道東を発見する旅 第3の人生

なぜ自分はLINEを嫌っていたのか YESサインNOサイン 上手に期待を裏切る 共感の怖さ

島の生活も残り1週間。島の人との別れは切ない。もう島に来ることはないので今生では会うことはない。外来で「寂しくなる」とか「お元気で」とか言われると目が熱くなり胸が苦しくなる。

前回と合わせて通算5年半もこの島に住んでいた。住み慣れた島から見知らぬ町に行くのは不安を感じるが、これまで自分は、あちこちに住んできたので何とかなるだろうと楽観的だ。

LINEは嫌い

さて、以前の勤務先で周り(特に若い子)から、うるさく「先生もLINEを入れてください」と言われやむなくインストールしたが、LINEは好きにはなれなかった。

メッセージのやり取りだけで内容が浅くて薄い。特に若い人とのやりとりは、うまくコミュニケーションをとれてないまま続かない。そんな疑問をクリアにしてくれる記事が出ていた。以下引用する。

中高年は知らない 若者がLINEで句読点がついた文章を心底嫌悪する本当の理由

https://president.jp/articles/-/61340?page=1

LINEなどのメッセージアプリにおいて年長者たちは「~ですか。」「わかりました。」など、きちんと句読点を使う。

口語表現であろうが“文書”であれば当然あるべき句読点を使っているだけでそれ以外の他意はないのだが、一方で若者たちはそれらに「詰められている」「追及されている」「批判されている」という印象をうけている。

若者からすれば、句読点は「大人(中高年)」が自分たちに向ける“文書”に用いられているものであり、往々にしてその内容は目的志向的で、なにより批判的なニュアンスが含まれていることが多い。

だからこそ、LINEなどのメッセージアプリ上で句読点がある“文書”を目にすると、そこに自分の責任を追及されているような、いうなれば「詰問」に近いニュアンスを感じてしまい、(若者は)嫌なのである

すなわち、若者たちにとってそれは「会話の一形態」であるのに対して、年長者たちは「簡易版メール」のような感覚を持っていて、つまり手紙やメールの延長上にある「文書送信の一形態」なのである

若者たちはLINEで「会話」をしている

句読点は文章作成において使われるツール(あるいはルール)であって、日常のくだけた会話では必ずしもそうではない。

若者からすればLINEで仲良く和気あいあいと「会話」することを想定しているチャンネルで唐突に「文」を突き付けられたような気分になって、たじろいでしまうのである。えっ⁉ なんでいきなり“文章”を送ってくるの⁉ といった具合に。

引用終わり

ここまでの感想

やっぱりそうなんだ・・・

自分も文章の終わりは、きっちりと「。」をつけないといけないと思って念を押していた。

若者は話し言葉のように流れが途切れるのを嫌って、短いフレーズが連続していくのが心地いいのだそうだ。

さらに、〇をつける事がマルハラと呼ばれているようになっているらしい。

だけどメッセージのやり取りだけで、お互いの気持ちのやり取りが届いているのだろうか?

内容が薄くて浅いので、ビジネスライクになるのは当たり前だ。

一方、対面で他人と話すときは、相手の反応を目で見て表情や口調を感じながらやりとりするので、心が通じ合う(気がする)し、深いつながりを感じることもある。

対人関係が苦手な人やそれほど親しくない人とは、LINEの方が気楽だし、お互いに傷つかない事(最近の風潮)が大事なのでそうなるのだろう。

それでは、次に、対面のやり取りにおけるお互いの心の動きについて重要なサジェスションが得られる記事を紹介します。

長くなるので全文を引用しますが興味ある方は最後まで読んでください。

 

朝日新聞デジタル 以下のサイトから引用しています

https://www.asahi.com/articles/ASRCZ45CQRCZUTFL002.html

人間関係の断捨離、どうする?「期待外れの行動」で失望させて

臨床心理士・中島美鈴

広げ過ぎた人間関係、不本意な関係のままずるずる来ている相手などを見直すのは簡単そうですが、いざ、どのようにフェードアウトしていけばよいのかはあまり誰も教えてくれません。

 今回は、そんな人間関係の断捨離について考えます。

 ADHDの人は比較的、明るく社交的な人が多いと言われています。多くの人が「新しく友達になったり、恋人になったりするのは得意」とおっしゃいます。

 しかし一方で、「親しくなりすぎると、自分の素が出過ぎてしまってうまくいかない」「まめに連絡をとったり、きっちりお返ししたり、遅刻せずに待ち合わせたりができないから、なかなか関係が続かない」とおっしゃる方も多いのが現実です。

 中には、だまされてお金をとられてしまったという人もいます。

 40代のADHDの主婦リョウさん(架空の人物)も、そんな人間関係の断捨離について悩むひとりです。リョウさんもまた、人と仲良くなるのは早いけれど、警戒心があまりなく、信じやすい性格のため、「散々自慢話や愚痴を一方的に吐かれるのにつきあうばかりの関係」や、「日頃は何も連絡してこないのに共同購入のときだけ誘ってくる関係」、「学生時代以来の連絡をよこしたかと思うと怪しげなもうけ話をされる関係」、「いつも待ち合わせが相手の都合のいい場所ばかりなど不平等で不本意な関係」などがいくつかあります。

 リョウさんは、誘われるとなぜか断るのが苦手です。

 メールをもらった時には「絶対行くもんか」と思うのですが、具体的な日にちを挙げられ、そこに自分の予定が入っていないと、なんとなく断れなくなってしまうのです。

 また、その不本意な相手に会っている最中には、そんな関係を切りたい相手のはずなのに、ついついいつもの癖で相手に合わせて、相手の言うことを聞いてしまいます。

 こうした調子で、人間関係の断捨離がなかなか進まないのです。

 今回は、話しだすと愚痴の止まらないママ友からのランチの誘いでした。

 リョウさんが話を聞いてあげると、彼女の愚痴はエンドレスに続きます。少しでも解決策を提案しようものなら、

 ママ友「でもね。そんなにうまくいかないのよ。」

 とさらに長い話が続くのです。リョウさんは否定もせず、下手に口も挟まず、ずっとうなずいて話を聞き続けます。正直ランチの味などしません。

 そのくせ、リョウさんがちょっとでも自分の話を始めると、ママ友はこれまでは身ぶり手ぶりを交えながら非常に生き生きした表情で愚痴を吐いていたにもかかわらず、急にテンションが下がって、まるでこちらの話を聞きたくないかのようにみえるのです。

 そんなとき、リョウさんは、自分の話を早々に引っ込めます。

 さて、こんな調子でこのママ友との関係を断捨離などできるのでしょうか?

 リョウさんはこう言います。

 リョウ「子どもの小学校のママ友だから、これから中学までずっとつきあいは続くから、下手な断捨離はできないんだよね。」

 そうですよね。だからみんな人間関係で困っているのですよね。

 しかし、リョウさんのこれまでのママ友への対応を見て、まだ改善できる余地があると思いませんか?

 多くの人が人間関係の断捨離に踏み切れない背景には、断捨離を阻む「思い込み」があります。

断捨離を阻む思い込み

 私たちは、相手とこれ以上関わりたくない時に効果的な方法を「知っては」います。

 「無視する、断る、やめてと言う、嫌な顔をする」などがそうです。「NOサイン」とでも言っておきましょう。

 こうした「NOサイン」を、知ってはいるけれど、なかなか実際には使えないですよね。

 それはこうした配慮があるからです。

 「相手を傷つけてはいけない」

 「相手を怒らせてはいけない」

 いかがでしょうか。こんなふうに小さい頃からしつけられているからですし、大人になってからは、リョウさんのように「子ども同士が同じ小学校だから」「この先もこの関係が続くから」という理由でなかなかNOサインが出せていないのです。そして多くの場合、NOどころか、無意識にYESサインばかりを送っているのです。

 どういうことでしょう?

 「傷つけちゃダメだ」「怒らせちゃだめだ」という思い込みのせいで、関係をフェードアウトしたいという目標がありながら、それにそぐわない手段(YESサイン)を使い続けているのなら、目的と手段がかみ合っていません。

 また、この思い込みのせいで、目標がちょっと極端なのかもしれません。

 リョウさんが目指すのは、そのママ友と「絶縁」することではありません。これを仮に黒としましょう。

 現状では、一緒にランチに行き一方的に愚痴を聞いてあげている関係です。これを白としましょう。

 リョウさんの心は、現状の白を、極端に黒に変えなければならないと誤解していたようです。

 そうではなくて、よくよく考えると、目指すゴールは「絶縁するわけではなく、今までよりもうんと頻度を落としてランチにいくのはありだが、その際もこちらが疲れるほど献身的に話を聞かなくてもいい関係」あたりでしょうか。

 そうすると、少しはNOサインを出していく必要がありそうですね。

相手を傷つけない関係の終わり方

 とはいえ、なるべくなら傷つけたくないし、恨みも買いたくないものです。

 ここでおすすめの方法があります。

 一般的に人は「自分が見捨てられるより、相手に失望して自分から離れる方が傷つかない」と言われています。

 リョウさんは現状では、相手の言うことを余計な口をはさまずに傾聴し、共感しています。これは完全に相手の期待にこたえている状態で、相手からは毎回期待値を上げられてしまいます。

 「リョウさんっていつも優しく私の話を聞いてくれる」と感謝されることもあるでしょう。しかしこれが続いて、どうやら現在では相手から「リョウさんはそういう人だから」と当然のようにみなされてしまっているようです。

 この期待を上手に裏切るのです。極めてYES寄り風に見せながら、期待通りには「できないかんじ」を出します。「してないかんじ」ではなく「能力的になぜか不可能」に見せるのです。具体的にはこんなかんじです。

(Before: これまでの対応の会話例)

 ママ友「うちの夫、ほんとに生活態度がひどくてね。靴下は脱いだらそのままだし、裏返したまま洗濯機に入れるからほんと大変。」

 リョウ「えーー! それは困るよね。やだよねえ」

 ママ友「やでしょーー? あとね。この間も電気つけたまま寝ててさ。エアコンもよ。」

 リョウ「信じられない! ほんと腹立つね!」

 

 期待を裏切る会話例にチェンジすると……。

 

(After: 期待を裏切って相手から見捨ててもらう会話例)

 ママ友「うちの夫、ほんとに生活態度がひどくてね。靴下は脱いだらそのままだし、裏返したまま洗濯機に入れるからほんと大変。」

 リョウ「へーーそうなんだ。うちなんてさ、子どもがほんと言うこと聞かなくてさ。この間なんかいい加減寝なさいっていったら、初めて『うるさいクソババ』って言われたのよー!」

 ママ友「やだよねーー! あとね。夫さ、この間も電気つけたまま寝ててさ。エアコンもよ。」

 リョウ「あ、飲み物注文する?」

 

 いかがでしたか? リョウさんに突っ込みたくなったかもしれませんね。思わず「会話かみ合ってないじゃん!」と。あとは「ちゃんと話聞いてんの?」ですね。

 いいのです。「無視はされていないけれど、なぜかこれまでのようには共感してくれなくて、なぜかかぶせるように向こうの話をされる」という期待はずれの行動をとりまくるのです。

 ママ友は案の定、不服そうな顔をしていました。たいていの人は、次からは誘ってこなくなります。しかし中には、

 ママ友「ねえ、リョウ、なんか今日イライラしてる? 話聞いてる?」

 こんなふうにはっきり指摘する人もいるかもしれません。それでもとぼけてください。

 自分は自分なりに一生懸命話を聞いているつもりなのだが、なぜだか共感できないんだ!

 これについては誰も責めることができないでしょう。もしこれでひどく相手が怒り出したら、申し訳なさそうにこう言うのです。

 リョウ「ごめんなさい。全力を尽くしているのだけど……」

 もう最後まで言わなくても大丈夫です。このぐらいで怒る相手とは遅かれ早かれ縁が切れるのです。

 いかがでしょうか? 人生の大切な時間を、不本意な人間関係に費やしてはいけません。参考になさってください。

引用終わり

まとめ

この記事の核心は、「相手に見捨てられたと思わせない、とぼけ方」である。

そもそも、この問題の本質は、心の奥で相手を支配するかしないかの攻防であると思う。

女性同士の付き合いは集団が基本で、男性の場合はそうではない場合が多いそうなので、この話は女性同士の駆け引きの話のような気がする。YESサインNOサインのやりとりで駆け引きしているのだ。

一方、LINEではYESサインかNOサインか、2者択一を厳しく迫られるので、とぼけることが出来ずに、「ハイ、わかりました」、「ありがとうございます」、そして時々「スタンプ」という流れでグレーの対応がないので、紋切り型のやり取りで終わってしまうのだろう。

たぶん、そこが自分がLINEを嫌っていたところなのだ。仮にグレーサインをLINEでどう出すかであるが、「よかったね」の連発で、それ以外にはメッセージを出さずにフェイドアウトに持っていく手もあるかもしれない。

自分の乏しい経験だけでものを言っているが、当面、LINEは出さないことにしている。

 

次の大事なポイントが、「相手の言うことを余計な口をはさまずに傾聴し、共感しています。これは完全に相手の期待にこたえている状態」でYESサインになりアウトだというくだりがある。

危険な共感

孫引きだが、最近読んだ記事で「共感」の危なさについての記事があった。

以下、ある心理学者が、「共感はスポットライトである。対象者だけを明るく照らしだすが、その周囲は暗闇で、何があるのかまったく見えない」のだ。

という文章がありました。(「松本人志さんの罪についての考察と提案」と題した論考、日本文化史研究家のパオロ・マッツァリーノさんのブログ)

よくセミナーで講師の話を大きくうなづきながら聞いている人がいるが、そんな人は講師にのみスポットライトがあたっているように見えていて、周りの怪しい部分が暗闇で全く見えない状態になっている、すなわち、すべてが自分の思い通りに見えてしまって影の部分に気がついてもいない、洗脳状態に落ち込んでいるという事なのだろうか。

よく分からないけど、対人関係でも知識や経験で共感し続けていると、いつのまにか落とし穴に落ち込んでいて気がついたら騙されていたり、支配されていることになるのだろう。

なるほど、と思っていても、実は騙されて洗脳されている、だから共感しながらも自分を見失わないように、という説明のでいいのだろうと思う。間違えていたらすみません!

なぜか難しい展開になってしまったが、対人関係は気楽なものなので自分で自分を追い込んでしまっている事が多いように思う。

次回は、引っ越しの様子を報告します。北海道を縦に南下して、いつも曇り空の道北から晴天がつづく極寒の道東へ、どんな世界が待っているのかワクワクしています。

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