みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

つい先日は

2006-06-20 01:28:37 | Weblog
森山良子さんのインタビューをして、今日は、ピアニストのピーター・ゼルキンさんにインタビューする質問を作っていたが、このどちらのアーティストにも共通しているのは、二代、三代の音楽一家だということ。
 森山さんのお父さんは日本ジャズ界草分けのトランペッターであり歌手。そして、息子さんは御存じ直太朗さん。そして、ピーター・ゼルキンのお父さんも有名なクラシックのピアニスト、ルドルフ・ゼルキン。ピーター・ゼルキンがデビューした60年代には、必ずと言っていいほど父親のルドルフ・ゼルキンと比較されていたが、それは彼が年とった今もほとんど変わっていない(60才近くなっても相変わらず親と比較されるというのも、ある意味、可哀想な話だが)。
 別に、音楽に限らず、親の遺伝子を子供が引き継ぐのは当たり前の話しなので、世間にはよくある話しだが、森山さんの話しの中で、お母さんも森山さんに負けず劣らずの美声の持ち主で、直太朗さんを交えた家族で歌をハモって遊んだという話しを聞くと、うん、まるで『サウンド・オブ・ミュージック』のトラップ・ファミリーだと思わず森山さんに言ってしまったのだが、それにすかさず、森山さんも「そうなのよ、うちはちょっとクサいウチなのよ」とあの笑顔で言われると、うん、きっとこの明るさがあるからファミリー全体が明るいんだろうなと思ってしまった。
 でも、この遺伝子の話しもこういうプラスの形で反映されればいいのだが、よく言われるように、虐待された子供は自分が親になった時必ず自分の子供にも虐待を繰り返すというようなマイナスの形での受け継がれ方は、それが事実であるだけに何ともいいようのない悲しさを感じてしまう。つい先日の秋田の事件を考えるまでもなく、古今東西、こうしたイジメの連鎖は
世界中どこにでも起こっているもの。でも、やはり連鎖は愛情の方にだけして欲しいとも思う。
 森山さんファミリーだけでなく、平原綾香さんのファミリーでもそう感じた親子の愛情の連鎖みたいなものがもっともっと当たり前のことであって欲しいのだが、どうも、昔から日本の家庭に当たり前のようにあった親と子の愛情の絆のようなものがどんどん薄れていくような気がしてしょうがない。いくら甘っちょろい考えと言われようとも、世の中に愛より大事なものはないと私は思っているのだが...。

一昨日の夜は

2006-06-10 22:49:00 | Weblog
フィリップ・ヘレベッヘ指揮のコレギウムヴォカーレが演奏するバッハの『ロ短調ミサ』を聴きに池袋の芸術劇場へ。昨日の夜は、シンガーソングライターの鈴木亜紀さんのライブのために青山へ。
バッハの方は、雑誌でコンサートを紹介した流れなので、ある意味、仕事がらみ(それにしても、『ロ短調ミサ』などという曲にあれだけの人が集まる日本のクラシックファンというのも不思議だ)。でも、昨日の鈴木さんのライブは純粋に「どんな歌を歌う人?」という個人的興味から。

知り合いの映画監督の強く推薦する人なので絶対にホンモノだという確信は持ちながら聴きに行ったが、期待はまったく裏切られなかった。浜田真理子さんとはまったく違うタイプの歌だが歌詞の説得力と相まって、ピアノの腕前、そして、スパニッシュ色の強い音楽も時折混じるせいか、パンディエロやフラメンコの手拍子で歌う時の迫力は、他のポップスシンガーにはまったくない特色だ。
私に彼女を推薦した監督も代理店の人間をたくさん連れて後からやってきたので、ライブの後は渋谷に流れて鈴木さん本人も交えての飲み会になってしまった。
女性に年は聞けないので彼女がいくつなのかは定かでないが、とても魅力的な人だと思う(容姿的にもという意味)。おそらく30ちょっと出ているかどうかというところなのだろうが(ハズれていたらごめんなさい)、彼女のような存在が「musician's musician(通好み)」にだけおさまってしまうのはもったいない。もっともっとメジャーになって欲しい人だ(でも、メジャーになるのを好まない人もいるんだろうナ、きっと)。

今週は、フルフルのライブがあったせいか、自分の身体の疲れがピーク。今日も歩きながらフラフラしていた(何か頭と身体がバラバラで自分の身体じゃないみたいダ...ハハハ)。
毎日いろんなミーティングで休むヒマがないが、明日は少し休養できるのかナ?(多分、無理だろうナ?)

久しく日記を

2006-06-08 03:14:41 | Weblog
更新していなかった。
それでも、書いていなかった期間中毎日数百人の人が見ていてくれたというのが驚きでもあり(毎日のアクセウス数はきちんとカウントされているので)、と同時に、とっても嬉しいことだなと思う。
だから、滅多なことは書けないなと思うと同時に、モノ書きでもある身としては、こういうプライベートなものぐらい好き勝手書きたいなとも思うのだが、自分の名前がけっこういろんな所で一人歩きしてしまっている身としては多分そうもいかないのだろうけど...。

まずは、昨日のフルフル・デビューライブの報告。
フルフルの初めてのライブが6/6夜、渋谷のDuo Exchangeで行なわれた。当日券を買えなかった人が30人以上もでるくらいの超満員(嬉しいと同時に、この人たちにも何とか見てもらいたかったナという後悔の念もある)。
今日、招待客の一人から、「みつとみさんがあそこの場所をライブ会場に決めた理由が見にいって初めてわかりました」というメールをもらった。そう、私は、最初っからこの会場しか考えていなかったのだ。この場所を念頭に置きながら曲も演出も構成も決めてきた。
演出というのは、空間があって初めて決まるもの。音楽作品というのは、楽器があって初めてできるもの。プロデューサーというのは、そういったことを総合的に考え、瞬時にそこでの最終形をイメージできる人のことを言う。少なくとも、私はそう思っている。例えば、誰かAさんという人のプロデュースを頼まれた瞬間、そのAさんの最終形が見えてこないようではプロデューサーとは言えないのではないのか...?。
そういった意味では、私にはこのフルフルというグループの最終形は、ある程度見えている。その方向性が間違っていないことを昨日のライブで確認できたと言った方がいいかもしれない。
私の最終的な目標。それは、フルートを変えること。音楽を変えること。日本のエンタテインメントの世界を変えること。
長い間ショービズの世界に生きてきて、この世界の限界と可能性の両方を理解できているつもりだ。ただ、限界を嘆いていても始まらない。可能性に賭けるしかない。その点、フルートにはものすごい可能性がある(と私は信じている)。それを誰もが理解していないし、気づいていないからこそ、この可能性は私にとってビッグチャンスなのだ。
昨日のアンケートには、「フルフルの演奏を聞いて、フルートに対してのイメージが180度変わりました」という声が多かった。まさしく、これこそ私の聞きたかった声だ。

フルートは隣のお嬢さんがしとやかにやる楽器。誰がそんなこと決めたんだろう?
フルートはクラシック音楽を静かにお上品に演奏するもの。誰がそんなことを決めたんだろう?

私は、そうしたイメージをことごとく打ち砕きたくてこのプロジェクトを立ち上げた。フルートを吹きながら踊る。本当は当たり前のことなんじゃないのかナ?とも思う。
音楽と踊りは絶対に切り離せないもの。音楽は静かに聞かなければいけないなんて誰が決めたんだろう?

ステージが始まった瞬間から終わる瞬間までをすべて秒単位で計算し尽し、その中にお客さんを心いくまで楽しんでもらえるような演出をしたつもりだ。そして、そのほとんどは、大きなトラブルもミスもなく進行した。だから、きっとお客さんたちは満足してくれたと思う。
私たちスタッフはプロなのだからこれだけの仕事をして当たり前のところがある。でも、メンバーは本当に立派だと思った。あれだけの分量の楽譜を早い段階から暗譜し、振り付けもきちんと覚え、フォーメーションまで頭に叩き込んで14曲も演奏したメンバーは、本当に良くやってくれたと思う。
まだまだ欲を言えばキリはないのだが、ここがスタート地点だと思えば、かなりレベルの高い場所からスタートができたことになる。でも、これからは、上に上がって行くことはあっても絶対にレベルを下げることはできない。だから、本当に苦しいのはこれからなのだが、きっとみんなやってくれるだろうと思う。N.Y, London クラブツアーも、本当に夢じゃないゾ。