WWWのディレクトリサービス「yahoo!」開始から15年、インターネットは生活の中に浸透しており、メディアの代名詞といっても過言ではない。
その一方で、デジタル・デバイドなどの個人の能力の差や、ネット人口の増加に比例して悪質・巧妙化するネット犯罪、ウィニーなどの情報共有ソフトによる不正データの流出など、便利さと引き換えに様々な問題が生じている。
代表的なネット犯罪には、情報共有ソフトによるウイルス散布、ネットバンキングを利用した不正引き出し、ネット-オークションを利用した詐欺などがある。
これらの犯罪は誰もが簡単に行うことができる。つまりネット犯罪と他の犯罪の決定的な違いは、犯罪を犯したことに気づかないことだ。
悪気がなく、悪戯のつもりでも犯罪が成立してしまう。これこそがインターネット人口の増加に比例してネット犯罪が増加する理由である。インターネットをはじめとして、新聞、雑誌、テレビなどのメディアには、その影響力の強さ故に「情報操作」という見えない力を働かせている。
幅広い年齢層を取り込んでいるテレビや新聞は、「嘘を本当にする」力を持っている。普段私たちが耳にするニュースの殆んどが、テレビや新聞である。そして、それらの間違いを指摘できるのも新聞やテレビだ。さらに、新聞やテレビは私たちの意見や知識の源である。つまり、新聞やテレビが私たちの世論を形成しているも同然だ。事実、戦時中の日本は連日のごとく日本の勝利を報道し国民の思想を規制していた。このような国家による情報操作は世界各地で行われているが、その鳥かごの中からは知るすべが無い。しかし、インターネットにはテレビや新聞にはない「自由」な特色がある。インターネットでは誰もが発言権をもっており、様々な意見がある。なのでテレビや新聞のように、恣意的に情報操作をすることは不
可能に近い。その一方で、個人の活用能力や巧妙化した犯罪などの問題も無視できない。
では、どうすればそのようなインターネットの問題点を解決することができるのだろうか。
まず第一に法や行政による整備・規制が挙げられる。デジタル・デバイトは、公共事業によるネット回線の開設や、学校教育制度の改良によって解決することができる。しかし、法の整備ではネット犯罪を食い止めることは不可能である。なぜならネット犯罪は年々巧妙化しており、法律の抜け穴を容易に潜り抜ける。例えば2000年に制定された「不正アクセス禁止法」は、施行から8年以上たっている現在においても不正アクセスは後を絶たない。このようなイタチごっこ状態になってしまえば、どれほど法の規制を強めても無駄である。
そこで、いまこそ道徳によって犯罪を防止するべきなのだ。一見すると道徳と法律は相反するように見えるが、これらには密接な関係がある。法律というのは道徳(人道)を目に見える形に表したものであった。しかし、現在では法律は形骸化し、本来の意義(人道)を失っている。
秋葉原の大量殺人事件の後に「両刃のナイフの所持禁止」が銃刀法に盛り込まれたことは記憶に新しい。この法律ではダイバーナイフも対象とされており、そのせいでプロのダイバーのナイフが片刃の為に命を落とす可能性もある。ここからも、現在の法制度の問題点を垣間見ることができる。
なので、形骸化した法律ではなく一人一人が「恥ずかしい」と思う心を育てることが必要なのである。このような理由から、原点復帰をする必要がある。
具体的には、教育において道徳の占める割合を多くすることが挙げられる。すぐに効果の表れることではないが、教育を見直すことによって無法地帯となっているインターネットは勿論、その他の犯罪の抑止にも繋がるのだ。
《Tomiyama Tenyou》
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