小雪がちらついた朝
今朝、いつものように朝早く起きて、外を見ると、小雪が舞っていた。
いつもよりも、ちょっと気温が低そうなので、耳当てをして背広の中にベストを着こんだくらいで、後は普段通りに出勤した。
外は、小雪がパラついていたが道路が凍結しているわけでもなく、いつもの冬の朝だった。
なんと、可愛らしい大阪の冬!
北海道の冬
去年の今頃は、北海道の離島で雪と氷に閉ざされた世界に住んでいた。朝起きると、まず玄関に行き、外の様子をうかがうのだ。
もしドカンと雪が降っていれば、だいたい1時間程度、除雪機を動かして診療所の駐車場、医師公宅の玄関周辺をきれいに除雪した。
一人で何もかもやっていた。2年半、単身で離島に住んでいい経験になったと思うのは、延々と続く長い孤独な時間の過ごし方を覚えた事だ。
空腹と孤独の共通点
離島での単身生活では、孤独と空腹が一体となっていた。
孤独と空腹は、生きていくうえで、どちらも避ける事ができない事だ。それなのに、都会に住んで人に囲まれて生きていると、なぜか、意識しなくてもいいかのように錯覚してしまう。
子供を見ていると、都会だろうが田舎だろうが、いつもそれを敏感に感じとっているようだ。
だから大人になって時間がたち、中年から老年にさしかかる頃には、一度、田舎に住んで孤独と空腹の絶望感を味わった方がいいのかもしれないと思う。
自分は離島でそれを実感した。大阪に戻った今も、時々一人になる時間を作るようにしている。
絶望の淵で見る、かすかな灯り
孤独になる恐怖感の中で自分と向き合って得られるもの、それは他人にはかり知ることができない、自分ひとりだけの魂の充足感とともに、その先に見出す将来へのかすかな希望である。
仮に病気になったとしても、孤独の中で自分に向き合えば、少なくとも今できる解決法を授かる事が出来ると思っている。
逆に、何事も他人や周りのせいにしていると、孤独に向き合って自分に正直になっていれば対応できたはずの事がタイミングを逸してしまうのではないだろうか。
観念的な話になってしまったけど、誰でも孤独の中で自分に向き合う時間を積極的に作るべきではないかと思っております。