道東を発見する旅 第3の人生

自信満々な高齢者、積極的錯覚、ハインリッヒの法則個人版

自信満々

連日相次いで高齢者ドライバーの交通事故が発生している。

この問題に関連したテレビの特集を見ていたら驚いた。

何と「高齢者ドライバーの多くが自分の運転に自信満々である」のだそうだ。

その番組では85歳だったかの爺さんが出てきて、「自分の人生で今が(運転技術のレベルが)最高だ」と豪語していた。

番組の中でその人が運転する車(初期のレクサス、結構大きかった)を後ろからカメラで撮影していた。

田舎の2車線の道を堂々とセンターラインを越えたり元の車線に戻ったりの蛇行運転をしている。番組スタッフが「(車が)センターラインを越えていますよ」と注意すると爺さんは「はい、はい、はい、分かっていますよ」と返事はするものの蛇行運転は続いていた。

幸い、全く対向車は来なかったが、爺さんの車に同乗していたスタッフはきっとすごく怖かったのだろうと同情した。

この「自信満々な態度」に興味を持ってネットで検索してみた。ちょっと古いけど以下の記事が参考になる。

 NHKクローズアップ現代のサイトから

No.3527 2014年7月8日(火)放送

運転し続けたい ~高齢ドライバー事故の対策最前線~

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3527/1.html

言葉遣いを変えています

(高齢ドライバーの交通事故)の背景には、高齢者の身体特性とか、心理特性が深く関わっていて大きく3つの要因がある。

まず、最初の要因は目に関する特性だ。目は老化現象が最も早く訪れる特性だが、運転に必要な情報の80%ぐらいは、目を通して収集するといわれている。

1点目

視野が狭くなっている(真正面を向いて片目で左右90度の範囲で物が見えることが望ましい)が、年齢が65歳を超えると60度くらいに狭まってしまう。これは交差点の見落としにつながる大きな要因となる。

2点目

単純な作業課題であれば、若い人と比べてそれほど大きな反応時間の遅れ等はないのだが、複数の作業課題を同時に扱う場合などで問題が生じるわけである。

(複数というのは、歩行者だったり、信号だったり、いろいろなものを確認しながらということですか?)

そうです。そういったときにエラーが出たり、時間がかかったりということです。

まさに交差点の交通状況というのは、まさにその状況であるということになりますね。

3点目

運転能力に関する過信と、自信の持ち過ぎ

これは、自分の運転テクニックであれば、十分危険を回避できるかどうかということに関して、イエスと回答した人の割合が70歳を超えるとぐんと上がり75歳以上の方では、実に53%に達している。

長年の経験から、交通規則よりも自分の経験則を重視してしまっているというようなことだ。今まで自分の経験を重視して、大きな事故に遭ったわけでもなかったと。

だから、交通規則よりも自分の経験則のほうを大事にしたいということかと思う。

交差点での事故では、交差点では当然、一時停止をしなくてはならない。

しかし、高齢者の場合、一時停止違反が非常に多いというデータが上がっているわけだが、一時停止すべきところを徐行で済ませるのである。ここは徐行で十分だということなのであろう。

それが一時停止標識を無視することにより、交差点での事故につながってしまうのだろう。

引用終わり

ここまでの感想

なぜ、自信満々なのか。その原因は長年事故を起こしたことが無いから「自分は大丈夫だ」という自意識過剰な状態が続いていることのようだ。

センターラインを守らない85歳の老人も、自分はこの道を何年も走っていて、センターラインを越えるくらいたいしたことはない、自分は大丈夫だ、という根拠のない自信がその背後にあるのだと思う。

この記事の内容を我が身に置き換えて考えてみた。

視野が狭くなるという点について65歳の自分は認めざるを得ない。

自分で運転していて、信号のない交差点や駐車場から一般道に出るときなど、左右の確認をしづらくなっているのは確かだ。

ついこの間までは、もっと気楽に走れていたのだが、どうなったのか、と思っていた。理由が分かって納得し安心できた 

複数の作業課題を同時に扱う問題に関しては、まだそれほど大きく衰えた訳ではないと思う。これは多分筋トレなどで身体の動作をいつも訓練している成果ではないかと思う。

最後の運転能力への過信という点である。

自分はずっと運転しているが、10年以上ゴールデン免許保持者だった(去年1点だけの違反をした)。今でも息子よりも自分の方が運転はうまいと確信している。

これが、自信過剰につながるのだろう、気をつけよう。

さて、考えてみると、これは運転に限らず健康でも同じことが言えると思う。

大きな病気にかかったことが無い、とか人間ドックに何年も通っているが医者には特に何も言われていない、なども同様である。

いつ、自分が事故を起こす(病気を発症する)かわからないといつも謙虚な姿勢で生きることが大事だと思う。

昨日の毎日新聞の余録欄に次のようなくだりがあったのでご紹介します。

毎日新聞2016.11.26 ネットにアップされています

http://mainichi.jp/articles/20161126/ddm/001/070/091000c

ポジティブ・イリュージョン

人を元気よく生かすのは「ポジティブ・イリュージョン」、つまり自分を実際より良く評価する「積極的な錯覚」だといわれる。

老齢になってもこの楽観的な自己幻想を操れる人は幸せな人生を送れそうだ。だがその幻想によって車が運転されるならば話は別である

引用終わり

まとめ

まず「自分は運転がうまい」とか「自分は健康で病気にはならない」は永遠に続かない。誰でもいつかは衰えて死んでいくのである。それを自覚しなくてはならない。

それを前提として、大事なことは、自分が錯覚している事を、いつ、どの段階で気がつくかである。

そこで、何回か前にアップした記事に書いた「逆Sの字曲線」で近似できる法則が重要になる。もちろん、錯覚に気付くのは早ければ早い方が受けるダメージが少ない。

運転にせよ、健康にせよ、何事にも謙虚な姿勢で臨むことが初期の段階で気がつかせてもらえるのではないだろうか。

自分の場合、半年くらい前にたまたま視野の異常に気がついて微小脳梗塞が見つかった事があった。

あの時は、専門家に相談すると確実に検査されてしまうので躊躇したのだが、何があっても受け入れなければならない、と考えを変えて肚をくくったのだった。

画像で微小脳梗塞像を見たときは、精神的なショックを受けて狼狽し動揺した。

だが、MRIの威力できわめて早期に見つかった小さな病巣だったので、1週間程度で消えてしまった。

あれで自分が学んだのは、常日頃から体感を大事にしておくこと、そのうえで何か不調を感じたら、それを素直に受け入れて、自分なりに工夫して対応していくことが大事であるということだ。

あの時は、精神的にイライラしていたのと、脱水気味だったのも影響していたことを反省して、水分を良くとってイライラしないようにしている。

そのせいか、あれから全く視野異常(閃輝暗点)は出ていない。

また、よく知られている事で「ハインリッヒの法則」というのがある。

1件の重大な事故が発生した場合、29件の軽微な事故が既に発生しており、300件のヒヤリ・ハット既に発生しているというものである。

これは誰もそう言っていないが、自分はこの法則が個人に対しても当てはまると思っている。

事故の当事者になるとか致命的な病気になるとかの前には、きっと小さな予兆が何度も現れているのだろう。

それを予兆として真剣に取り組めるかどうかは、その時の自分の心の姿勢にかかっている。

予兆かもしれない出来事に対して積極的な錯覚してしまってはならない。

そのためには、予兆かもしれないことを面倒くさがらず素直にそれを受け止められるかどうかにかかっている。

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