住友剛の公式ブログ

従来ocnブログで運営してきた「住友剛の公式ブログ」を、こちらgooのブログに移転しました。当面、こちらで運用します。

「ふくしま」と白石からもどってきました。

2012-08-14 20:51:58 | 健康・病気

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前にもブログに書きましたが、8月10日(金)~12日(日)の3日間、私は福島県まで出張で出かけておりました。まず、東日本大震災・教育復興支援のシンポジウム「いま、ふくしまの子どもたちとともに歩む―学校・家庭・地域がすべきこと―」が福島大学で8月11日(土)に開かれました。上の写真はそのときの配布資料なのですが、これにゼミ4回生4人とともに出席してきました。
ちなみに、ゼミ4回生のうちひとりが、いま、卒論のテーマに福島県からの県外避難生活を送っている子どもの暮らしを選んでいます。また、このシンポジウムは、今年5月にミネルヴァ書房から出た『「ふくしま」の子どもたちとともにあゆむスクールソーシャルワーカー』という本の出版記念イベントも兼ねています。私もこの本には、阪神淡路大震災のときの教育復興担当教員の取り組みなどについて書きました。そんなこともあって、このシンポジウムに参加した次第です。
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それから、シンポジウムの前日、10日(金)には、東北新幹線で福島の一駅先、白石蔵王駅で降りて、白石市の図書館に行ってきました。ここに、故・鈴木祥蔵先生の書かれた本が寄贈されていると聞いたので、どのような形で所蔵されているのか、見に行きました。故・鈴木先生は、幼児教育や保育、子どもの人権などに関する研究者。というよりも、私がいつもお世話になっている(社)子ども情報研究センターの所長を、その前身・乳幼児発達研究所時代から長年務められていますし、なによりもわが母校・関西大学文学部教育学科で長年、教員を務められていた方です。そして、亡くなられてからあと、鈴木先生の蔵書整理のお手伝いもさせていただき、そのいくつかは我が家で預かっています。その蔵書整理の際に、ご遺族から何冊か、鈴木先生の故郷・白石市の図書館に送られたと聞いたので、見てきた次第です。この図書館の「郷土資料室」のところに鈴木先生の主だった保育・幼児関係の著作が並んでいました。あとの本はデータベースを確認したところ書庫に収められている様子です。
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あと、12日(日)は、福島大学の方に案内していただく形で、福島県の浜通り方面への日帰りバスツアーに出かけました。うちの大学からも私とゼミ生4人が参加しましたが、ほかにも関西からはスクールソーシャルワークに関する研究者、現場実践者や大学生などがたくさん参加していて、この日は、関西からの参加者みんなでJR福島駅からバスに乗って、川俣町・飯舘村・南相馬市へと往復することになりました。
このバスツアーに参加してみて、福島県の浜通り地域は地震・津波の被害とともに、原発事故で長期間避難生活を余儀なくされていること、今もなお地元に帰るめどがなかなか立たないことなどが、さまざまな形で復興に影響を与えていることが、このバスツアーでよくわかりました。
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これは南相馬市の海沿いのある場所で撮った写真ですが、津波のあと、海の水が田畑のうえからなかなかひかずに、こうして残っているところがまだまだあるようです。こういう場所を見ると、あらためて、地震・津波の被害の大きさを実感します。この土地がもとの田畑にもどるためには相当な月日が必要ですし、その前提として、ここに人が戻って暮らすことが必要。でも、この写真を撮ったあたりはようやく避難指示区域の指定がはずれたばかりで、「これから、人が戻って来るかどうかわからない」のだそうです。なにしろ、このあたりはまだライフラインや住宅の復旧もできていませんし、その上で、人が暮らすと衣食住に必要なモノを調達する店なども必要ですし・・・・。このような光景を見ますと、ほんとうにずしんと、心身ともに衝撃がはしりました。しばらく、このときに見聞きしたことを、うまく話すこと、文字に書くことができませんでした。
この時の衝撃が大きかったのか、それとも福島行きの疲れがでたのか、私、昨日、今日と、寝てばかりで過ごしました。特に昨夜から今朝にかけては、起きていられない感じ。晩ごはん食べて少し横になったら、そのまま起きられずに朝を迎えましたね・・・・。





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