誕生日
先日、誕生日がきて自分も68歳となり、いよいよ70代が近づいてきた。いったい、どうなるのだろうか?
あまり変わりばえしないまま過ぎていくのか、それともガクンと体力が落ちるのか、不安は多いが、それでもトレーニングは続けて行こうと思っている。
激やせ
いつも通っているジムで、時々見かける50代半ばくらいのガッチリしている人が、最近、激やせしていた。
同時にベンチプレスの重量も随分軽くなっている。
ひょっとしたら病気で体力が落ちているのかもしれない。
もし、そうだとしても気力を振りしぼり筋トレに励んでいるのならば、心の底から応援したい。
自分も同じ立場になれば、頑張ってトレーニングをしようと思う。
小顔
2,3日前の事だが、トレーニングの帰りで阪急梅田駅の構内で人ごみの中に医局の後輩女医さんの顔を見かけた。
2,3年顔を合わせてないので、現在の名前が出てこなかった。やむを得ず旧姓の「〇〇先生」、と呼んだ。
こちらを見たのだが、誰か分からなかったようで、しばらく呆然としていた。
そして、笑顔に切り替わり、「お久しぶりです」と返事する。ようやく自分であると確認したようだったので安堵する。
そして「いったい、どうされたんですか?」と聞いてくる。
自分は、「どうしたも何も、トレーニングの帰りだけなんだけど・・・、顔を見かけたので・・・」と答えると、「あ、そうなんですね、トレーニングされた後だからかもしれないけど、先生が凄く小顔に見えて、別の人かと思いました」と言う。
自分を知っている人は呆れているだろう。自分は小顔ではないし大きい方だ。
「そんな、バカな・・」と思った。
だが、以前、「顔が小さい」と言われたことがあるのだ。
ジムの中年の女性トレーナー(この人もボディビルダーなのだが)から、「顔が小さいしビルダーさんと思ってました」と言われた事を想い出した。
気のエネルギー?
なぜ小顔に見えたのか、その理由を考えた。
ハードに筋トレをするとき、特にベンチプレスをするときは、全身で自分の体重以上の重りを胸と腕で上げ下げする。
そのため、肉体を限界まで追い込むために、全身に気のエネルギーを充満させて、パワーを出し切るのだ。
そのおかげでベンチプレス、80キロを10回上げ下げできる。
もし、気のエネルギーを出さないと60キロを数回しか上げ出来ない。
だからトレーニングをした後は、エネルギーが溢れ出し表情に精悍さがみなぎって(自画自賛ですが)、「小顔・・・」という事になっただと考えている。
生気に乏しかった想い出
その逆で、家内が癌になった時とか仲の良かった5歳年下の医者が肝硬変で体調不良になった時(その後亡くなってしまった)など、顔を見たときに何となく、「あれ、何かおかしい・・、生気に乏しい顔をしている」と思ったことを想い出す。
ジムで見かけた人も、どちらかといえばエネルギーを感じられなかったので、病気なのかもしれないけど、筋トレで何とか乗り越えられたらいいのだけど、と思う。
挑戦と折り合い
先日、礼拝の時に、勤務先の前理事長が、亡くなられた日野原先生の思い出を語っておられた。
日野原先生は確か105まで長生きされた著名な医者である。
この先生が90歳をはるかに越えていた時の事、元理事長がある会合でホテルの玄関でタクシーの到着をお迎えされたそうだ。
その時、カバンをお持ちした所、ずっしりと重たいカバンを一人で東京から大阪まで運んでこられた事にびっくりしたとの話しをされていた。
さらに、元気なころは、エレベーターを使わず階段を上り下りされ、かなりの御高齢になっていても、必ず1段飛ばしで登り降りされていたという。
しかし、脚力が衰えてそれが出来なくなった時でも、最後の一段は一段とばしでしています、これは挑戦なのですとおっしゃっていたそうだ。
さらに年をとって出来なくなった時は、自分と折り合いをつけて、挑戦をやめて現実的な生き方をされていたという。
人生は、年齢にとらわれず、年齢相応ながらも自分の目標や夢に向かって死ぬまで挑戦し続けて時には折り合いをつけながら、無理せず何ごとにも新しい気持ちで生きていく事が大事なのだろう。
70歳を迎えるにあたって手本とするべきは
最後にツィッターの記事から、葛飾北斎の「波」が年齢と共にどう変化したかという記事を紹介します。
画力の上がらなさを嘆きそうになったら、葛飾北斎の波を見るといいです。
左から44歳、46歳、58歳、72歳
これを見て、自分も70歳を前にして、自分の挑戦は、まだまだこれから続くのだと元気をもらいました。