
全国各地から沢山(と言っても例年より少ない)の遺族が来ていたが、僕ら家族の席は幸いにも東京のK夫さん夫婦の隣に用意して戴いていたので、昼食時間中、互いに懇談をすることができた。
昼食後、奈良と高知へ帰る従弟らを順次見送ってから(それぞれ帰途の便が違う)僕らはその日の宿泊地である指宿へ向かった。
5日間の休みを取って鹿児島までやって来た僕ら家族と違って、従弟らは月曜日からの仕事があるので、ゆっくりできないらしい。
特に4月は繁忙期だから、奈良の従弟は土曜日の午後に大阪の伊丹空港からやって来て、日曜日の午後には伊丹空港へトンボ帰りし、そこから妻子が待つ奈良市の自宅へ帰るというハードなスケジュールを十数年も続けている。
彼の定年は「20年先」だそうだから、それまでは慰霊祭に出席しても毎年のようにトンボ帰りをせねばならないようだ。
それぞれの遺族もまた同じような問題を抱えているのだろう。
そのため、東シナ海に面した慰霊地までの道のりはたいへん遠く、十数年前に比べると遺族の出席も半減した。
旅費などの経済的負担と時間の制約が「出席せねば・・・」という思いに大きく・重く圧し掛かる。
僕が出席できるのも後5~10年位だろうと思う。
それに、僕が行けなくなる頃には(遺族の出席も)更に半減することだろう (ノ_・。)・・。
戦争の傷跡が風化しつつあることが寂しく、とても残念だが、毎年のように慰霊祭を開催して下さっている南さつま市の皆さん方には、頭が下がる思いだ!!
南さつま市の市民の皆さん方に感謝の気持ちを表すためにも、来年もまた可能な限り我が一族に‘声掛け’をし、できるだけ多くの人数を引き連れて出席させて戴こうと考えている。
写真は慰霊碑と万世特攻平和祈念館の全景(一部)。
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