道東を発見する旅 第3の人生

悩める乙女の修道院紀行 心のさざ波 人生がリセット 遠く遠く

島に来て2年が過ぎた。毎日、診療が終わると診療所の隣にある宿舎に戻る。時折自転車に乗って島を1周するが、その後は、特に行くところもないので長い夜を過ごしている。

テレビを見たり見なかったりするが、民放は殆ど見ない。その代わりBS放送をよく見る。NHKBSの番組はバラエティに富んでいてとても面白い。

先日、女優さんが2人、それぞれドイツとフランスの修道院に3泊4日で泊まりに行くという番組を見た。

どちらの修道院も、絵のような美しい風景の中にポツンと石造りの古めかしい立派な修道院に泊まりに行き、修道女さんとともにお祈りをして作業をしたり食事をしたりする様子を撮影していた。

どこかで見たような話しだ、と思った。11年前の自分のブログに欧米の女性が書いた修道院体験記の本をとりあげていた。本に載っていた体験記を追体験させる番組だった。

心の安らぎ、修道院へようこそ、静寂から見えるもの 2012/5/8

https://blog.goo.ne.jp/toshimasanaka/e/9119fa1d1a58168279b4e5d3458c89dc

この時、自分は修道院と離島の生活は似ていると書いている。

番組の途中から見たので、ドイツのエピソードは見逃して後半のフランスの方だけ見た。

修道院の体験者がモデルと女優の菊池亜希子さんで、どこかで見たことがあると思ったら、これまた数回前のこのブログであげていた映画「かそけきサンカヨウ」にヒロインのお母さん役で出てきた人だった。

インスタグラムでkikuchiakiko_officialで検索してみてください。修道女さん達と菊池さんの写真が出てきます。以下、ご本人のコメントを引用しておきます。

 私はフランス編を担当。ボルドー郊外にあるリヴェ修道院へ。それはそれはもう、素敵な、貴重な体験でした。おそらく私の人生でも5本の指に入るであろう、忘れられない旅になりました。 

引用終わり

下の写真、中列右から2番目が菊池さんだ。写真では腰をかがめているので大柄なのが分からないが、身長が173cmと日本人女性とすれば背が高い。

 

前回、自分はアメリカの研究室にいる時、大きな白人に囲まれてちっぽけな自分を意識したと書いた。その後、アメリカからフランスに渡ったところ、フランス人はそれほど大きくなくて人懐っこい人が多く、すごい安心感を感じた事を想い出した。

番組の最後に、日本に戻るときのお別れのシーンで、大柄の菊池さんが、ズラッと並んだ小柄な修道女さんに一人ひとり手を握ったり軽いハグをするお別れの挨拶シーンが、まるで幼稚園の女の子たちと保母さんのお別れの挨拶みたいで(女優さんが保母さん)笑ってしまった。

修道院への駆け込み

では、なぜ一般人が修道院に行くのだろう。日本でも駆け込み寺があるように、修道院でも精神的に落ち込んだ人が修道院に住み込んで祈りの生活をしたり、そこから仕事に通っている人がいるのだ。女優さんは、数人の女性たちと悩みを打ち明けているシーンもあった。

しかし、後述するが、修道院では原則、会話は禁止されている。会話は特別の部屋でしか許されておらず、夜8時から翌朝までは会話厳禁の「大沈黙」と呼ばれる時間なのです。

10年前の自分のブログの記事に戻ります。

さて、なぜ修道院に行き、そこで安心と静寂が得られるのか、本の中の一部を引用します。

エジプトの砂漠で、修道士の中で、知恵のある老人(長老=師父)の見出した悟りの言葉

ある孤独な修道士のところへ、ある日、数名の訪問者がやってきた。彼らは修道士に尋ねた。
「あなたは自分の静寂の人生に、いったいどんな意味があると思っているのですか?」

修道士はちょうど雨水溜めから水をくもうとしていた。彼は訪問者たちに言った。
「水溜めの中をのぞいてみなさい。何が見えるかね?」

その人たちは深い水溜めの中をのぞいた。
「私たちには何も見えません」

しばらくしてから修道士たちはふたたび、訪問者たちにいった。
「もう一度、水溜めの中をのぞいてみなさい。何が見えるかね?」

訪問者たちはもう一度、下をのぞいた。
「ああ、いま自分たちの姿が見えます」

修道士は言った。
「そうだろう。私がさっき水をくんだときは、まだ水面は波を打っていた。いま水は静かになっている。これが静寂の体験だ。水が静まると、自分自身の本当の姿を見ることができるのだ

さらに沈黙の意義についての引用です。

話しをしないこと(修道院へようこそ:番組のネタ本77ページからの引用です)

修道院のシスター達は、かなりの我慢強さで沈黙に励んでいる。午後8時の最後のお祈りの後、それぞれ1人で部屋(僧房)に行き、それから「大沈黙の時間」が始まる。それは翌日まで続く。朝、シスター達は顔をあわせても互いに挨拶をしないのだ。朝食後に会話をするが、昼食時にはまた新たな沈黙の時間が始まっている。

中略

それがいかに良い会話であっても、やめるべきだという。沈黙はあなたが、学び、みずからを成長させ、貴重な経験をするチャンスを切り開くものだ。

まとめ

番組では3泊4日だったので、女優さんがどこまで沈黙に耐えられたのか、そして何を得られたのかの話が出てこない。けれど、菊池さんは修道女さんと会話しているシーンでは、涙ぐんでいることが多かった。普段ストレスが多い生活だそうで、もう一度、自分の原点に戻れるきっかけをもらったというようなことを言っておられたと思う。

ただ、体験記は、たった3泊4日の旅である。高齢の修道女さんは何十年も楽しい会話を続けることが許されない神への祈りがすべての生活を過ごしている。凡人の自分たちには想像できない世界に生きているのです。

 

振り返って自分は、この番組がきっかけで、なぜ自分がもう一度ここ(離島)に来ようとしたのか、世間から離れて島流しを希望してやってきたのかを再確認した。

「雨水溜めのエピソード」のように、2年前にここにやってきた時は、世間の波風に吹かれまくって自分の姿が見えないまま、自分を見失っていたように思う。

最後の2,3年は楽しくない日々を過ごしていたのは確かだ。そのせいだろう、病気になって生まれて初めて入院もした。

だから辞めた後、この人里離れた寂しい島で単身、長い夜を過ごす静寂の中で心が平穏を取り戻す事が出来るかもしれないと思ったからだ。

そして2年過ぎた今、誰にも頼れない自分の責任を果たしていく過程で、周りの人とのしがらみから解き放たれ、本来あるべき自分の生き方を取り戻すことが出来てきたように思う。

その生き方とは、過去にとらわれずに過去を捨て去り、今を裁断し「今、この時」を精一杯生き抜く事である。今年度は島に来て3年目になる。

今、自分は、そろそろ離島を卒業しようと考えている。そして、次の転職先を探そうとしています。

島の人や昔からの知り合いから、さらに離れて遠くに行こうとしている、そんな自分に元気を与えてくれる旅立ちの歌をあげておきます。この動画を見ると、いつも涙がポロポロと湧き出てきます・・・

 

遠く遠く:遠い母国を思い外国の学生たちが卒業式で熱唱:1回歌うだけでは済まず、2回目がさらに最高の盛り上がり!!感動的な日本語学校の卒業式:活動を再開する槇原敬之さんもこれを見て今後の励みなれば!!!

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