その後には報告を踏まえて、山田町に何ができるか富山県での動きについて考えていけたらと思います。
ぜひ多くのご参加お待ちしています。
山田町の現状と支援についてということで、初めての方も参加しやすいのではと思います。
お友達にも声をかけてください。
とき:5月8日(水)14時~16時30分
場所:ウィングウィング高岡 6階 男女平等推進センター交流センターA
岩手県山田町の方々の声。
http://ameblo.jp/takaokanohennjinn/ より
ガレキなど、全く生活に関係ないことがうかがえます。。。
(以下転載)
被災地の悲しみには遠い自分が、どう、その土地の人の声を聴けるか、が胸につかえ、また個人の裁量で行うことにためらいも感じましたが、謙虚にお聴きすることで許していただこう、と思いました。
(なお、私の聴き間違い、話された方の勘違いなどもあるかもしれません) 聴き取り責任者: のはらひとみ
山田町の人の声 1
震災で今一番困っていると感じているのは、特に仮設住宅に住む被災者の心のケアです。話の拝聴ができる方、マッサージができる方が欲しい。保健師によると仮設住宅に住む八割くらいの人は睡眠薬がないと夜寝られないという。昼間は元気そうに見えますが…。隣の声も聞こえるような状態の仮設住宅に住み、先の不安を思い、一年の間にまるで五年も過ぎたように急に老けこんでしまう人もいる。そんな中で、話を聞いてくれるような、拝聴ボランティアですね、そういう人が要ると感じている。
ここでやっていることは、毎週、町内の仮設にいるお年寄りを迎えに行って、お茶の会をしたり、カラオケなどしたり。また、この作業所は、仮設住宅と近くにありますが、仮設に居住する方、また、自宅を修理している方を病院に無料で送迎しています。盛岡、宮古、釜石を結ぶ山田線は、陸橋が流され、JR東日本は鉄道を再建するとも言っていない。大きな病院を利用するには、隣町まで行かなければならず、バスやタクシーではお金がかかる。
病院は宮城県では4月から有料。岩手県では今年12月から有料になる。もう震災から二年もたったのだからいいだろう、ということでしょう。
ここでは自分たちのこともしながら、お金の苦労もしつつ被災者を支援しようとしているので、勿論お金の援助は有難い。
ここはリアス式海岸で平地が少ない。家も半分流された状態の中、移転が具体的にならない。公営住宅の建設が遅れている。それには、土地が買えない問題もある。住宅が建てられるような土地は私有地が多いから高く売りたい人は中々折り合いがつかず売らないので、土地が買えない。
瓦礫は燃やせるものについては静岡などで処分してもらって大分片付いてきました。が、まだ、燃やせないもの、化学繊維の処理などが残っています。
(遠方で助成金を使って燃やすより、被災地で人々のためにできるだけお金を使ってほしい、ということに同意されておられました。)
山田町の方の声 2
個人経営者
復興は目に見えない形では進んでいると感じている。自宅は残ったが、店舗は仮設。
お店には商工会を通して国の補助がある程度出ている。が、流された商品の支払いは地元の問屋にしなければならない。住居と店舗が一緒になっている人は、そこが住めないならかなりの義援金がでるが、店舗だけがだめになっても微々たる額しか出ない。
いつできるのかはまだ分からないが、そのうち商店がまとまって、ある地域に商店街として建設される予定だ。しかし、うちの店が入れるのかどうか・・・。人工が減ってしまい、若い人は盛岡に行く。そのため商店に影響が出ている。仮設店舗は小さいし、売り上げも少ない。
(瓦礫については、「がれきは一カ所に集められている。他の県で処分してもらって少なくなった。ここからは見えない。生活のじゃまになってはいない。」ということです。)
山田町の声3
個人経営者
うちは、家があり、組合でやっているこちらの店も残った。(良かったですね~!!)
生活は普通に戻りつつある。
(現在困っていることは?というこちらの質問に「うーん」、と困っておられる。この方は困っていることはないのかな、、、?)
以前と比べてお店はどうですか?と尋ねると、
「売り上げは震災前と比べて上がっている」のだそうです。
震災で辺りの店が流されたため、この周りにお店がなくなった。ここでは、大内か山田町の町外にでないと買い物が出来ない。ので、うちの店に来てもらう人が多くなった。
今は仮設店舗も出来たので、通常に戻ってきました。
JRが止まっている所があるため、それをカバーするためにバスが頻繁に行き来しています。それがここで停まる。また、首都圏などからの観光や、被災地へのボランティアの人が利用するバスもここを中継地点にしてくれています。
(売り上げが増えた、というのはそちらの方も重なって、ということでしょう)
町としては、どんなことに困っておられますか、というような質問をして、それに無理に答えていただいたような感じ、でした。↓
・・・うーん、やはり、土地関係かなあ・・・。以前の土地に住宅を建てられなくなったけれど
(津波が来たのでもう宅地には出来ない)、いつ土地の買い上げをしてくれるか分からない、という話を聞く。
水に浸かった所は、値段が極端に低くなっているし、家も建てられない。安全な所は上がっている。
山田町の声4
個人経営者
一番見ていて辛く思う事は、仮設住宅にいるお年寄りの孤立です。
被災し、同じ地域の人と離れ、これまでの付き合いをなくし、みたこともない人が隣、近所になってしまった。
(仮設住宅は、当初、小中学校など学校の敷地の一部を借りて作られるものが最初は多かった、ということ。しかし、最初に入る人達は、お年寄りや、また、小さい子供がいる人が優先だった。抽選に申し込み、当たったら、入れる。ゆえに、これまでの付き合いのあったご近所さんが近くにいるわけではない。)
最初の頃に建った学校の仮設住宅は、二年契約。防音装置がしっかりしておらず、お風呂は追い炊きができなかったので保温ができないものだった。(後に追いだきができるものに改良される)
○○ハウスという安っぽい仮設住宅です、ということです。その後の大家さんがいる場所ではもう少し住宅として程度がよいものが建ち、ちょっと不便な離れた場所にある仮設住宅は、かなりいいものが建っている。
(「仮設の造りも色々だというこということ、、、その理由は、何でしょうね、不便なところだから、家は少し良くしましょう、とか、そういうことでしょうか?」と尋ねると、「まあ、そうじゃないですかね」というようなお答えでした。仮設住宅は長屋式なのだそうです。全てがそうかどうかは聞きそびれ)
私の家は火災で消失しました。地震保険に入っていたため、半分のお金がおりました。
家があった場所は、昔、津波が来たところだったので、夫に「地震保険には入っておいた方がいいよ」、と言いました。それで地震保険に入っており、今回補償を受けることができたのです。
(注・地震が元でその後火災にあった家は、たとえ火災保険に入っていても保険は出ない!)
でも、まだローンは払っていますよ。
がれきのことについても触れると、「瓦礫は撤去されて邪魔にはなっていません。」とのこと。
(もう、今ではその答えが当たり前になっている、と言っていいほどです)
「そうそう、特に仮設住宅はの回りに、街灯が少なくて、暗い。」
問題のNPOの話も少しお話をされました。
その人はリコールの署名をされた、ということです。しかし、役所の人などは、「後でなんかあるのではないかなー、という不安から、署名がしにくい、」ということでした。
山田町の人の意見5
家は津波には耐えましたが、その後の火事で焼けました。困っているのは、家の基礎の部分が壊されていないことです。そこが砕かれないと、土地が使えない。行政がやってくれるのですが、それを個人でやるとお金がかかります。
うちは三階だて。一階が店舗で上に居住していました。新しい場所に店を持とうとしているが、現在その土地は、一坪買った当初30万から、9万二千円に下がってしまいました。(三分の一以下)
反対に、水がつかなかった高台の土地はとても値段が上がっています。(1・5倍ほどらしい)
土地がこれ以上上がらないように上限を設けてほしい。
現在は仮設住宅、仮設店舗を利用しています。
仮設住宅は、4畳半二間、6畳一間、台所です。そこに5人で住んでいる。当時小学校だった娘は中学生になりました。中学生といえばもう大人、大きくなって狭い。勉強する机がおけなくて、畳に寝転んで勉強している(笑)。
仮設店舗は、一棟に八店舗が入った二階建てです。同じ場所にそれが五棟ある。うちは二階を借りているので、お客さんには(お年の方が多いため)登ってくるのが結構大変。
仮設店舗は二週間に一回、水質を調べに県から委託された業者が来ます。店舗は今は家賃や固定資産税はいらないが、光熱費は各自で、加えて水の検査費用がかかるので、共益費として、ここの40店舗の人は皆、月4000円ずつ出しています。一年に一度は浄化槽の大掃除もあり、その時には何十万といりますから馬鹿にならない。
店舗の質が違うと、夜でも飲食店など店を開けるところがあります。外の電気もつけておくことになり、トイレは汚れるので、掃除してくれる人を雇いました。職種の違う所は一つに固まったらいいけど、、と思います。(飲食店なら飲食店だけの店舗)
仮設店舗は国の中小機構が用意したものです。二年たったら県に払い下げする、ということです。が、最終的には撤去する時に町でお金を持たなければいけないようだ。これもどうするのか、、、。
うちは他に家を持っていて、そこに娘夫婦が住んでいた。私たちの持ち物だけど。そこに住めなくなった娘夫婦にはお金は出るけれど、私達にはお金は出ないんだよね。大家さんの立場の人はお金が出ない。(ここでかいている情報の中で正確でないものもあるかもしれません)
(義援金、生活支援金、などは、何回かに分けて手にされ、全部で500万円くらいになっているかなあ、数えてないので、、、ということも聞きました。「先日阿部総理が来て、義援金を増やす、ということを言った。その話で500万くらい増えるのかと思ったら、勘違い。あと100万ほど増えるかも」ということも話して頂きました)
山田町の人の意見6
役所
現在は物的支援はあまり困っていない。どこに住宅、店舗が再建できて、どんな補助金が受けとれるか、という問いあわせが多い。義援金については、山田町はほとんどの方がすでに申請され受け取られている。
被災者支援については、各課で受け持っているが、いずれにしても今後の生活の構築、収入と支出の問題、将来の不安などがあると思う。
*家の取り壊しについては、災害危険地域で基礎の取り壊しをしたい人は、5月30日までに町に申請をすれば、それについては国のお金を使い、町で撤去することになる。それ以降は町のお金で撤去する。
*これまでは、仮設住宅までの道路の整備など、その都度町民の声を聞きながらやってきた。
(仮設店舗で二週間に一度ある水質検査について)
*水質検査は町が委託して民間の業者「山田の海を守る会」が行っている。予算は町で出している。会の会長は、現町長が兼ねている。山田町では漁業が大きな打撃を受けたが、淡々と整備をしつつあるところだ。
(「これまでに水質が問題のレベルにまでなったことはない」ということです。)