ウォーキングと旅行でのひとり言

瀬戸の港町 鞆の浦 散策 その9




今から、福禅寺に入ります。

平安時代の天歴年間(947年から957年)に、空也上人が、観音堂として建立したと伝わっています。

のちに寺号が観音堂から「福禅寺」に改められ今日まできました。





たくさんの人が座って、見ているのは、鞆の浦第一の景勝地と言われている景色です。








ここを「対潮楼」と呼びます。

1694年に、憲意上人によって本堂が改築された時に、新しく造られた客殿でした。

朝鮮通信使三役の迎賓館として使われてきました。

朝鮮通信使とは、室町時代から江戸時代にかけて、李氏朝鮮から日本へ派遣された外交使節団です。

いわば、文人、墨客の交流の場でサロンだったのですね。

朝鮮通信使、従事官、李邦彦は、この眺望を「日東第一形勝」と賞賛しました。

のちに、正使、洪啓禧によって「対潮楼」と名付けられ、書を残します。


気付いたのですが、この眺望は、谷村新司さんが歌う「いい日旅立ち」のジャケットに使われていました。

(谷村新司さんの歌も素敵ですが、山口百恵さんの歌もすごく好きです。旅行しているときは、鼻歌で出てきたりします⋯⋯⋯⋯。)





鞆の海を、「平成いろは丸」が進んでいます。





朝鮮通信使のことも展示してありました。





通信使の行列でしょうか?⋯⋯⋯。

龍馬「いろは丸」の長崎への入港姿の絵を発見したとの記事。





ここの奥に、福禅寺の本尊の千手観音がおられます。




この寺を出て、再び、鞆の港に行きました。





黄色の線に沿って番号順に歩きます。


もときた道を下ってここを再び通りました。





好きな景色です。


しばらく、下って、鞆の港に着きました。





ここの「雁木」を修復しているようでした。

この近くに、住吉神社があり、その中に、「力石」が3個置いてあります。








鞆は海運の発展とともに、かっては多くの仲仕が、船積み荷物の陸揚げや積み込みなどに従事していました。

力自慢の仲仕らは、祭礼の場などで、力石をあげて、その力、技を競ったようです。

さし上げられた石に名前が刻まれ神社に奉納されました。


ここを見学して、予定していた場所はすべて観光することができました。

今日は、これから市営渡船乗り場に行って、「平成いろは丸」で仙酔島へ渡り、国民宿舎で泊まります。





行く途中で見た「福禅寺」です。ずっと上の方にあります。


途中の保命酒屋で、なぜか普通の日本酒を買いました。


今から乗る「いろは丸」です。





約5分の船旅を、龍馬になった気分で楽しみました。

コメント一覧

枝川と申します
素敵な旅ですね。
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