〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

現代の物語ということ

2008-08-06 | Weblog
蒸し暑いですね!(関東地方は)

さてさきに書いたように「合いことば(「愛ことば」と変換された。う、てれくさい、とも思ったが、しかしこれもいいかも)はコスモロジー」ということで、がんばって書こうと思ったのですが早くも一頓挫。

もちろん時間がちょっと厳しいということもあるのですが、しかし熟考・準備して時間をかけないと書けない、ということはまだまだ能動的記憶になっていない=身についていない、ということで、そういうレベルで「おれよく知ってんだろ~」みたいな書き方をしてもほとんどしょうがない、ということに思い至りました。

また、そういうことはお伝えしてきたように、すでに本家ブログで語りつくされていると思われるので、まずあらためて自分がそっちの勉強をしなおすのが先じゃない?と思われてきました。

慙愧の念に…まあ平気で耐えちゃってますけどね。

そういうわけですが、一方しかし何か書きたい、お伝えしたい、というような思いというか執着は捨てきれず、とりとめもないにしても書こうと。

「現代科学的コスモロジー」というと難しいようですが、教わってきたところでは大枠の話はむしろ非常にシンプルといっていいくらいで、おそらく中学生くらいの子でも理解できるのではないかと思います。
ぎゃくに私たちがコスモロジーを自分の心に再獲得するためには大まかな「見取り図」こそが必要ということのようです。

だから文系のひとで、私のように「理系・数学アレルギー」(私はほとんど「恐怖症」で、時々夢で数学の授業とかテストで脂汗をかき、目覚めて心底安心する体験をします…)のある人もまったく安心だと思います。
中学高校のときに先にこれを教えてもらっていれば、生物はきっと好きな教科になったろうに…!

このコスモロジーは20世紀に入ってほぼ確立された、現代科学5つの画期的な飛躍(ジャンプ)をもたらした理論を主要な基礎として、宇宙が始まって(驚くべきことですが、観測的事実として「始まった」というのがもっともリアルな認識のですね。忘れがちですが考えるほどすごい!)137億年の歴史をわかりやすく12か月のカレンダーになぞらえ、それを10の「物語(ストーリー)」で構成しています。

というと何のことか分かりにくいかもしれませんが、ともかくたぶん一番おおきな意味は、(ほぼ確立された・世界的合意レベルの)現代科学の視点からみると、宇宙は私たちの「物語」として語ることができる、ということではないかと思います。

物語、ファンタジー、それがなに? なにをセンチメンタルなことを、と思われるかもしれませんが、しかしとりあえず理屈がわかると(私も何とか理解できた気がしています)、こういう物語の方が逆にリアルに思えるのが、不思議のようでもあり当然のようでもあります。

やっぱり科学の裏付けというのは「水戸黄門の印籠」ばりに説得力があります。
それがなかったら自分もちょっと飲みこめなかったと思います。


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