黄色の線に沿って番号順に歩きます。
日牟禮八幡宮の楼門の前にいます。
近くに寄って見ると、素晴らしい彫刻がありました。
境内に入ります。
遠くに、拝殿があります。
右側には、能舞台がありました。
神楽や田楽を奉納するために造られたのでしょうか?
この能舞台は立派ですね。
奥へ歩くと、御本殿がありました。
三間流造、宇佐の神を勧請して創建されました。
古くから八幡商人の信仰を集め、社宝には、ベトナムまでその活躍場をさがした八幡商人の代表格西村太郎右衛門が奉納した「安南渡海船額」をはじめとして、重要文化財が多くあるようです。
この八幡宮の、左義長、八幡まつりは全国的に有名なようですよ。
左より常盤神社、天満宮、宮比神社です。
ここの参拝を終えて、「西川本宅」の方へ行きます。
白雲橋を渡ると、正面に、再び「白雲館」が現れました。
ここを、右に曲がって、少し歩くと、道の右側に「西川本宅」がありました。
近江八幡を代表する豪商として知られています。
初代西川仁右衛門は、天正14年(1586)に秀次が八幡山城を築城した時の工事管理を行った人物として有名で、そのまま土着しました。
二代の甚五郎は、特に萌黄蚊帳を創案したことで、八幡蚊帳や近江蚊帳が飛躍的に発展し、西川家の基礎を築いたと言われています。
今では、ふとんの西川の西川産業。ここの当主の名は甚五郎が多いみたいです。
ここからさらに先へ行くと、「近江兄弟社」がありました。
明治38年に、創業者のW・M・ヴォーリズがキリスト教の伝道のためやってきて、八幡商業学校に英語教師として赴任します。
ところが、課外活動としてはじめたバイブルクラスに生徒が数多く集うことになり、仏教色の色濃いこの地域でむつかしくなりました。
2年後に、教師の職を解かれます。
彼は、この後、建設設計や近江兄弟社のメンソレータムで活路を見出しました。
昭和39年に、83歳で生涯を終えるまで、近江八幡にとどまり、キリスト教伝道と、事業展開を行いました。
私の幼い頃に、メンソレータムの名をよく耳にしたことを覚えています。
今は、「メンターム」になっているようですね。
道を挟んで、この建物の前に、ヴォーリズ像がありました。
むこうに見えるのは、西川本宅と思われます。
ここに石のベンチがあったので、しばらく休憩します。
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mamekichi
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