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【シリーズもの】古代の思想家たち(導入)

2010年04月11日 | ひとりごと
              時は紀元前1024年

中国大陸では殷王朝(確認できる最初の王朝)が滅び、周(しゅう)という王朝が始まっていた。

周の国の仕組みは「邑制国家(ゆうせいこっか)」といって、王様が家来や家族に土地を与えて諸侯(しょこう)としている制度であった。

 ※諸侯とは地方の長のこと、今風に言うと県知事みたいなもの。

血族(一族)や功臣(仲のいい家来)に地方を治めさせる、これには重要な意味があったのだ。

王様のダチが地方を治めれば、反乱を起こすことはないハズなのだ。

しかし
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 ・
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反乱が起きてしまう

反乱が起こる理由は結構単純


血族や功臣だと言っても何代も後になると赤の他人のようなもの。

いくら、おじいちゃん同士の仲が良くても、孫同士の仲が良いとは限らない。

こんなわけで、時代が進むにつれて忠誠心は段々と薄れていった

「ハァ? なんで俺があいつの家来にならないといけないわけ?俺には関係ねーから!」

ってな感じで、諸侯にとって周王朝はあんまり重要ではなくなっていた。

そんな国内が微妙な雰囲気な所に、「犬戎(けんじゅう)」っていう異民族が攻めてくる。

ただでさえ纏まっていない国に異民族が攻めてきたので、あっという間に王朝が途絶えてしまった

そのあと周はボロボロになりながら洛邑(らくゆう)ってとこに遷都して東周時代が始まった(それ以前は西周)。

これが紀元前770年の話

東周はやっぱり影響力が弱い! そこに諸侯達が台頭してくる。

諸侯達は犬戎が大嫌いだったから、東周の王様を(いちおう)復讐のシンボルにして同盟を結んだ(その盟主を覇者という)。

ここから“春秋時代(しゅんじゅうじだい)”が始まる

“春秋時代”には「斉、晋、楚、越、呉」という国(諸侯)があった(春秋の五覇という、名前がカッコいい!)

→呉(ご)と越(えつ)は仲の悪さで有名で、「呉越同舟」や「臥薪嘗胆」という四字熟語の元になったのでした

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ここまでが時代背景です。明日からはいよいよ「春秋の策士たち」が台頭してきます。



≪Tomiyama Tenyou≫


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