起業家精神、谷治 肇のオフィシャルブログ

独立自尊の精神|起業ができれば人生はおもしろい

揺るぎない人生をあなたに。

2010年08月05日 18時24分42秒 | 起業家の楽しいお仕事
(写真:香港・九龍半島からみた朝日、太陽はどこの環境(国)にいたとしても確実に昇る)

揺るぎない人生。

最近、出口の見えない経済不況であるとか
政治がよくない、いくら努力しても解決できない、というような
嘆きをよく聞くことが多い。


しかしながら私(わが社のビジネスモデル)の思考は
右から風(好景気のフロー)が吹こうが、左から風(不況)が吹こうとがあまり関係がない。
帆船のように前進する。
むしろ、風が吹けば吹くほど、その加速が増す。
好景気や不況だから逆境だから順境だからはあまり関係がない。

世の中の変化に応じて自分が変化すればいいことで
外部の環境がどうであれ、自分の心の中を変え、
思考や行動を変えることが大切だと考え実践している。
また、わたしの基本的な考え方は
自らの人生は自らの才覚と努力で切り開くもので
決して他に依存をしてはならないという精神が根底にある。


いまのような変化の時流は大好機(チャンス)でもある。

なぜならば、変化とは既存の価値から新たなる
創生への始まりでもあるので、新たな価値の創生を
生み出す機会が与えらているからである。

いかに時代が変化しようと、たとえば
右が左に変わり、上が下に変わったとしても
重たい砂(変化できないもの)は、あたかも砂時計のようにいつの世でも下に積もる。

そして、いつも世の中が悪い、政治が悪いと言っている。
自分が変わらなければ、世の中がどのように変化しようと同じであること、
因はすべて己にあることに
気づかずいつも愚痴を言って限りある生涯を終える。その繰り返し。

このことを
仏法の十界論から考えると
一番下の境涯から
地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・二乗(声聞界・縁覚界)・菩薩界・仏界

下の境涯ほど周りの環境に影響されやすく、いつも迷っている。
上に行くほど影響されにくい傾向にあるといわれる。むしろ環境をも変えられる。
さらに下に行くほど狭く小さくなり、上に行くほど広大になる。

これはその人が置かれた環境(職場・境遇など置かれた立場)が

どのような困難な環境であっても境涯や徳が高ければそれを乗り越えられる。その境涯に相応ものを築く

cf.因みに起業家や専門家はよく二乗と言われる。
なぜなら自らの悟りのみに囚われからだそうだ。
そこから脱することが今生での課題かもしれない。



余談として
ここをおすとなんかの変化がある、かもしれません。
     ↓
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
暑いですね (唱)
2010-08-12 12:36:09
 こんにちは。たまに拝見させていただいております。

>わたしの基本的な考え方は自らの人生は自らの才覚と努力で切り開くもので決して他に依存をしてはならないという精神が根底にある。

 確かに自らの人生は自らの才覚や努力で切り開いていかなければなりませんが、そこには絶対に正しい宗教に対する信心が必要ですよね。それによってその才覚や努力を正しくかつ最大限に活かされると思います。貴方は信心を根本にしてお話されておられるから、それを承知の上でお話されていると思われますが。私は信心する以前、自分の努力や才覚が実ったように見えて実は実っておらず、それどころか病という代償を得てしまってそれが今でも多少なりとも引きずっております。所謂「謗法」ってやつですね。我らは一人一人境涯の違いはあれども、末法の荒凡夫に過ぎません。「蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸かりて千尋を延ぶ」ご存知の通り有名な御文です。邪宗の家の親と正宗の親との間に生まれた私は正法の信心を始めた事で少しずつですが努力や才覚等が発揮され、結果として実ってきています。御本尊様を根本に、中心にすることが一番大事だと思います、自らの知恵才覚ではなく。

 いろいろと書き綴ってしまい、恐れながら御書の引用や指摘みたいな話になりましたが、貴方の文章の一部が少し気になったのでコメントさせていただきました。いつも貴方の記事はとても参考になったりするので見たときは関心してみております。またよろしくお願いします。

 
ご意見ありがとうございます。 (UCF)
2010-08-12 14:16:22
なんとご返答してよいのか
信心を根本に、中心に、は言葉に出して
言うまでもないこと。
毎日食事をするのに食事をしなければいけない
食事をしなければだめだよ
なんて言わないのと同じで
私にとってはこの信心は幼少のときより御本尊様に
朝夕、勤行するという極めて自然なことです。
私は信仰している家庭に生まれ
信仰している家庭の女性と結婚し
親・兄弟・子供すべて信仰していますので
肩に力を入れて「信心を根本に、中心に、」
とは言いません。私にとっては当たり前のことですから
いちいち言う必要かないのです。

最近入信した方で「信心を根本に、中心に」と誰構わず
よく言う方がいますが、そのように言っていないと
逆に自分が不安なのかもしれませんね。
心が何処かに行っちゃいそうで。
こちらここそありがとうございます (唱)
2010-09-01 20:08:59
 お忙しい中返事をいただいてありがとうございます。貴方は非常に境涯の高い方だとつくづく思います。私は貴方と違ってそういう環境で育っていないものですからまさに貴方がおっしゃる通り自分が不安で、ご本尊様から離れると心が何処か行ってしまうような感覚になるのです。家族や親戚はほとんどが邪宗の信仰です。指導教師の方には焦る必要はないと言われていても、どうしても焦ってしまい、それが不安を煽るのです。まだまだ修行不足だと思う次第です。
 私のコメントに関して何か気に障ったり、失礼なものがありましたらご指摘ください。同じご本尊様を信仰している方として非常に尊敬しております。より一層のご活躍をされることを願っております。またよらせて頂くこともあるのでよろしくお願いします。

 唱

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