道東を発見する旅 第3の人生

離島の想い出、人生最高の楽しみ、負い目を感じる、格差社会

島から戻って2年

北海道の離島を離れ大阪に戻ったのが丁度2年前の今頃だった。

3月のこの時期、大阪では大量の花粉が舞い誰もが今か今かと桜の開花を待ち焦がれている。春の到来が目前に迫って誰もが皆ウキウキする季節だ。

一方、北海道の離島での3月は悲惨である。季節の変わり目は厳しい天候が続く。今日の天気図でも低気圧が居座っているようだ。毎週、台風が北海道に上陸しているような天気が続く。海は時化(しけ)て暴風が吹き渡り、雪がドーンと降り積もる。

暴風雪時に急患発生

島で過ごした最初の3月、自分にとって忘れられない事件が起きた。低気圧で暴風雪が荒れ狂う中、急患が出たのだ。

すぐ、大きな病院に搬送して手術をうけなければならないのだが、波が高く船が出ない。迷ったが、すぐ搬送しなければならないので、何とかして輸送手段を検討してくれと行政の担当者に指示した。

行政の人があちこちに連絡して、数時間後、自衛隊の救難ヘリが飛んでくることが決まった。自分は、本当に飛んできてくれるのか半信半疑だったが、猛吹雪の中、患者を車に乗せてヘリの到着場所に行った。

 荒れ狂う吹雪の中、空を見上げていると遠くの方からパラパラパラとヘリの機体音が聞こえてきて、迷彩色の機体が見えたときの感動は筆舌に尽くしがたいものがある。

それでも着陸するまでは心配だったが、無事着陸し、自分もヘリに乗り込んだ。

患者の様子が気になりながらも、離陸して地上から飛び上がっていく時、窓から下を覗くと大勢の島民が不安そうにこっちを見上げていた。思わず、「行ってくるよ」とばかり手を思いっきり振ったら、島民の誰もが手を振りかえしてくれた。自分よりも島民にとっても忘れられない光景だったようだ。その後、随分長い間、話にのぼっていた。

この想い出は、まるで昨日のように鮮明な記憶として鮮やかによみがえる。結局、手術はうまくいき、2ヶ月ほど経って若者は島に戻ってきた。

あれが自分にとっても大きな自信となり、島民の生命を預かる診療所の医師として覚悟が固まった。それ以降の離島の生活を乗り切れた。だけど、もしあの時、彼が間に合わずに死んでいたら、きっと自分の運命も変わってしまっていたのかもしれないと思うと、想い出すだけでセンチメンタルになってしまう。

島から戻ってきて、都会の大病院に勤める事になった時、自分がうまくやっていけるだろうか最初はとても不安だった。だけど大学病院の勤務で、医者の知識レベルや行動パターンなどに慣れているので、何とか自分の居場所を見つける事ができたようだ。

おかげで、当初、遠慮がちで控えめだった態度が、最近は横柄になってきているので自重しないといけない。

そんな事を考えながら、過ぎた2年間を振り返り、ここで自分はいったい何をしてきたのか、ちょっとひと休みして見直そうと考え、先週は、木曜から4連休にして家にいた。

のんびりと家の片付けをしたり、トレーニングや呼吸法に行ったりして、気分転換しながら考えたけどモチロン結論は出ない。

今の勤務先では、自分は定年後雇用だけど、65歳を迎える時点で嘱託を希望するかどうかの声がかかるだろう。それまでいるかどうか、辞めるなら何をするかを考えておきたいのだけど、このままダラダラといきそうだ。

今回、お休みして考えた結果、一番大事なのは、楽しい人生をおくるためにはどうすればいいのだろうかという点に尽きると思う。皆さん、いかがでしょうか?

 以前、「正義は逆転する」というアンパンマンの作者の言葉を引用したことがある。今度も、また、昨年亡くなられた「やなせたかし氏」の言葉を聞いてみよう!

人生の最高の楽しみ

「やなせたかし先生がアンパンマンに込めた哲学がすごすぎる!」から引用!
http://matome.naver.jp/odai/2131475673692300601

"人生の楽しみの中で最高のものは、やはり人を喜ばせることでしょう"   出典:やなせたかし「人生なんて夢だけど」

「一瞬を一生懸命生きるということと、目の前にいる人を喜ばせる。毎日、それをやっていきます。それしかありませんね。きっと、これからも。

引用終わり

先日、息子がホワイトデーのお返しを何だかんだと言っていた時、この言葉を聞かせたところ、息子は「素敵な言葉じゃん・・・」と感銘を受けていた。

自分は、今の勤務先で何とか居場所を探そうと努力してきた。周りの人を食事に誘ったりして喜ばせようと努力したつもりだけど、年を取ったせいか、若い人の気持ちがよく分からないまま行動していたようだ。

先日、息子が言うには、「最近の若い子は、おごってもらうのを嫌がる」のだそうである。

高いレストランで食事をおごってもらった時など、負い目を感じてしまうらしい。

ここで「負い目」の定義をしておきます。

引用元  http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4375385.html

1.「負い目を感じる」

(1)「負い目」とは「返さなければならない借金・負債」のことです。

(2)そこから「果たさなければならない責任」の意味で使われることもあります。

(3)一種の「他人に対する恩義」のようなニュアンスで使われます。

引用終わり

自分は若いころから、年上の者が年下におごるのは当たり前だという感覚で生きてきた。自分が目上になった頃から、回りの人もそれを期待しているようで、常に自分が払ってきた。それが当然であると信じてきっていた。

だけど、息子の言うのが本当なら、それが通じないからと言って若者を責める訳にはいかない。

なぜなら、負い目を感じるのは日本では美徳であり素晴らしい教育の成果なのだと思う。

学校で誰もが皆、平等であり同等の権利を持っているという教育を受ける。さらに、親切にされたらお返ししましょう、という日本人の持つ美意識から、あまりに分不相応なモノを貰ったり、豪華な食事を御馳走になったりしたら、お返しするべきだけどお返しできないという苦しみに変わるのかもしれない。

格差社会

ただ、息子は現在30歳(だったと思う?)で、若い人というのは、大学の後輩である20代の若者の話なのだ。だから30歳前後で見方は変わってくるのかもしれない。

もし、30歳前後がポイントなのだとすれば、その年代になったら、ようやく世間が格差社会であるという厳しい現実を実感できるようになってくる年代だと考えられないだろうか。

そうすれば、30歳を越えたら、余裕のある人からドカンとおごってもらっても、素直に有難く感じられるようになるのではないかと考えている。

いずれにせよ、人を喜ばせたいという願望があったとしても、我々の年代では独りよがりの親切にならないように気をつけないとダメだ。

最近、自分の知り合いにも同じような経験をした人がいるのだけど、その人もサービス精神旺盛な人なので思いもかけずにそうなってしまったと言っていた。

何かをしてあげようと思っても、その人の背景を考えて相手の希望をどの程度かなえてあげるかレベルに注意しないといけない。

親切が重荷になってしまうと、押し付けになってしまうのだ。自分の回りで今までの自分に対してそんな感情を持った方がおられたら、この場を借りてお詫びします。

まとめ

なんだかんだと言っても、医者をやっていると、病気が良くなれば患者さんから感謝してもらえる。ただ、それなりにリスクを伴うのである。

自分がもう一度、現役の医者に戻るかどうかが将来の方向性における最大のポイントだ。

誰でもいいから医者に来てほしい僻地に行くか、それとも医師免許を使って楽な仕事につくか、まだまだ人生のモラトリアムは続きそうです。

もうしばらくどうするか迷う事でしょう。なにかアドバイスがあればよろしくお願いします。

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