初めて伊東にあるコミュニティ FM(なぎさFMというらしい)の番組収録に行く。
昨日もチラシを持ってライブコンサートを頻繁にやっているレストランに宣伝に行ったりしたが、行く先ざきで感じるのがこの地元の人たちの文化に対する飢餓感だ。
私がこの伊豆に住んで音楽活動を始めようと思ったのも、この場所にはほとんど文化がないと感じたからだ(レコーディングでは頻繁に利用した場所だが)。
本当にきれいな自然があって、おいしい食べ物があって、温泉があって、しかも東京から2、3時間で来れるこの伊豆という場所に決定的に欠けているものが「文化」と「未来像」だと思う。
別に、文化と未来を無理矢理結びつけるつもりもないけれども、この地で生まれ育った人も、この地に移住してきた人も、あるいは、たまに来る別荘族も「文化」に対する飢餓感はいちように持っていることが地元の人たちと話せば話すほどわかってくる。
というよりも、ここに必要なのは「町おこし」なのでは?と本気で思う。
伊東駅の周辺はさすがにシャッター商店街ではないものの本来あるべき活気はまるでない。それは同じ伊豆の熱海も同じこと。観光客がいる時だけにわかに活気づく観光地独特のポテンシャリティがあるけれども、観光ということばが今の日本でどれだけのポテンシャリティを持つことができるのか? はなはだ疑問だ。
バブル期以前やバブル期までは「観光」ということばにそれなりの魅力と将来性があったけれども、今やすべてにおいて「節約」や「倹約」ということばが最も大事なコンセプトになるような時代で余った時間と余分なお金で成り立つ「観光」がどれだけの可能性をこの地にもたらしてくれるというのだろうか?
それは、音楽も同じことではないか?音楽だって余分な時間とお金がなければ享受できないのではないかと言う人もいるかもしれないが、「文化」は「観光」とは私たち人間にとって根本的に質を異にする。それに、「文化」と「観光」は相対立する二元的な要素でもないし、私はその二つの要素をこの地で両立させていかなければと思っている。
今日出演したコミュニティ FM が本来のFM局に昇格できるような状況を作るとこも私の仕事の一つかナ?とは思っている。
昨日もチラシを持ってライブコンサートを頻繁にやっているレストランに宣伝に行ったりしたが、行く先ざきで感じるのがこの地元の人たちの文化に対する飢餓感だ。
私がこの伊豆に住んで音楽活動を始めようと思ったのも、この場所にはほとんど文化がないと感じたからだ(レコーディングでは頻繁に利用した場所だが)。
本当にきれいな自然があって、おいしい食べ物があって、温泉があって、しかも東京から2、3時間で来れるこの伊豆という場所に決定的に欠けているものが「文化」と「未来像」だと思う。
別に、文化と未来を無理矢理結びつけるつもりもないけれども、この地で生まれ育った人も、この地に移住してきた人も、あるいは、たまに来る別荘族も「文化」に対する飢餓感はいちように持っていることが地元の人たちと話せば話すほどわかってくる。
というよりも、ここに必要なのは「町おこし」なのでは?と本気で思う。
伊東駅の周辺はさすがにシャッター商店街ではないものの本来あるべき活気はまるでない。それは同じ伊豆の熱海も同じこと。観光客がいる時だけにわかに活気づく観光地独特のポテンシャリティがあるけれども、観光ということばが今の日本でどれだけのポテンシャリティを持つことができるのか? はなはだ疑問だ。
バブル期以前やバブル期までは「観光」ということばにそれなりの魅力と将来性があったけれども、今やすべてにおいて「節約」や「倹約」ということばが最も大事なコンセプトになるような時代で余った時間と余分なお金で成り立つ「観光」がどれだけの可能性をこの地にもたらしてくれるというのだろうか?
それは、音楽も同じことではないか?音楽だって余分な時間とお金がなければ享受できないのではないかと言う人もいるかもしれないが、「文化」は「観光」とは私たち人間にとって根本的に質を異にする。それに、「文化」と「観光」は相対立する二元的な要素でもないし、私はその二つの要素をこの地で両立させていかなければと思っている。
今日出演したコミュニティ FM が本来のFM局に昇格できるような状況を作るとこも私の仕事の一つかナ?とは思っている。