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佐久甲州道・海ノ口宿~平沢宿Ⅱ

2018年12月07日 | 歴史の道/中山道

佐久、甲斐から駿河につながる佐久甲州街道、海ノ口宿~平沢宿を歩く
(その2)野辺山~平沢宿へ

2018/10/11 曇り
道、道標、石造物(道祖神、庚申塚、馬頭尊など)、旧家、大木、神社仏閣などの目印を手掛かりに、街道をたどりました。
<TOP映像>平沢峠

Map
(野辺山~平沢宿)

三軒屋跡 
1832(天保3)年、板橋から2軒、平沢から1軒移住。井戸跡が3つ残る。これらのお助け小屋は二人扶持であったという。

冬は寒く、凍死する旅人多し・・・(千曲の真砂まさご)
また、雨が降ると、脛くらい埋まる湿地だった。
真冬の旅人は、寒さと強風に耐えここまでたどり着き、暖をとり、ほっと一息入れたのでしょうか?

平沢峠
(戦国時代は大門峠) 平沢宿名主旅籠の島崎徳次郎が勧進、息子が受け継いで完成した。
案内板の横から等高線沿いに古道跡を確認できる。
下に見えるゴルフ場は、アーリーバードゴルフ場。
ここは、南アルプス、八ヶ岳を展望できる絶景ポイント

平賀源心胴塚石碑 
海ノ口城主平賀源心1536(天文5)年12月28日、武田信玄の奇襲で戦死。武田氏を悩ませた海ノ口城落城を一夜で果たしたことは信玄16才初陣の手柄とされる。ただ、平賀源心が実在の人物か否かは疑わしいという説もある。

伝説によれば、首だけ持ち帰り若神子に葬り、胴はこの地に埋めたと言う。高さ約1m直径約4mの築山は、何万個もの石が旅人により供えられている。

平沢宿 
平賀原心胴塚から真直ぐに、平沢宿まで降りる道があった。

ここまでくると、南斜面で風を遮っているためか温かさが感じられる
問屋5軒、戸数17軒。信玄の命で、ここより東側の「小倉」という場所から移住したという。
平沢宿の整備後は、信州峠→川上のルートは利用が少なくなった。
宿場中央部 島崎家 ⇒街道補修記念碑「南無」の字を確認。

長野県で2番目に古い保育園跡のちに学校になる。

屋根のついた珍しい道祖神
筆塚、百番詠歌供養塔、道標「右甲州道左山道」などの石碑群
平沢宿から甲斐方面を望む
野辺山とは、異なり風が温かく感じられる。
集落の下あたりより、水田が展開してる。

平沢宿到着で、今回の旅はここまで。



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