道東を発見する旅 第3の人生

神様のダメ出し

再発

残念ながら嫁さんの癌が再発した。現在、自分の勤務している病院に入院している。

8月の終わりから3ヶ月リハビリ病院に入院しリハビリをしていたが、退院まで後少しというある日、突然発熱しておしっこが出なくなった。

主治医が脊髄への転移を疑い、すぐこちらに転院した。

その日の夕方、すぐMRIをとったところ、脊髄に癌が再発していた!

2回目は出来ないと言われていたのだがすぐ放射線治療を受けた。

効果が認められないままジリジリと悪化してきている。

計算違い

1年3ヵ月前にも治療してきれいになっていたので想像もしていなかった。

無性に悔しくて無念で無念で涙が止まらなかった。

リフォーム

11月の初めにブログに書いたが退院が決まって、その時期に向けて家のリフォームをしていたところだったのに・・・

家の中は車椅子で移動できるようトイレや居室のドアなどを引き戸にして金をかけて改造したのに・・・・・

本人もガックリきているようで慰めようもないのだが、だんだんと眠ってばっかりになってしまっている。

人生は、はかないものだ。自分たちの思う通りにいかない事の方が多いという事実を改めて噛みしめている。

この無念さをどう考えたらいいのか、割り切って考えようと思っても、なかなかそう割り切れるものではなく、毎日、やせていき弱っていく家内の姿を見るたびに涙があふれてしまう。

神様のノー

そんな時、朝の礼拝で理事長の話が心に残った。

厚い聖書の中でも、神様が人間に向かってノーと宣言するくだりはほとんどないそうだが、その例外的な文節を引用して次のようなお話をされた。

その中で具体例として挙げておられたのが、病院の収益事業の一つから撤退した時の話である。

撤退する事業の引受先と交渉したのだが、なかなかうまくいかず、次々と相手方から断られたそうだ。

その時、それを神様が「ノー」と言っておられるととらえて気落ちしないように何度も引受先を探したそうだ。

そして最後にこちらの希望に対していい条件で折り合いがついたそうだが、その時、ようやく神様が「イエス」と言われたと実感したという内容だった。

神様のダメ出し

先週末、主治医の先生から病状説明があり、状況が好転する見込みはほとんどないという厳しい内容だったので自分も腹を決めた。

再発が分かったタイミングとかすべての状況を鑑みるに、これが「神様のダメ出し」なら人間がジタバタしても全くどうにもならない。

ここは前向きに考えて、この状況が自分や息子達、そして本人にとって最良の結果に通じるのだとの信念を持つべきだと思った。そう思うとちょっと前向きになれる。

振り返ると、4年前の12月、嫁さんは進行ガンで脳、肝臓、骨に多発転移しており、いつ死んでもおかしくない状態だった。

その時、自分は「今、死んでもらったら困る。気持ちの整理がつかないまま、死んでしまったら喪失によるトラウマがいつまでも続くかもしれない不安でいっぱいだった。」

あれから、4年間、何度も治療を受けて本人は頑張ってきた。それでもだんだんと身体の機能を奪われていく姿を見ていて、嫁さんは自分達の為にも、と思って頑張っていたのだろう。

生きてくれてありがとう、もう辛い思いはしなくていいから天国でゆっくり休んで欲しい、と考えるべきだ。

しかし、家内の様子を見に行くたびに、悲しくて涙が出てしまう。なかなかそんなに簡単に切り替えられるものではないのは確かだ。

退院

そんな状況なのだが、本人および我々の希望もあり主治医の先生の了解を得て、今週水曜日に退院させてもらうことになった。4ヵ月ぶりに嫁さんが家に帰ってくるので嬉しい。だけどちょっと不安もある。

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