道東を発見する旅 第3の人生

学んで別人になる 私の作品 除雪

忘年会

12月の初めに役場主催の忘年会があった。公務員など公的機関の勤務者20から30名くらい集まった。定刻に着いて扉をガラッと開けると、皆の視線が自分に集まった。既に全員座っていて、ニット帽を脱ぎ謝ると、失笑が漏れた。宴会は途中で抜け出すことにしているのだが、この日は幹事から締めの挨拶を頼まれて仕方なくダラダラと酒を飲んだ。最後に自己紹介と挨拶をしたが、簡単に自分の経歴を話し始めると止まらなくなりあれもこれもと話したので驚いた人が多かったと思う

それもあって、宴会後にガヤガヤしてるとき、親しくなった50代の学校の先生が若い教諭(33歳だったか)を連れてきた。その人は自分の経歴に興味をもったそうで、医者でありながら科学者として過ごしていた事などについて質問された。

話しているうちに教師になってから教員としてのキャリアパスについて悩んでいるように思った。そんな彼に自分はどう言ってあげればいいのか戸惑ったが、研修医も同じだ。どの診療科を選ぶか、大学院に行くか、それとも基礎の研究者になるかなど色んな道がある。

キャリアパスとは

キャリアパスとは経営学用語の一つ。企業においての社員が、ある職位に就くまでに辿ることとなる経験や順序のこと。また個人の視点からは、将来自分が目指す職業を踏まえた上でどのような形で経験を積んでいくかという順序・計画を指す。

折々のことば、から

酔った頭で考えながら「ひょっとしたらこれが当たりかな」と先日読んだ切り抜いた「折々の言葉」を紹介した。

朝日新聞 2023/11/17 折々のことば 鷲田清一

コンテンツ(内容物)が増加することではなく、「コンテナ(入れ物)」そのものの形状や性質が変わること」内田 樹

学ぶとはそういうことだと思想家・武道家はいう。知識や情報の総量を増やすことではなく、「別人」になること。語彙も発想も情動もすべて変わる事。世界への構えが変わると世界の相貌も変わる。だが時代はむしろ、別人になることを強く抑圧する方向へ向かっていると。

「蛍雪時代」11月号のインタビュー「知の探究者」から

その後、ネットで検索して思想家・武道家のブログを見つけたので、最後に引用しています。

感想

医者でも知識の量的増加は、最初の段階で、診療科を選び専門性を高めていく過程でどんどん入れ物が変わってくのを目にしている。その若い先生も学校社会の中で先輩の教諭の生きざまを身近に見ながら、知識の増大のステップは通り過ぎたので、その先にどう自分の人生を設計していくのか悩んでいたのかもしれない。

後日、本稿の最後のブログ記事のコピーをあげて自分なりに「別人になること」について説明したら、教員として児童を教育する過程で「別人になる」道を模索すればいいのですね・・と言っていた。

知る 分かる 悟る

最後に、作家の大江健三郎氏は「知る」から「若る」に進むと、自分から知識を使いこなせるようになると定義したそうです。その先には「悟る」があって、全く新しい発想が生まれると・・・

それならば別人になるためには、知識から理解、そして対象の世界が大きく広がって新しい世界が見えるようになるのでしょうし、自分の場合は研究活動の過程で、新しい仮説を提唱できるようになる事で、それを体感したように思います。 これで終わり。

 

それでは、ここで、最近自分が別人になれたと実感しているエピソードを紹介します。

私の作品

この2,3ヶ月で作った私の作品を紹介します。何年も前から、自分はホームセンターに行くのが好きで、これはどんな道具で何が出来るのだろうかと、グルグル回るのが楽しみでした。言ってみれば、子供が遊園地に行くように、自分はホームセンターに行っては、色んな道具や機械を見て想像を膨らませていたのです。

今までやってみたかったDIYに手をつけた、その成果を紹介します。

これは単管パイプを切断し組み立てて、棚板は短冊状に切った木材を横に並べています。金属の丸いパイプで枠組みを作っており、棚の作り方が分からなかったので、ネットで調べて木材の棚を作りました。枠組みは寝かせて組み立てたのですが、結構重量があり完成して寝かしてある棚をグイと持ち上げる時に、まあまあ力がいりましたが自分としては悠々許容範囲でした。ガッチリしているので、今後20から30年はこのままだろうと思います。島の人に見せると「エーッ、先生が・・・これ作ったの」と驚いてました。単管パイプが余ったので小ぶりの台車も作ったのです。

 

 

次は、いわゆる2X4材で作ったサイドテーブルです。丸鋸で切断し、ビスで止めて完成しました。テカテカ輝いていますが、塗装も初めての体験だったので試行錯誤で何度も塗りなおしたのです。これも完成してみて初めて自分のイメージどうりにできたかどうかが分かります。もうじき島を離れますが、向こうでも続けることにしています。

除雪

奥の赤い除雪機は投雪式です。手前のは積もった雪を押すタイプで駐車場の除雪に便利です。

このところ毎日除雪していますが、無理したら手首を痛めるし、それなりに力も必要ですが、慣れました。ここは道北ですが、そんなに積雪量は多くないので、除雪は楽しくやれています。

最後に、学びの本質についての記事を、キーセンテンスのみを抽出して引用しておきます。

内田樹 今私たちが学ぶべきこと 2023-07-07

http://blog.tatsuru.com/2023/07/07_1207.html

学びというのは、学んだ後に学ぶ前とは別人になっていることである。学び始める前には自分が何を学ぶことになるのか分かっていなかったことが、学び終えたあとに回顧的に「わかるようになる」というのが学びの力動性、開放性、豊饒性なのである。

 知的成長ということを現代人はたぶん「知識の量的増大」というふうに考えている。人間としては何も変わっていないのだが、脳内の情報ストックが増えている状態を「成長」と呼び習わしている。だから、何日経って会おうともとりわけ「刮目する」必要はない。「入れ物(コンテナ)」は同一で、「中身(コンテンツ)」が増加しているだけだからだ。

 でも、それは「学び」とは違う。学びというのは「入れ物」自体が変わることだからである。「刮目」してまみえないと同一性が確信できないほどに人間が変わることだからである。学びが深まれば、話す内容が変わるにとどまらず、表情も、声も、挙措も、着付けも、すべてが変わる。

「私たち」に知的に「欠けているもの」がある。それを充填したい。ついてはそのリストを作りたいということが「いま私たちが学ぶべきこと」という論題の趣旨であるなら、私はそのような営みを「学び」と呼ぶことができない。それはむしろ「補充(supply)」と呼ぶべきだろう。「補充」なら「入れもの」は同一性を保ちながら、「中身」だけが増えてゆくありようを正しく伝えられる。

引用終わり

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