仕事明けの日は筥崎(はこざき)八幡宮へ。主祭神は応神天皇(15代)で三大八幡宮の一つだ(他は宇佐神宮と石清水八幡宮)。本殿に掛かる扁額「敵國降伏」は醍醐天皇の宸筆で、元寇の際に亀山上皇が奉納した。建築物の多くは16世紀の建造だ。神木「筥松」は天皇の胞衣を埋めた場に立つという。

次に香椎宮。祭神は仲哀天皇(14代)と神功皇后だ。熊襲征伐の際に天皇がここで崩御され(3世紀後半?)、仮宮(橿日宮)に廟を設け、8世紀に社殿が造営されたようだ。天皇と皇后に仕えた軍師の武内宿禰を祀る摂社もある。本殿は江戸後期の再建だが独特の構造(香椎造)らしい。

最後は宗像大社。本土の辺津宮(祭神:イチキシマヒメ)、筑前大島の中津宮(タギツヒメ)、沖ノ島(約60キロ沖合)の沖津宮(タゴリヒメ)の三社からなる。宗像三女神はアマテラスとスサノオの誓約(うけい)で生まれ、天孫族を助けよとの神勅を受けてニニギより先に降臨したとされる。
その降臨の地は六ヶ岳(社の南東約20キロ)で、三女神は山麓の六嶽神社に祀られている。宗像大社のご神体(身形)は、降臨の際に託された宝物(鏡と玉)だ。近くには八所宮(イザナギ・イザナミを含む神代の四組・八神を祀る)があり、東方の猿田峠は猿田彦にちなむ。いかにも曰く有り気だ。
文化的に特筆すべきは、禁足地だった沖ノ島で戦後行われた発掘調査だ。島には縄文から10世紀頃までの祭祀遺構が原姿で残され、「海の正倉院」状態だった。出土品のうち約八万点が国宝に指定されている(神宝館で公開)。中でも勾玉や金の指輪などは圧巻で、見る者を飽きさせない。


この価値が認められ、近くの新原・奴山古墳群(41基の宗像氏の墳墓)を含めて、2017年に世界文化遺産の指定を受けた。また、玄界灘は半島との重要かつ困難な航路だ。航海の安全を預かる神、現代では交通安全の神として崇拝を受けている。決して便利な場所にはないが、平日でも参詣者は多い。
関連人物には、天武に嫁ぎ高市皇子を生んだ宗形氏の娘(尼子娘)がいる。皇子は壬申の乱で天武の勝利に大きく貢献し、太政大臣として皇親政治を支えた。地元の赤間出身で出光興産の創業者・出光佐三は大社の信者で、発掘や復興に私財を投じたという。筑前の歴史と信仰を実感した。(了)