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ぱれお・はぺとろじー
古代の爬虫類・両生類についてのあれこれ




沖縄県で見つかった旧石器時代人「港川人」の復元模型。国立科学博物館の展示から。

 

旧石器時代は人間の歴史の最初を飾る記念すべき時代である。

我々ホモ・サピエンス以外の人類がいた期間も含むこの非常に長い時代の間、人々は主に動物を狩り、生活していたとされている。

「旧石器時代の人々の活動が他の動物たちにどんな影響を及ぼしていたのか?」というのは、当時の人間の生活・動物たちの生き方、どちらを理解する上でもとても興味深いテーマだ。

ところが、日本ではこの問いに対する情報を得られる機会が著しく限られている。

骨の保存に不向きな火山灰からなる酸性の土壌に覆われている場所が大半だからである。

 

そんな中、このテーマに関する情報を得られる数少ないフィールドが存在するのが、骨の保存に適した石灰岩に覆われた大地を持つ沖縄だ。

このような沖縄の旧石器時代の遺跡で特に有名なのは港川フィッシャー遺跡であろう。

ここから見つかった人骨は、東アジアの旧石器時代のものとしては、有数の保存状態で、この地域の人類史を理解するうえで欠かせない資料となっている。

 

さて、この港川フィッシャー遺跡からは人間以外の様々な動物の骨も見つかっており、その中には爬虫類の骨も含まれる。

ここから見つかる爬虫類の骨の中でも、人間との関わりを考察するうえで特に興味深いのが、カメのものである。

 

港川フィッシャー遺跡からは下記の4種類のカメが見つかっている。

 

オオヤマリクガメManouria oyamai(絶滅種)

リュウキュウヤマガメ Geoemyda japonica

セマルハコガメ属の一種 Cuora sp

イシガメ科の一種 Geoemydidae sp

 

↑現生のセマルハコガメ。国立科学博物館の展示から。

 

この遺跡の堆積物を下から順に9つの区間に区切り、それぞれの区間から出てくるカメの化石の数を調べてみると以下の表のようになる。

 

表:港川フィッシャー遺跡の各区間から産出するカメの化石の数(参考文献1より改変)。番号が小さくなるほど時代が新しくなる。

 

特に注目していただきたいのが各区間から産出したカメ化石の合計数である。

赤の線をひいた6と7の区間を境に大きくカメの数が減っていることがお分かりいただけることと思う。

興味深いことに、このカメ化石の数の減少パターンは,人間の狩猟対象になったと思われるシカ類の産出状況の変化とも似ているのである。

解体痕等の直接証拠は確認できていないが、このデータは旧石器人からカメに対する捕食圧があった可能性を示唆している、と言えるだろう。

 

実は、ここで取り上げた更新世の終わりの頃、大きめの陸生の動物たちが絶滅するという現象が世界各地で起きていることが知られている。

この現象が、人間の影響によるものなのか、非人為的な変化によるものなのかは、議論があるが、いずれにせよ「人間はいつから自然環境に大きな影響を与えるようになったのか?」という現代の環境問題にもつながる大きな問いに答えるうえで重要なところだ。

今回取り上げたような日本の化石もこの大きな問いの解明に貢献できる部分があると思われる。

この記事を読まれている皆さんにも、この辺りの時代の日本の化石に興味を持って色々考えていただけると嬉しい限りである。

 

参考文献

1.  髙橋亮雄、池田忠広、真鍋 真、長谷川善和「沖縄島の更新世港川人遺跡から発見された淡水生および陸生カメ類化石」群馬県立自然史博物館研究報告(22): 51-58, 2018

2.  山崎真治「シリーズ「遺跡を学ぶ」104 島に生きた旧石器時代人 沖縄の洞穴遺跡と人骨化石」新泉社

 



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オオアタマガメのはく製。大阪市立自然史博物館「大地のハンター展」の展示から。

 

 

甲羅があり、その中に頭や手足をひっこめられるというのは、他の脊椎動物では中々お目にかかれないカメのユニークな特徴の一つであろう。

ところがカメの中にも時々そんな「カメらしさ」を捨てた変わり者が現れる。

その一つがオオアタマガメだ。

現在中国南部から東南アジアにかけて分布しているこのカメは、頭が大きすぎて甲羅の中に頭をひっこめられないし、甲羅もそれほど発達していない。

 

そんなちょっと風変わりなカメのものと考えられる化石が日本の大分県で見つかっていることを皆さんはご存じだろうか?

 

津房川層という大分県に分布する鮮新世の時代に堆積した地層から見つかった頭頂骨(頭骨の天井の後ろの方を形作る骨)の化石がそれである。

 

・・・と聞くと皆さんは、「どうして頭頂骨1つだけでオオアタマガメのものであるとわかるのか?」と疑問に思われるかもしれない。

少し解説しよう。

 

端的に言えば、一般的なカメの頭頂骨に見られる湾入(図1)がないというのがポイントである。

 

(図1)一般的なカメの例。姫路市立水族館に展示されているナイルスッポンの頭骨。後頭部に湾入があることがはっきりとわかる(丸で囲んだところ)。

 

鮮新世にいてもおかしくないカメでこの湾入が目立たないものは下記の3グループに限られる。

 

1 ウミガメ上科の仲間

2 ヨコクビガメ科の仲間

3 オオアタマガメ科の仲間

※念のため言っておくと、たまたま湾入がないという特徴が共通しているだけで、これらの3グループがは互いに特別近縁というわけではない。

 

(図2)ウミガメ上科のアカウミガメの頭骨。これも姫路市立水族館の展示から。展示の仕方の関係で図1のナイルスッポンと少し違う角度(後方)から見ている。後頭部にナイルスッポンで見られるような深い湾入がないことがよく分かる。

 

化石が産出したのは淡水で堆積した地層なので1のウミガメ上科の仲間であるという可能性は考えにくい。

また、2のヨコクビガメ科の仲間であれば、頭頂骨に特徴的な溝が見られるはずだが、この標本にはそれが見られない。

というわけで、これは3のオオアタマガメ科の仲間の化石と見るのが妥当だろうというわけである。

この地層から現在オオアタマガメと同じ地域に住んでいるほかの淡水生カメの化石が見つかっていることもこの見方を裏付けている。

 

この論文の中では、確実なオオアタマガメの仲間の化石記録と言えるものは、これが世界で初めてとされている。

(カザフスタンのもっと古い時代の地層から見つかっているプラニプラストロン Planiplastron というカメをオオアタマガメの仲間とする説もあるが、それに対しては否定的な見解を示している。)

 

論文の発表から20年以上経つので、今ではオオアタマガメ科の仲間の化石記録ももう少し増えているかもしれないが、この大分県産の化石が世界的に見ても貴重な発見であることは間違いないであろう。

 

*****

 

今回紹介したネタは滋賀県立琵琶湖博物館に足を運んだ際にたまたま購入した調査報告書で見つけたものである。

こんな風に現地の博物館に行ってみると、あまりネット上には情報が出ていないけど興味深いネタが見つかることも良くある。

皆様にも時には博物館に足を運んでネットに出ていないような情報にも注目してみることをオススメしたい。

 

参考文献

平山廉 「大分県安心院町の津房川層(鮮新統)より産出した化石カメ類」 琵琶湖博物館研究調査報告 第18号 79~96ページ 2001年

平山廉 「カメのきた道」 NHKブックス



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