車屋に飼われる猫の黒に出会う。図体がでかく乱暴な言葉遣いの黒だが、我輩と親しくなった。