プールサイダー
その昔、まだ自分が学生だった頃、ベストセラーになった本で「日本人とユダヤ人」という本があった。その中に「プールサイダー」という言葉が出てくる。
プールサイダーとは、著者の造語であり、「プールで泳いでいる人に対して、プールサイドから色々助言を与えてくれる人」の事であるという定義だった。
先日、あること(後述する)がきっかけで、この言葉を思い出して、ネットで検索してみた。
検索の結果では、プールサイダーの中には全く泳げない人もいるというくだりがある。そこで、ネットでの検索結果は、机上の空論だけで実践せずにコメントだけする人の事を指し、具体的には評論家や学者のことをさしているという事になっているようだ。
速く泳げないのは、早く泳いだことが無いからだ
という言葉がある。実際、それを実証するかのようなトレーニング方法が実施されているようだ。
選手の身体に器具を装着し、実際に泳いでいる選手の身体をプールの反対側からロープで引っ張って、自分の限界を越えた速いスピードで泳ぐ感覚を体感させるという。
高い山に登ると、どんな景色が見えるのだろうか。登ったことのない人がコメントしても説得力が無いのと同じであり、速く泳ぐためには、速く泳ぐ感覚を身体で覚え込ませるのが手っ取り早いという結論である。
金づちのプールサイダー
自分も40代初めのころ、何年間か水泳にのめり込んでいた時期があり、その経験から断言できるのだが、泳いだことのない人がプールサイドから泳いでいる人を見て、コメントとかアドバイスすることは絶対に無理である。フォームを見て評価することすら出来ないだろう。
だから、金づちの人が水泳のアドバイスを出来るはずがない。プールサイダーの命名者である山本七平氏も時々水泳をしていたと書いていた事を想い出したが、そうであれば、命名者もネガティブな意味でのプールサイダーという造語を作ったのでは無いのだろうと自分は信じている。
懸垂ウォッチャー
本題に入るが、これは自分の造語だ。
自分はマッスルアップという一気に腰まで引き上げる懸垂を目標にトレーニングしているのだが、最近、見つけたYoutubeのチュートリアル動画では、マッスルアップの前段階で、胸(乳首)のあたりまでのハイプルアップを10回連続で出来るようできるようになりなさい、と指導している。
このところ、自分もそれを目指して練習しているのだが、1回や2回までしかできない。先週、あるトレーナーに相談したところ、「握力を鍛えたらどうですか?」という。トレーニングが終わってから、最後に握力をアップする運動をしろというのだ。
これは全く見当はずれなアドバイスであると思った。懸垂を究めた人のコメントではない。
それでも、「ちょっと見てて」と言って、そのトレーナーの目の前でやったところ、3回連続で胸までの懸垂が出来たのだ。
知らない方のために、書いておくと普通の懸垂は顎までで、それ以上は力がないので上がらないのだ。だ。
その出来事以来、何故か3回から5回と記録は伸びている。
それで、自分は、そのトレーナーの事を、密かに「懸垂ウォッチャー」と命名した。そのうち上達ぶりを見てもらおうと考えているのだ。懸垂ウォッチャーは専門家でなくてもいい、ただ「自分の壁を破るために力を借りる善意の第3者」というような意味合いであり、おそらく、山本七平氏のプールサイダーもそれに相当するものではないかと考えている。
連れ合いのこと
このところ、職場で、「奥様、いかがですか?」と優しく声をかけてもらう事が多い。今日で退院してから2週間になるので、どんな具合なのか気にかけてくれているのはとても有難くて、思わず涙ぐんでしまう。
若い人から中年まで独身の女性が気にかけてくれているようでうれしい。
これも自分にとってのプールサイダーのようなものであると考えることにしている。時々優しく声をかけてもらうことで、ただでさえ気が滅入ってうつ状態になってもおかしくない気分なのに、そんな自分の心の壁を破ってくれる善意の第三者が現れてくれているのだ。
夫婦という共同生活は、いい面もあれば悪い面も楽しみも苦しみもすべて包含しており、ドロドロした部分もかなり、あるので既婚者は気楽に声をかけられないのかもしれないな。
そんな訳で、うつな気分になることなくトレーニングに励んで元気を取り戻しています。