前回の続きです。
日本の現代文学を代表する有名な作家が公開インタビューに応じた後、講演の要旨が新聞に掲載されたが、その後、その新聞に2人の記者が別々に作家に関してのコメント記事を載せている。
最初の方は講演会を聞いた方、後の方は聞いていないけど作家の真髄に迫ったコラムを書いている。両方を引用して作家の心の世界をのぞいてみましょう。
以下、毎日新聞、5月12日ごろ?の記事 視点「深い物語が魂をつなぐ」、論説委員 重里徹也より引用
人間を2階建ての家に例えると
1階には家族が住んでいて日常生活をしている。2階では個人に戻って読書をしたり、音楽を聴いたり、眠ったりする。地下1階には記憶の残骸が置かれている。
地下1階からは浅い物語しか生まれない。そのさらに下に闇の深い部屋があって、そこにこそ本当の人間のドラマがあるというのだ。魂に響く物語を紡ぐには、この闇に入り、正気で出てこないといけない。
地下1階で小説を書くと批評しやすい作品が出来て、そういう作家はいっぱいいる。でもその下に行かないと人の心をつかむ物語は生まれない。
臨床心理学者との接点
村上さんは河合さんも同じことをしたという。カウンセリングを受けにきた人の心の深みに下りて、魂が抱える物語を見いだした。自分の物語の紡ぎ方を丸ごと受けとめてくれた人は文学関係にはおらず、河合さんだけだったというのだ。
引用終わり
地下一階から漆黒の闇の階下に下りていき、そこで物語を紡ぐという比喩が興味深い。地下一階で書かれた物語は浅く、時に妄想の世界かもしれない。
本当に人の心を引きつける作品は、奥が深くて誰も知らないけど明らかに妄想ではない世界を描いているのだろう。
人間の深層心理にあるドロドロした世界の中から取り出したピュアーな真実を描いた作品こそが人の魂を揺さぶるのかな。
次の記事は、作家の原点を関西人の気質に求めているというユニークな記事です。
毎日新聞 5月16日 コラム発信箱 榊原雅春 京都支局 「ウソでもいいから」以下引用
オモロイのが大事
(大阪人は)オモロイことに価値を置き、ウソかマコトか定かでないストーリーを楽しむのが関西文化の特質だということは認めざるをえない。
学者の世界でも同じで「その話、オモロイなあー」というのが最大の褒め言葉である。
中略
混沌とした現象の中から一定の法則を見いだすのが論を立てることで、手持ちの材料でいかに豊かな物語を紡ぐのかが芸の見せどころ。多少のハッタリも必要なのである。
(亡くなった)河合隼雄さんもオモロイ事が大好きで日本ウソツキクラブの会長を自称していた。
中略
村上春樹さんは「自分の物語の紡ぎ方を丸ごとうけとめてくれていたのは河合さんだけだった」と話していたそうだ。
作家の物語には非現実的なキャラクターが多く登場するが、河合さんは一見ホラのような話を面白がり、その含意を正確に読み取ったのだろう。
村上さんは「僕の本を読んで泣きましたと言われるより、笑いが止まらなかったと言われる方がうれしい」とも語っていたらしい。
やはり京都生まれ阪神育ちの関西人である。
引用終わり
感想
自分の大学院時代の恩師は、論文の抄読会で、論文を批判するときに「ウソかマコトか」とか、「マコトしやかにウソ八百並べて・・・」というコメントをよく使っていた。
関西人の代表みたいな先生で、難解な論文の本質をサービス精神満開でオモロク説明してくれたものだ。
科学の世界は、未知の現象が対象であり、目の前の仮説がウソかマコトか分からない事が普通なのだ。
グレーゾーンだったり見るからに(読むからに)怪しい論文はとても多い。しかし怪しいけど、大胆で面白い仮説には心がときめいてしまうこともある。
大胆な仮説の多くは往々にして、時間経過とともに間違いであることが証明されてしまう。しかし、中には真実であることが証明される事もあるので、周りが嘘八百と叫んでいても所詮、人の評価であり、当たらないことも多い。
自分がフランスに住んでいるとき、研究室の同僚の論文が超一流雑誌のネーチャーに掲載された。HIV研究で、実験結果から斬新でユニークな仮説をうちたてたのだ。
悲しいことに、それから2年くらい、彼は世界のあちこちで実験が再現できない、あの論文は間違いで彼はウソをついてると呼ばれてしまう。
HIV研究者の世界で、居場所を無くした彼は、気落ちして他の分野に移ってしまった。優秀な人であったのに本当に気の毒であった。
その2、3年後、新しい事実が判明し、彼の仮説は正しい事が分かったのだ。
地下一階より下の世界は
作家が新しい構想を温めている地下一階の下にある暗闇の世界は、きっと未知の世界なのだと思う。
科学の世界のように、作家はきっと心の真実の世界をさ迷い歩きながら、オモロイ事を探しているに違いない。
それは、神の存在する真実の世界をのぞいているのではないかという気がする。