道東を発見する旅 第3の人生

老化、言葉も色づく

イタリア料理

先日、同僚2人とイタリア料理のレストランに行った。

同僚といっても同じ職位という意味であり、年齢は自分より一回り若い人と二回り若い人だ。

一番若い人のなじみの店なので店主も気合が入っていて次々と高価な食材を使った料理が出てきた。

若い2人にあわせてワインをぐびぐび飲んでガンガン食べた。初めは美味しかったのだが、中盤を過ぎたころから、だんだんと気分が悪くなって最後は全然何も食べられなくなってしまう。

気分が悪いまま家に帰る。しばらく休んでから胃袋をトイレですっきりさせた。それでようやく眠れた。

翌日、2人とも「ちょうどいい量でしたよ」と言っていた。

残念だけど、自分は以前のように暴飲暴食が出来なくなっていたのだ。

これが老化なのかとガックリきたが、しかし無理しても飲み食いできなくなった分、気楽になった。

初等数学

半年ほど前、ブログで秋に統計検定の1級を受けると書いた。その後、試験問題を見て、これは無理だと思い1級は1年先に延ばして来年の春、準1級を受けることにした。

実力をつけるために、今年の夏から、大学数学の初等レベルを勉強しているのだが、なかなか進まない。難解なので理解するのに時間がかかる。さらに理解できても何のためにこれが必要なのかがわからない。だから覚えられないのである。

ようやく分かってきた事は、大学の数学は初等レベル(1,2年)と専門レベル(3年4年)では全く別物であることだ。

初等数学をマスターして完全に使いこなせるようになって、初めて次の高い山に進めるようになる。

いったい、どのくらい難しいのだろう。

ネットで調べたが、かのTokyo大学での話である。

あそこでは、新入生は教養で全員同じ教育を受けるそうだ。数学も同様である。

だけど東大生でも、大半の人は線形代数や解析がわからないままで教養の数学が終わり専門にすすむという。

若い優秀な頭脳でも普通に勉強するくらいでは、まったく理解できないという。

老年の自分が、基礎知識なしに数理統計の基礎である確率を勉強しようとしても無理な話なのである。

加えて、老眼の問題や記憶力の低下の問題など厳しい条件がつく。

唯一の希望は、ネットで読んだのだが高齢者でも長い時間をかければある程度は記憶力が保たれるという説である。

今のところ、細々でもいいから続けるうちに、きっと光が見えてくるのだろうと楽観的に考えている。

実際、3ヵ月前よりは解析などの知識がずいぶんついてきている。

言葉も色づく

有名な文芸評論家小林秀雄の「文学と自分」一節から紹介します。

人間は一枚の紅葉の葉が色づく事をどうしようもない。

先ず(まず)人間の力でどうしようもない自然の美しさがなければ、どうして自然を模倣する芸術の美しさがありましょうか。

言葉も亦(また)紅葉の葉の様に自ら色づくものであります」

引用終わり

まとめ

紅葉する葉のように人が使う言葉も色づき始めると色を失い枯れていく。世間で使われなくなった言葉はただ消えていくだけだ。

人間も自然の一部なので、紅葉する葉や消えていく言葉のように、人間の肉体も色づいていきそして枯れていく。

自分の肉体は、筋トレで、まだまだ色づいていると思っているが、後5年もすれば枯れていくことは間違いない。

しかし、きっと精神は前向きに生きていれば、死ぬまで成長し続けるのだろうと思う。

以前、テレビで「100歳万歳」という100歳を越えたご長寿老人の日常をルポする番組を見ていたことがあるのだが、その時に元気な老人の姿と生き方で強く感じたことだ。

だから老化も悲しむだけではなく、それと引き換えに新しい視点が出来て視野が広がり精神生活がますます芳醇になるのだろうと思う。

今朝の新聞の川柳欄からの引用

毎日新聞2015/11/29

近藤流健康川柳

「死ぬときに何を言うかで喧嘩する」 兵庫県 福井恵子

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