東葛総合法律事務所友の会

千葉県松戸市で"法律"をキーワードに集う市民の会

取調べ可視化を訴える「ショージとタカオ」VS.可視化反対論者

2011-01-12 21:04:36 | 日記
東葛総合法律事務所友の会は、2月12日・ドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」上映会&トークショーin松戸市民劇場 の開催にむけて準備と宣伝活動をおこなっています。

ネット上の情報から、取調べ可視化への反対論をアットランダムに紹介していきます。
今回は長文のため、ひとつだけ掲載しました。

 審議会議事録で発言している宗像紀夫氏について、ウィキペディアには「東京地検特捜部長を務めたが、検事退官後は、あらかじめ決められた検察のストーリーに合うようにゆがんだ捜査が行われていると特捜部批判を行っており、大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件については起こるべくして起きた事件と評した。また佐藤栄佐久の主任弁護人を務めている。」とあります。

 なお、この最後の部分に名前の出てくる「佐藤栄佐久」氏は、福島県ゼネコン汚職事件において、一審二審とも収賄罪で有罪判決をうけた前福島県知事(上告中)。
 このブログで昨年末にとりあげた「法と民主主義」2010年12月号(日本民主法律家協会 発行)に布川事件の記事と並んで、当の本人が「特捜検察は、知事と福島県民を『抹殺』した」という記事を寄稿しておられます。
特集「検察の実態と病理」第454号に興味のある方は日本民主法律家協会にお問い合せください。
日本民主法律家協会:〒160-0022 東京都新宿区新宿1丁目14番4号 AMビル2・3階 TEL03-5367-5430


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◆平成12年7月25日・第26回司法制度改革審議会議事録 より抜粋

宗像紀夫最高検察庁総務部長の発言:

【法務省(宗像最高検総務部長)】それから、御質問のありました可視化の問題ですけれども、先ほど来、自白偏重、自白中心主義ということをいろいろ言われますけれども、私ども検察の立場から考えますと、刑事事件の捜査の中で、真実解明のためには、被疑者の取調べというのは一番重要だと考えているところであります。犯罪事実について一番物を知っている可能性のある者からこれを聞くということは、捜査の常道であると考えておるところであります。

 勿論、検察官は被疑者の取調べのほかにも目撃者、被害者、参考人の取調べを並行して行いますし、押収した証拠物の分析も行う。これを全部突き合わせて、実際に犯罪を犯したかどうかということを見極める作業を日々行っているわけであります。

 問題は、被疑者の取調べなんですけれども、現実に一般の人がテレビなどの影響で思っているように、我々が被疑者に対して取調べをする場合には、自白せよ、自白せよといって迫るということじゃないわけです。真に犯罪を犯した者であれば、事実を述べて改心すると言いますか、そういう方向で進める。それから、事実犯していないというのであれば、それについて合理的な説明を求めて、その裏付けをこちらが取るという作業をするわけで、一方的に自白しろ、自白しろと言って調べをしているわけではないということを御理解いただきたいと思います。

 取調べなんですけれども、黙秘権を持っている被疑者に対して、取調べの最初に黙秘権を告知しなければいけないわけです。あなたは黙秘権がありますと。何も意思に反して述べる必要はありませんということを被疑者に言います。しかし、そうは言っても、疑われて、逮捕されている状況にある被疑者に対して、黙秘権はあるけれども、もし自分がやっているなら真相をしゃべってくれないかと、黙秘権を超えて真実を引き出すという努力を我々はするわけです。

 そういうふうにしないと、国民から我々に付託されている捜査権限を全うしたということは言えないんじゃないか。刑事事件の捜査の場合に、例えば被疑者がしゃべらなければ、実際に犯罪が明らかにならないというのはたくさんあるわけです。

 例えば単独犯による強盗殺人事件で目撃者がいないという場合に、一体どういう方法で金を取ったのか、物を取ったのか、全然分からんわけです。例えば殺人事件などでも遺体をどこに埋めたかというのは全然分からんわけです。これは自白によって、初めてそこを掘り起こして、実態が分かる。例えば贈収賄事件などでも、ある人からある人に公務員に金が流れたという外形的な事実はある。しかし、一体それがどういう理由の金なのかということは、被疑者の口を借りなければ出てこないわけです。そういう状況があって、難しい事件になればなるほど被疑者の取調べは重要になる。被疑者の取調べが悪だという考えは私は取りません。しかも、その自白を求めることは真相に迫るという、そういう感覚で私達はやっております。

 今、問題になっているのは、では、こういう場に弁護人が立ち会うとか、あるいは録音・録画の機械をセッティングして、調べを監視するというのは一体どうなんだということ、捜査手続が適正に行われているかどうかということを危惧する向きがあるということは私たちも十分理解しています。そういった、取調べに問題があった事例が過去にもありますので、それは謙虚に私たちもそういう必要性を否定するわけではないんですけれども、ただ、取調べが正しいかどうかを見るために、人が立ち会う、あるいは機械をセッティングするという直接的な方法を取る必要はないんではないか。そういう直接的な方法を取ることによって、真実が引き出せないという状況が私は必ず起こるだろうと思います。

 私も三十何年検事をやっていますけれども、例えば被疑者が重大な事実を自白するかしないかというときは、検察事務官と検事は一緒に仕事をしているわけですけれども、「検事、検察事務官をちょっとはずさせてくださいませんか。」と、こういうことを言う被疑者はたくさんいます。これはいろんな多くの検事が経験しているところであります。それから、自白しても、「悪いけれども、このことは付いている弁護士の先生には言わないでほしい。」と言う被疑者もいます。それから、自白しても、「私は共犯者よりも早く自白したという形になりたくない。だから、もっと遅めの形にしていただけませんか。」とか「今日は調書を取らないでほしい。」とか、こういう被疑者もいるわけです。

 いろんなそういう状況下で、言ってみれば、取調べというのは真剣勝負で一対一でやっているわけです。そこに第三者が後ろで聞いて、機械であれ何であれ、後ろで聞いたり、見たり、人が立ち会っているところで、自分が人を殺したとか、賄賂を受け取ったとかいう自白がなかなか引き出せるはずがないだろうと思います。人に見られているところでは、取り調べる側もしゃべる側も本音が出てくるということはないのではないか。私の体験から言いましても、手続を可視化するということは非常に大事なことだけれども、それはそういうような直接的な方法でなくて、弁護人の接見をしょっちゅうできる形に柔軟な運用をするとか、それから重要な事件については、被疑者の段階から弁護人が必ず付くとか、裁判所がお書きになっているような取調経過表といったものをつくって、それを義務付けるという形でもってできるんだろうと。日本の刑事司法の中で、検察官であれ誰であれ、真実を引き出す努力をする機関というのがなきゃいけないと私は思います。人が介入することなしにですね。こういうことなしに、弁護人が立ち会い、機械がセッティングされて、表面的なことで事件の捜査が進んでいくということでは、我々に付託された真実の発見ということはできないんじゃないかと思います。

 ということで、可視化の問題については、法務省のペーパーでも出ておりますような、別な形の方法でやっていただきたいなというふうに、これは私が検察の現場で長年やってきた一つの感想みたいなものとして申し上げました。

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長文の引用となりましたが、この後で紹介する予定の可視化反対論と、表現はことなっても同じトーンを感じることができる代表的発言です。ご一読いただければと思います。

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2011年2月12日(土)13時
「ショージとタカオ」上映会inまつど
松戸市民劇場にておまちしています。
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東葛総合法律事務所友の会