ごめんなさい。今日は昨日の続き。昨日の記事を読まれていない方はまずはこちら『前代未聞』からお読みくださいませ。
それで、結果はですね、、、ダメだったんですよ。やっぱり途中でつまづいて。悔しかったですネェ。なによりみんなの期待に応えられなかったことが。先生も僕が相当頑張っていたのを知っていたので、『どうする?』って感じで僕を見たのですが、僕は首を横に振ることしかできませんでした。結局、それまで練習の時に弾いてくれていた女子が伴奏者に。
音楽室から教室へかえるまでに、僕は抜け出し、トイレへ。涙をこらえることができなかったんですよ。人前で涙を見せるのが嫌で。でも、いなくなったら心配すると思って、一瞬で泣いて、なんとかこらえて教室にもどると、何か盛り上がりが・・・?
『先生が、○○(←僕の名前ね。)の伴奏で、文化祭は歌うぞ!!』って。
少し解説をいれると、合唱祭は学年単位で行われて、上位クラス(各学年、1位と2位だったかな)が文化祭で歌うことができるのです。
ここまで練習してきたんだから、文化祭で弾かそうって。。。人前で涙を流さないように、ずっと、ずっと、ずっ~とこらえてたのに、また涙があふれてきました。
その数日後に行われた合唱祭。僕らのクラスは、上位クラスに入り(1位か2位かは覚えていません)文化祭で歌えることになりました。
変な話ですよね。僕は自分の頑張りをみてもらい、伴奏をすることでクラスをまとめようとしていたのですが、弾かないことで、逆にクラスがひとつになれたんですよ。ホント、うれしかったですよ。自分の頑張りを認めたもらったこと、クラスが団結して一生懸命歌ったこと、先生の配慮、それまで伴奏してくれていた女の子。もう全てに感謝でした。
それから、数日後。文化祭で伴奏する僕の姿がありました。今となってはよく覚えてないのですが、つまづいていたところはクリアし、大きなミスはなく最後まで弾けたと思います。
きっと、今までやってこなかったことを理由に、『できない』って決めつけて、自分の可能性を消したらいけないんですよ。強く、そう思います。
ちなみに、3年の時は、クラス替えがあったんですが、最初っから伴奏者は僕でした。またまた練習し、今度は合唱祭でも弾けたのです。
2年の曲 『草原で』
3年の曲 『遠い日の歌』
長々とありがとうございました。
広島ブログ
それで、結果はですね、、、ダメだったんですよ。やっぱり途中でつまづいて。悔しかったですネェ。なによりみんなの期待に応えられなかったことが。先生も僕が相当頑張っていたのを知っていたので、『どうする?』って感じで僕を見たのですが、僕は首を横に振ることしかできませんでした。結局、それまで練習の時に弾いてくれていた女子が伴奏者に。
音楽室から教室へかえるまでに、僕は抜け出し、トイレへ。涙をこらえることができなかったんですよ。人前で涙を見せるのが嫌で。でも、いなくなったら心配すると思って、一瞬で泣いて、なんとかこらえて教室にもどると、何か盛り上がりが・・・?
『先生が、○○(←僕の名前ね。)の伴奏で、文化祭は歌うぞ!!』って。
少し解説をいれると、合唱祭は学年単位で行われて、上位クラス(各学年、1位と2位だったかな)が文化祭で歌うことができるのです。
ここまで練習してきたんだから、文化祭で弾かそうって。。。人前で涙を流さないように、ずっと、ずっと、ずっ~とこらえてたのに、また涙があふれてきました。
その数日後に行われた合唱祭。僕らのクラスは、上位クラスに入り(1位か2位かは覚えていません)文化祭で歌えることになりました。
変な話ですよね。僕は自分の頑張りをみてもらい、伴奏をすることでクラスをまとめようとしていたのですが、弾かないことで、逆にクラスがひとつになれたんですよ。ホント、うれしかったですよ。自分の頑張りを認めたもらったこと、クラスが団結して一生懸命歌ったこと、先生の配慮、それまで伴奏してくれていた女の子。もう全てに感謝でした。
それから、数日後。文化祭で伴奏する僕の姿がありました。今となってはよく覚えてないのですが、つまづいていたところはクリアし、大きなミスはなく最後まで弾けたと思います。
きっと、今までやってこなかったことを理由に、『できない』って決めつけて、自分の可能性を消したらいけないんですよ。強く、そう思います。
ちなみに、3年の時は、クラス替えがあったんですが、最初っから伴奏者は僕でした。またまた練習し、今度は合唱祭でも弾けたのです。
2年の曲 『草原で』
3年の曲 『遠い日の歌』
長々とありがとうございました。
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