道東を発見する旅 第3の人生

講義、今どきの若いものは、自分が主人公の物語

講義

既に書いている事だけど、かって勤務していた大学の非常勤講師を引き受けることになった。正式な委嘱状がきて病院の了解が得られたので、来年の3月まで時々講義に行ったり研究のサポートをしたりすることになる。

昨日、第1回目の学生実習に行ってきた。20代半ば(5年生)の若者7人とテーブルを囲んでスライドを見せながら講義したのだが、皆、緊張しながら元気よく質問に答えたり時々居眠りしていたりしていた。

終わってから、自分の教室の部下の先生と話したのだが、最近の学生はレベルが低くなっていると愚痴をこぼしていた。○○も知らないんですよと言っている。

自分は、昔と比べて子供の数が激減しているので、分母が減った分だけ、医学部もかなり入りやすくなっているはずであり、当然、学生のレベルは低下しているだろうと答えた。

ただ、いつもその後、「最近の若い者は・・・・」と話が展開してしまう。

かっての自分

年を取れば常用句のように「最近の若い者は・・・」とやってしまうものだ。

そこには、必ず前提がある。(若かったころの自分と比べて)最近の若い者は・・・である。

そこで、フッと考えた。もし、昨日教えた7人の学生の中に20代の自分が混じっていたとしたら、本当にそう言えるのだろうか?

自分は、きっと若い自分に向かって、こう言うだろう。

こんなことも知らないのか、ホントに君は、もっと勉強しないとだめだ。考えが甘い、そんなことでは国試に通らんぞ・・・・と。

未熟だった自分を思い返してしまい、最近の若い者と説教し始めるのが常であるが、それは目の前の若者に過去の未熟な自分を投影して見ているのだろうか?

作家の講演会

さて、ほとんどマスコミに出ないと言われている超有名な作家が講演会を開いたというので話題になった。一昨日の毎日新聞に「村上春樹氏の講演要旨」が掲載されていたので紹介します。

自分はこの有名作家の本を読んだことが無いので、どんな本を書いているのか、全く知らない。だが、講演で何をしゃべったのか興味があるので要旨を切り抜いた。かいつまんで、その内容をアレンジしながらご紹介します。

(以下、講演要旨から引用、見出しは自分が勝手につけました)

自分が主人公の物語

みんな自分が主人公の複雑な物語を、魂の中に持っている。それを本当の物語にするには、相対化する必要がある。小説家がやるのは、そのモデルを提供することだ。

誰かが僕の本に共感すると、僕の物語と「あなた」の物語が呼応し、心が共鳴するとネットワークができてくる。僕はそれが物語の力だと思う。

犬と犬がにおいでわかりあうように

河合隼雄先生とは、(20年くらい)あちこちで時間を一緒に過ごした。  

中略

われわれが共有していたのは物語でいうコンセプトだったと思う。物語というのは、人の心の奥底にある。人の心の一番深い場所にあるから、人と人とを根元でつなぎあわせることができる。

僕は小説を書く時にそういう深い場所におりていき、河合先生もクライアントと向かい合うときに深い場所におりていく。そういうことを犬と犬がにおいでわかりあうように、分かりあっていたのではないか。ぼくがそういう共感を抱くことができた相手は河合先生しかいませんでした。

引用終わり

魂の底まで降りていき、人と人が分かり合えるような共通のコンセプトを求めるという作業は、人間がどう生きるべきかという心の真実を探し求めている事なのだろうか。

興味深いのは孤高な作家が、有名な心理学者と同じ意識空間で共感し刺激し合っていたと言っていることだ。その共有体験から励まされて正しい方向に向かっていることを実感できたという。

まるで犬と犬がにおいでお互いを分かり合っていたという表現がいい。回りをたくさんの人に囲まれていても、人間は一人の時間を過ごして生きていくのだから、相性の合う親密な関係になる相手の数は限られているのかもしれない。

続いて引用

魂の階層

魂を2階、1階、地下1階、地下2階に分けて考えている。地下一階だけでは、人を引きつけるものは書けないんじゃないか。ジャズピアニストのセロニアス・モンクは深いユニークな音を出す。

人の魂に響くのは、自分で下に行く通路を見つけたからだ。本当に何かを作りたいと思えば、もっと下まで行くしかない。

引用終わり

誰もが持っている自分が主人公の自分の物語、それを小説で類型化された自分の姿を投影されることで心が共振して感動するという作家の説明は大変面白かった。

もし、そうなら、自分が主人公である物語を正しい方向に導くように深い思索のもとで、常に自分の生きる方向を修正して生きていかなければならないし、もし、誤った方向に行ってしまったら人は病気になるのではないか、そんな気がしている。

前半の今どきの若い者は・・・・という話は、身近に若者を見たときに、きっと誰でも、心の底にしまいこんだ自分が主人公である若かったころの物語が頭によみがえっているのだ。

「自分の物語を若モノに聞かせようとして、力が入ってしまい、ガミガミ調でお節介してしまう」のかなと思っている。

作家の意見に沿って、講義では若者が共鳴できる物語を語るのがいいのだろうと思っているが、具体的にどうすればいいのだろう。

たとえば、自分が経験した、数多い実例をたくさん披露して自分の経験で物語を作ってみようかな、と思っているところです。

魂の階層構造については、次回コメントを書きたいと思っています。

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