週報
毎週、職員に病院のチャプレン室が発行している「週報」が配布される。小さな冊子で、聖書の言葉やクリスチャンである職員の話などが掲載されている。
時々、その中で三浦綾子氏の言葉が引用されていることがある。
自分は作品を読んだことが無いのだが、北海道の旭川の人で、小学校教師として終戦を迎え教師を退職した後、結核を発症する。長い闘病生活の後、直腸がんにかかるなど壮絶な人生をおくった作家である。
厳しい人生経験から絞り出されたような珠玉の言葉に、自分は時々ウーンとうなってしまう。今日は、そんな名言の一つを紹介します。
子供は本物の孤独を知っている
子供は、案外本物の孤独を知っているのではないだろうか。だんだん成長して、大人と話が通じるようになって、私はやっと、あの無性にしんと静まりかえったような淋しさから解放されたようである。
子供は、本当は淋しいものではないのだろうか。
三浦綾子「あさっての風」から引用
幼いころの自分
自分は小さい時から、どんな時に人は喜び、不機嫌になるのか、を考えながら成長したように思う。そして、20歳を過ぎた頃から、大人になったら人生ってこんなに楽になるのかと感じた事を想い出した。
あのころを振り返ると、楽に感じるようになった理由は「絶対的な孤独に向き合わなくていい、回りに合わせて流されているだけで時間は過ぎていくのだ」という開き直りだったのかもしれない。
あれから40年、だんだんと子供のころの自分に戻っているような気がする。
再び、絶対的な孤独があちこちで見え隠れするようになってきたように思う。
ただ、今度は子供のころと違い、真の孤独の中に喜びがあることを知っている。
孤独と空腹
絶対的な孤独を感じる事が出来るので、今、こうして生きていることが有難く感じられる。人智を越えた世界を垣間見ることができるようになったのだろうか。
孤独を感じることと空腹を感じることは同列であり、人として大事な原始感覚ではないかと思うのだ。
次回に続きます。