道東を発見する旅 第3の人生

転職 ドライブ往復700km 残雪の大雪山 80㎞の峠道  

転職の就活

前回、書いたが、来年4月からの転職先を探すことにした。医師専門の転職サイトにメールを出しただけだが、初めての経験だ。

希望は北海道内のどこかの老人介護施設で送ったら、すぐに返信があり、その後、2,3週間でいくつかの案件の情報が送られてきた。

まだ都会には戻りたくないが、都会が近い田舎がいい。そして、北海道に住み続けたい。そもそも、30年前、外国から日本に戻ってきた時、いつかは北海道に住んで真冬をスキーや除雪を楽しみたい。それには手つかずの大自然のある北海道しかないと思っていた。

その後、この島にやってきて北海道への移住が実現したが、前回と合わせるともう5年近くも住んでいる。ただ離島なので、正月休みでも、立場上離れる訳にはいかない。従って北海道の広大な大自然を体感していない。知っているのは箱庭のような島の自然だけだ。

結局、紹介してくれた総計6件の案件から最終的に十勝地方のある町の施設に面談を受けに行くことにした

車で行かざるを得ない理由

その町迄どうやって行くか調べてみてビックリした。公共交通機関ですんなりいけるような場所ではない。対岸の町から特急バスで3時間で札幌に行き別の特急バスに乗り換え4時間、そこから路線バスで2時間の計9時間バスに乗車しなければならない。

島民に内緒で週末に行くので2泊以上休めない。面談日の前日に1泊、面談が終わるとすぐ対岸の町に戻って泊り翌朝のフェリーに乗って島に戻って外来に間に合うことになる。だから車でしか行けないのだ。

片道350キロ

グーグルマップで調べると、目的地まで車で350キロ、運転時間が5時間を超える距離だった。

ちなみに東京と大阪が直線距離で400キロである。夜行バスで行くような距離でもあるのかもしれない。北海道の大きさが実感できる。

長距離ドライブの想い出は、13年前、大阪北部から兄の住んでいた和歌山の白浜まで嫁さんと2人で一泊2日で行った事がある。遠くまで運転していった気がしていたが、調べるとたった180キロしかなかった。

その次が5年前で嫁さんが死んで3か月後に息子とカーフェリーで九州の鹿児島に行き、そこから別府まで一泊2日でドライブしたのだが、300キロでしかない。

今回、70歳を過ぎ、大阪ではほとんど運転しなくなっていたし、今も島の中しか走っていない。そんな自分が無事行って帰って来れるのかちょっと不安だった。だが、他に選択肢は無い。その代わり景色を楽しめるドライブ計画をたてた。

大雪山の左を南下し右を北上する

北海道の中心に存在するのは大雪山系で単独の山ではなく、いくつもの山から構成される連峰の総称である。一番高いのが有名な旭岳だ。

その大雪山系の左側を南に下っていく。有名な富良野を抜けてトマムから太平洋側の十勝平野に出る。帯広の近くの町でお昼に就職の面接を受け、そのまま、大雪山の右側、糠平や層雲峡を北上して士別まで行き、日本海側の苫前まで戻る計画をたてた。

往路の風景

出発して80キロくらい日本海側を走ってそこから山に入り高速道路を走った。滝川で高速を降りて富良野方面に南下する。地元の道路を走っていると、20キロや30キロで町から町へと移動する。風景を楽しみながら、次の町でコンビニに寄って休憩し、の繰り返しだ。都会に住んでいると馴染みのない、その町の「道の駅」に寄るのが楽しい。

こんな感じのドライブでアメリカやヨーロッパを走った事を想い出す。

富良野は南北に長い町なので、上富良野、富良野、南富良野と風景が移り変わって驚いた。次はどんな景色になるのか、ワクワクしながら運転する。特に深く印象に残ったのは富良野中部で、南に向かって右手に残雪をかぶった芦別岳だ。

道路のすぐ右に見える一面の緑の畑が残雪の山並みのふもとまで伸びているような風景で、昔よく走ったスイスアルプスの麓の町を走っているような感じだった。自分が見た風景の画像を見てください。ライセンスが必要なので画像を貼れません。リンクだけ貼ります。

https://pixta.jp/photo/2684077

富良野をようやく抜ける直前の南富良野の「道の駅」で休憩した。

写真の「熊のはく製」は体重400㎏。自分が見上げるような大きさで、自分の頭は胸の下の高さでしかなかった。ここではトイレに行き、「濃厚アイスクリーム」を食べ、敷地内に「モンベル」の大きな店舗があったので、Tシャツとか帽子を買いました。

復路

往路では大雪山は見えなかった。復路では農地からどんどん坂を上がっていき、「三国峠」という北海道で一番高い峠に登っていった後、雄大な眺めを見て、大雪山連峰の右側をずっとドライブしていく。遠くの方に連峰の一部が見えたり、見えなかったりだったが、どんどん下っていき、夕方近くになって遠くに見える山の撮影スポットで壮大な風景に感動した。

ここで山を離れて平地を延々と北の方に走っていった。そして士別市に入りトヨタのテストコースのわきを通った。

下の画像で、平地が道北の士別市である。

羊で有名だが、郊外にトヨタのテストコースがある。トヨタの車はここで性能をテストするそうで、以下のサイトをご覧ください。画像の中の赤い印です。2枚目は拡大画像で幾何学的な模様のコースが見えています。

もっと細かく見たい場合は、グーグルで地図検索してください。

マイナス30度の世界がクルマを鍛える?!士別試験場の全貌に迫る

https://toyotatimes.jp/series/test_driver/003.html

リンクを貼った記事に出ているが、ここで時速250㎞からのブレーキテストなどを行ったと書いてある。

それで思い出したのが、アウトバーンを走ったことだ。また古い話で恐縮だけど、30年前フランスに住んでいる時、死んだ嫁さんの父親がクルマが好きで、ドイツで走るならいい車を買えと、お金をくれたのだ。それでフォルクスワーゲンの最高速が出る車を買い、アウトバーンをよく走っていた。

 

当時住んでいたストラスブールからドイツに入りフランクフルトの日本の食料品をたまに買い出しに行ったのだが、グーグルマップで調べたら200キロメータしかなかった。マップには運転時間2時間と書いてあるが、その車の最高速が220キロでアクセルを床まで踏み込んで買い出しに行ったことを想い出した。たぶん、1時間を超えるくらいしか時間がかからなかったと思う。

現在は、アウトバーンは速度制限の範囲が広がっているそうだが、そうでなければスピードは出せるだけ出していいので、ドイツ車の直線安定性はアウトバーンで何十年も一般人で再現され検証され続けているのだ。

 

さて、ここまではわかっていたが、その先、日本海側に出る道については何も知らなかった。フラフラとドライブの最後、80キロメートルの道を走りだした。山の中の道で道以外には何もない。マップで見ると細い線がぐにゃぐにゃ曲がっている。

直線はほとんどなく、大きなS字カーブや緩いカーブがずっと連続していた。

北海道で冬季積雪量の多い地域では、アスファルトにヒビがあると水が滲みこんで凍結融解を繰り返して道路に亀裂や穴が出てくる。それで雪がとけると補修するのだが、道路が破れたジーパンにパッチをあてるような凸凹道になる。

この地域の幌加内というところではマイナス41度を記録したことがあるそうだ。それで時々、車の後部が軽くジャンプしてドスンといったりした。そんな道でも時速80キロ前後でぶっ飛ばした。

1時間走ったが、対向車は4台だけ。全部、軽4輪だったので地元の人なんだろう。

まだぼんやりと明るい夕暮れ時に日本海側のいつもの道路に出た。

道路から見た日本海に沈んでいく夕焼けが素晴らしい光景で対岸の町にたどり着いた時は暗くなっていた。

まとめ

面接試験を受験する旅で、壮大な北海道の大自然を満喫するドライブを楽しんだ。往路の夜は疲れでホテルに着いて夕食を済ませた後、7時から11時までグッスリ眠りこけ、起きて風呂に入り12時から5時まで熟睡して疲れが取れた。復路は運転に慣れたのかそれほど疲労感はなかった。

本州のドライブとの大きな違いは、渋滞がほとんどなかったことだ。山道以外は、ずっと80キロから90キロ、高速では100から120キロで走り続けた。最後のグニャグニャの山道も80キロ前後で走り切った。

ホントに快適なドライブであり、北海道の広大さを身体で体感できた。

さて、肝心の面接だが、「日が暮れるまでに戻りたい、終わったら6時間ぶっ続きで走るので早く終わってください」と頼んであったので、自分から一方的にアピールして30分で終わらせてもらった。

無事、内定を頂いたので来年の3月には荷物をまとめて十勝平野に引っ越すつもりだ。

前回の動画、日本語学校の外国人留学生の卒業ではないけれど、島を卒業する日が待ち遠しい。

だが、島民との別れも待っている。フェリーで島を離れる時は胸がいっぱいになるだろうし、涙で顔がくしゃくしゃになるのだろう。

あまり人には話していないが、自分は中高一貫の寄宿舎生活を過ごしたのだ。寮は山の中にあったので月に一回、日帰りの外出が許可されているが、外の世界を知らない学生時代を過ごした。

寮では、いつも先生から「君らは世間知らずだ」と言われ続けていた。しかし、卒業して外に出ると、自分より世間知らずの人が沢山いることを知った。

今回も、また、島を卒業すると、別れがある。前の病院の時も大学を辞める時も、大学院を卒業して海外に行くときも、そして大学も高校も色んな人と出会って卒業とともに別れていった。

遠く、遠くの歌のように、遠い所に行ってしまい違うところで頑張るので、別れは必要な事だし、心を鬼にして別れを受け入れないといけない。生きていくための原則は過去に心をとらわれてしまってはいけないのだ。次のステージに前を向いて歩いていこう。

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