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佐久甲州道・海の口宿~平沢宿Ⅰ

2018年12月03日 | 歴史の道/中山道

佐久、甲斐から駿河につながる佐久甲州街道、海ノ口宿~平沢宿を歩く
(その1)海ノ口宿から板橋へ
2018/10/11 曇り
道、道標、石造物(道祖神、庚申塚、馬頭尊など)、旧家、大木、神社仏閣などの目印を手掛かりに、街道をたどりました。
<TOP映像>馬の水飲み石鉢

Map1 湊神社~板橋

湊神社 信玄の宿営地とされる場所。1500年代後半まで海ノ口村があった。その後、度重なる洪水で2回移転し、南側の山すそに宿場は移った。

海ノ口宿 問屋・津金家見学。

武田信虎の印判、馬の水飲み石鉢
などが受け継がれている。

養蚕が行われていた家。

街道沿いには、往時の面影を残す旧家が存在する。
高見沢家では屋号看板や電話番号の表札、村辻の家には杉玉が下がり、商売のあとがうかがえる。
道は左に川上に行く「広瀬道」街道は直進し、高度を上げてゆく。


役場跡 この付近は整然とした区割りができている。

芝桜の咲く家脇の街道跡。 街道の道筋が確認できるが、途中からは藪に入ってしまう。左側は住居跡。
この道の右方向の直進の道は、明治時代にできた「運送道」ここを逃げる秩父困民党を旧道にいた憲兵が射撃した。秩父困民党逃散の地。


牛馬の市場跡につながる急登、現在の切通しの南に馬頭観音がある。
現在は、国道141号が通り切通になっている。


牛馬の市場跡 子牛、仔馬のセリが行われていた。藤村「草草履」の題材になっている。国道から右(西側)に街道は進み「市場跡記念碑」「閑院宮お手植えの松」などが街道に沿って確認できる。

閑院宮お手植えの松

板橋公民館付近 旅籠北野屋、南野屋、茶屋があった。起源は街道のお助け小屋として、川上樋沢から1608(慶長13)年、4軒が移住してできた。「標高1300mの高地に、全体に湿地で浮島のような軟弱地帯 一歩足を出して次の足の踏み場を考える。」というような場所であった。<現在>板橋公民館、大山祇神社などがある。

馬頭観音33体、牛頭観音20体、牛馬頭観音2体は、板橋内のものがここに集められた。(ドライブイン菊本の裏)
年代としては昭和期のものが多い。かつて、野辺山の開拓期には牛が重用された。


板橋川の渡河地点 現在の板橋の橋の西側に回り、板橋川を渡る。川に向かい窪地になる。小字の「久保」はことらしい風が当たらない場所という。街道はここからは、道を上り対岸と同じ高さの地点まで戻り、国道付近に近づくことになる。



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