道東を発見する旅 第3の人生

谷川俊太郎氏の死生観 咽頭喉頭異常症 田舎と都会の参勤交代

悪天候続く

12月に入りマイナス5から7度くらいの真冬日が続くようになった。季節の変わり目の、この時期は天候の変化が激しくてフェリーの欠航が続いている。その間、新聞も食料も何も入ってこないわけだが、今回は3日欠航して1日運航しさらに連続4日欠航している。もう慣れたけど、今年は天候異変が影響してか、いつになくひどい。

いわゆる「西高東低の気圧配置」の時の暴風、吹雪、高波など、自分も天気予報を見ているうちに天気図を見かたが分かってきてある程度推測できるようになった。だが、もうじき島を出たらそれも終わりになると思うとちょっと寂しくなる。

谷川俊太郎氏の詩

さて、以前からときどき詩人、谷川俊太郎氏の詩を紹介しています。

半年前の5月、突然、朝日新聞に「谷川俊太郎氏の書き下ろしの詩を月に一度掲載します」との記事が出た。ただ、お忙しいようで月に一度は無理のようで5月から2度掲載されただけです。今回は5月に掲載された詩を紹介します。

朝日新聞2023年5月21日掲載

いのち (題名)

ある年齢を過ぎると

どこも痛くなくても

身体がぎこちない

けつまずいて転んでから

それが分かり

身体は自分が草木と

同じく枯れてゆくと知る

 

人間として

社会に参加した

忙しない(せわしない)「時間」は  

悠久の自然の「時」に

無条件降伏する

落ち葉とともに

大地に帰りたい

変わらぬ夜空のもと

 

言葉で意味を与えられて

人生は素の生と異なる

己が獣とも魚とも鳥とも違う

生きものなのを

出自を共にしながら

人は誇り

人は恥じる

引用終わり

感想

谷川氏の詩はわかりやすくて好きだ。谷川氏も91歳になられたそうで今回紹介した詩には「老化」、「自然と時」そして「言葉」の順に心象風景が展開されている。

自分も老化に伴い「痛みを伴わなくてもぎこちなくなって機能が落ちていく」のを体感している。

2,3か月前か、ウエハースタイプのプロテインバーを食べているときにのどに貼りつく感じで水分がないとスムーズに食べられないことに気づいた。

何年も前、息子から「何も飲まないで食べているけど大丈夫なの」と言われていた。もう大丈夫ではなくなったのだ。その傾向はあったのだろけど、突然 ガーンとやられたような気がしている。

食道がんだったらどうしようと心配になってあれこれ調べたが、水や牛乳などの液体は普通にスーッと胃に入っていくし、胸のあたりでモヤッとするだけで、特に問題ないだろうと思い、その理由をネットで探した。

自分が当てはまる、いい感じの病名が見つかった。「咽頭喉頭異常感症」という病気のようだ。

下記のリンクから引用します。

のどに何かひっかかる感じがする」「のどに何かできている感じがする」「のどがイガイガ、ザラザラする」といった感覚がつづいてしまい、日常生活に支障をきたす場合に言います。

のどに玉を飲み込んでしまったような感じという表現をされる方は強いストレスによる自律神経障害を疑います。精神的な失調から生じるのどの違和感もあります。以下にリンクを貼っておきます。

https://ishii-jibika.com/treatment/throat-dysesthesia/#:~:text=%E5%92%BD%E5%96%89%E9%A0%AD%E7%95%B0%E5%B8%B8%E6%84%9F%E7%97%87%E3%81%A8%E3%81%AF,%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%99%E5%A0%B4%E5%90%88%E3%81%AB%E8%A8%80%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

のどに玉を飲み込んだというのがあたっているかもしれない。この訴えが交感神経緊張と関係していることを知って、やっぱりか、と思った。トイレでいきむ時(ウーン、ウーンとかうなる時)喉に力が入っている。その延長で考えると飲み込みづらくなり、きばりすぎになるのかなと思う。

さらに逆流性食道炎は以前から勤務先での人間ドックで言われている。

本当は、耳鼻科で何も異常が無い事を確認してもらったうえで耳鼻科の先生から診断してもらうのが正しいのですが・・・当面、これにしておこうと自己診断しました。

草木と同じで身体も枯れていくので元気溌剌な自分がいつまでも持続するとは思わないが、前回書いたように体感が敏感になってきている。

これに関連しているのかもしれないが、最近は食後に心窩部がモワーッ熱くなるのを感じるようになった。きっとこれは胃の血流が豊富になっているからそう感じるのだろう。

いずれにせよ、72歳なのであわてて一気に食べずに、ゆっくりと口に入れよく噛んて食べこまめに水分で胃に流し込むようにしている。

第2のパラグラフに出てくるせわしない時間の世界を、高名な養老孟子先生は「脳化社会」と呼んで「田舎と都会の参勤交代」という考え方を提唱されている。

自分は、この概念で再び離島にやってきて自然と対話しながら肉体のリセットを試みているのだ。

以下、養老孟子先生の最近のインタビュー記事へのリンクを貼っておきます。ぜひ、これを読んで自分の生き方に反映して頂きたいです。自分は島を離れたら十勝平野に行き、その先にまた転居する事を考えています。下記、リンク先の後編に次のようなフレーズがあります。

それこそ、拠点を変えればいいんです。拠点を変えれば、自分を変えられる。決まりきった状況にいると、なかなか変えられませんよね。でも、拠点を変えると、自分を無理に変えようとしなくても、ひとりでに変わっていきます。

引用終わり

この考え方で再びここに来たのだ。2回目なので今回は余裕をもって島民と会話ができるし、何よりも人口が大きく減って仕事量が減ったことが有難い。

以前も書いたことがあるが、自分が若いころ 、多胡輝と言う千葉大学の教授が「頭の体操」というシリーズの本を出版して大ヒットしたのだった。

その方が、「出来るだけ多く引っ越しをしなさい」と言っていた。今、検索するとお亡くなりになっている。

ネットから

累計1200万部を超えるクイズ・パズル集の「頭の体操」シリーズで知られる心理学者で、多湖輝(たご・あきら)さんが3月6日、間質性肺炎のため東京都中央区の病院で死去したことがわかった。90歳だった。

自分は若いころからあちこちに住んできたが、違う町に住むと、いい所悪い所など視野が大きく広がっていく気がする。それは30代で欧米に住んでいた時に文化の違い、対人関係の違いなどを身に染みて体験したことがあるからだ。

よそ道にそれたが、それでは脳化社会を読んでください。

「脳化された現代社会にこそ、田舎が必要。」https://note.com/try_nestate/n/nfbe118791e1b 

 

谷川氏の死生観についてのインタビュー記事

最後に、もう一度、谷川俊太郎氏に話を戻す。

5月の同時期に、朝日新聞に谷川氏へのインタビュー記事が掲載されていた。これは新聞社も大事な記事なのでネットにアップロードされていたので、リンクを貼ります。

https://globe.asahi.com/article/14849146

 

若いころは、秋になって落ち葉が土に還っていくというように、ただ抽象的に考えていたんだけど、最近は、ちょっと肉体的になってきましたね。

死よりも老いの方がずっとリアルなんですよ。脚が弱くて歩くのが苦痛になったとか、自分の体がだんだん衰えて昔とは違うようになってきて、気になります。

両親、寺山修司や武満徹ら友人たちも、みんな亡くなりました。親しい人を失った直後は悲しいことを感じる余裕がありません。

でも、何カ月も、あるいは1年以上たった後でふっと、悲しくなることがあります。それが何なのかよくわからないんですけど。

父と母に関しては、あの2人が自分の中に入ってしまっているように感じます。なんせ赤ん坊のときから付き合ってくれているわけですから。

たとえば、年を取った父が、この自宅の部屋で寝転がってベートーベンを聞いていたのを思い出すんですが、自分も同じようなことをしていますね。

それは悲しいというのとは、全然違いますね。むしろ快いっていうのかな、しょうがねぇなみたいな。

引用終わり

感想

上の記事はキーセンテンスを抽出しているので全文を読んでほしい。

特に印象に残ったのが「父と母が自分の中に入ってしまっている」というフレーズだ。

これは年を重ねた者にしか分からない事だと思う。

自分の場合、気がついたのは 体臭だ。たぶん、自分はあまり体臭は無いと思っているし加齢臭もひどくないと思っているのだが、風呂に入ろうとして服を脱いだ時、フッと、どこかで嗅いだことのある匂いに気がついた。

何か懐かしく感じる匂いだった。随分、時間がたってから、あれは父親のにおいと同じなんだろうと気がつく。

「一般に人は、自分の匂いは自分では麻痺しているから分からない」という事を読んだことがある。昔、それを死んだ嫁さん(嗅覚が敏感だった)に話したら「それで分かった。何でこんな臭いにおいに我慢できるのか不思議でしかたがなかった」と嫁さんが言っていた。

前に自分の加齢臭について書いたことがある。嫁さんは「大丈夫よ、軽いし、ひどくないから安心して」と言っていた。現在は、自分の加齢臭がどうなっているのか分からないけど、毎日 長風呂しているし、そもそも寒さで嗅覚も落ちているだろうから気にしていない。

それと対人関係の対応も両親のそれがスッポリと入ってしまっている気がする。

他人からの依頼をなんとなく曖昧に受け入れてしまい、ちょっと悶々としている自分がそうなのだろう。

死んだ嫁さんは人にガミガミ言ったりすることが多く、ずっと自分も影響を受けていたが、そこから脱け出して、今は、誰に対しても優しかった両親の姿を自分の心の中にフッと見出す事が時々あり感慨深くなることがある。イライラすることも無くなり幼いころのあまり怒らない気楽な生き方に戻ってきた。

とりとめも無く書き綴ったが、皆さんの参考になれば幸いです。

久しぶりに動画を紹介します。レイシズムであるのは間違いないけど、黒人が歌がうまいという事実は捻じ曲げられないように思います。

南アフリカの人達が歌う讃美歌を聴いてみてください。

We Speak Of The Realms ft. Palesa Mojapelo & Elliott Michael

 

More about Jesus ft. Alain Gervais & Elliott Robinson

終わり

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