〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

一年二年は夢のうち

2006-08-16 | Weblog
ああっと、そうだったのか!
どうもブログはじめて一周年になるらしいです。

時間がたつってのが、あまりに意外なほどはやいのを
こうして否応なく気づかされます。

一年を振り返れば、
どうもしてないこと、足りなかったこと、
そういったマイナスが目についてしまいます。

つまり当初の克服目標であった落ち込み癖を、
まだ脱却し切れていないということになりますね。
それはかなりの程度、
心の視点の向け方次第ということなのでした。

できたこと、がんばったこともあるはずなので、
そういうことを見つけていこうと思います。

しかし、いろいろな心を扱うすばらしい方法論を
学んできた、その実践報告がブログを書く
当初目標だったことを思えば、
そのことについては厳密に「実践不足だった」と
いわなければウソになってしまいます。

多少忙しかったのは事実ですが(しかし余裕もあった)、
それを言い訳にしていたら、
結局いつまでも放置、ということになりかねません。
そしてあっというまに歳をとってしまうだろう。
というか、現にそうなりつつあるんだよ。

こうなるとスポーツのトレーニングか何かのようですが、
一周年を機に、しっかり毎日やることをやろうと思います。

あと、ついついこれまでの惰性の孤立癖をやってしまうのですが、
いつまでもそういうことをやっているわけにはいかない。
一人だけじゃ、何のために生きるのかわからなくなってしまいます。

ほんとうに「言うだけ」「書くだけ」なら簡単なことです。
言葉だけだったら、「俺は覚った」などということすら、
私にだって言えてしまうわけです。
もちろんそれは実質をともなっていないのだから、
ただの大嘘にすぎません。

だから、問題は“それを、誰が言っているのか”。
有言実行をめざしてがんばるのが
当初の目的からはずれてしまった
このブログ2年目の課題だ。

はじめは日記の公開なんて恥ずかしい行為だと思っていましたが、
やってみるとすっかりはまってしまいました。
お読みいただいた方、ありがとうございました。

毎度繰り言の駄文にて恐縮ですが、
今後ともよろしくでございます。





5 コメント

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覆水盆に帰らず (コスモロジーちゃん)
2006-08-16 22:32:09


 公言したことは、聞かれたこと。



 後戻りは、なし! ですよ。



 よーしっ! 行け、行くんだ!
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ともに (R・三八式)
2006-08-16 23:08:51
ブログ一周年おめでとうございます。



いつも明晰でユーモアのある文章、楽しく拝読しています。

時に弱気な心情吐露型の文章もありますが、私はそこに軍曹の正直な人柄を感じます。



ちなみにイケテナイ文章ですが私のブログも、あと3ヶ月で一周年、頑張ります!



さて、軍曹は、自分に嘘が付けないとても誠実な人なんではないでしょうか。しかしそれがある意味で裏目に出ることもあるようですね・・・。

私は最近かなり(戦略的に)ハッタリかましてしますよ。

いや、ハッタリってけっこう自己成長にとって有効なのでは・・・と思うこのごろです。そして、ハッタリが本当のことに転化することもままあると思います。

私の場合のハッタリは、「どんなことがあっても大丈夫」というのと、「私はスゴイ」というものです。これは「つながりコスモロジー」的には至極真っ当な事実であるはずですよね。私も、「俺ってなんてダメな奴なんだ・・・」って落ち込みやすい方です、いや「でした」かな。でもまだまだ、自己評価は低いです・・・。

とりあえず、ともに「楽勝!」で行きましょう!ギャーテーギャーテーハーラーギャーテーハラソーギャーテーボージーソワカー♪



ピント外れのコメントだったらごめんなさい。



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Unknown (m三曹)
2006-08-18 13:52:12
>コスモロジーちゃん閣下

コメントありがとうございます。

ぜひ後戻りなしでいきたいと思います。

公言すると、自分への縛りになるかなと思いました。

(習慣どおりだと後戻りとなりがちですから)

よろしくお見守り下さい。



>R・三八式殿

いつもありがとうございます!

たいへんお忙しそうですが、お元気でしょうか?

おたがい、これをはじめてもうそんなになるのですね。

時間はやすぎ…

文章、ひじょうにイケてますよ!

ピントはずれどころか、ひじょうにツボをついた正確な射撃照準をされています。

それは鋭い洞察力がないとできないことです。

そういうわけでわがマナ識はイチコロであります。

結構日常生活ではウソ・ごまかしでだましだましやってます。

ま、自分へのウソは、どうしてもわかってしまうので、やらないほうがいいわけですが。

それは気をつけようと思っています。

そうそう、ハッタリ、というか「~かのようにふるまう」ことが自己成長の方法として必要なのでした。

しかも「スゴイ」ってのが単なるハッタリではなく、コスモロジー的にいって事実・真実であること、いやはや忘れがちでして…

ぜひ「楽勝!」といきましょう!









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十進九退(じっしんくたい) (北国のM)
2006-08-20 02:07:26
 玉石混淆でも「玉」よりも「石」のほうが圧倒的に多くて、更に「石」と言うよりも「屑」と言ったほうが適当な投稿で満ちている(ここまで言ったら怒られそうですが)2ちゃんねるですが、



「初めての認知・論理療法 Part4 ~質問回答歓迎~」 http://life7.2ch.net/test/read.cgi/utu/1142046271/



は、なかなか良いと思います。前スレには『唯識と論理療法』が少しですが触れられていました。認知療法が主で、論理療法はあまり語られていないようではありますが、軍曹殿はご存知でしたか?



 改めて反省すると、我ながらIrrational Beliefと言いますかall-or-nothingの両極端の思考を行き来しています。前にこむら返りのたとえで書きましたように、「やりすぎ」もせず「やらなすぎ」もしない適度な思考、そして行動は今の私にとっては至難の業です。仏教語で言えば「中道」というのは簡単なようでいて実はとてつもなく難しいのではないかと感じています。



 それでも、きっと気づかないところで、薄皮を一枚一枚剥いでいくように変化は起こっているのでしょう。本当に「一年二年は夢のうち」ですね。だいたい仏教の言語哲学によると、たとえば「A」という言葉は世界をAから非Aの部分を排除するそうですから、その言葉に強く影響されている思考が極端から極端に走るのは宿命的でもあるのかもしれません。



 とりとめもないことを書いてしまいましたが、これからもお互いに適度な緊張と余裕を持って気長に人生に対して行こうではありませんか!
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Unknown (軍曹。)
2006-08-21 22:58:23
北国のM様

コメントいつもありがとうございます。

ご紹介かたじけなく。存じませんでしたが、そちらでも勉強してみたいと思います。

言語哲学による、ぼくらの言葉がついつい「ある/なし」の極端に走ってしまうという考察、とても鋭いですね。でもほんとうにそんなふうになっているのを感じます。アタマよりもうちょっと深いところでは、どうもそのような単純-極端思考を無自覚にやっているような気がします。

そしてそれをすこしでもグラデーション的に柔軟で現実的なものにしていくのが論理療法とか認知療法なのですね。なるほどです。

ちょっと反論めいていて恐縮ですが、おそらくちゃんと実践すれば、適度な思考を習慣化するというのは、M様にとっても私にとっても、それほど難しくないと思います。…というのは実践で、今後自分的に証明したいと考えています。おたがいがんばりましょう!

そして、そうですね、ぜひバランスをとって気長に。
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