5月になった
朝夕は冷え込んでいるが、日中は風薫る5月を感じさせるさわやかな季節になった。だけど、吹き渡る風以外にも、ちょっとした匂いが気になる季節でもあるようだ。
道端の草や花、街路樹の匂いはもとより、電車に乗っていて隣の席に座った人の汗や服の匂いとか、色んな匂いが気になってしまう。ただもう少し時間がたてば、暑さでそんなデリケートな感情なんかが一気にふきとんでしまうのだろうけど・・・。
自分は、平均気温が上がる事により、鼻粘膜の機能がパワーアップするのではないと考えているが、真偽は定かではない。
さて、今日は、前回紹介した「創造は統合である」の続きです。
本の中に気になる一節があったので、まずそれを紹介します。なお、説明のために順序を入れ替えて編集しています。
猫のパズル
猫のパズルを使った研究者の分類(赤祖父俊一:知的創造の技術181ページ)
パズルの例を使って説明してみよう。猫のパズルと思って一生懸命考察している折、どうしてもパズルに合わないピースが発見されたとしよう。
実は、発見できなければ研究者の資質はないのだが、そのようなピースが見つかった場合への対応で、どのような研究者に成長するかが明瞭になる。以下3つのパターンを考えよう。
(1) 自分は猫のパズルを解いているので、そのピースは他のパズルのピースが紛れ込んだと考え、捨ててしまう。
(2) そのピースは絶対猫のパズルに違いないとして、努力を続ける。
(3) 猫のパズルに疑問を持ち、ピースを吟味し始める。
皆さん、ご自分はどれに当てはまるか考えてみましょう。著者は、それぞれに注釈をつけています。
(1) の場合、ピースを捨ててしまう場合もあれば、猫のパズルではないと考えるのが怖い(皆がそう言っているので)ので、隠してしまう。これを米国の研究者の間では「カーペットの下に隠す」と言うそうですが、このような研究者は平凡な研究者であるそうです。
(2) 猫のパズルであることを疑いもしない人は努力家としては認められても、研究者としてその分野の前進に大きな貢献はできないと書いています。
(3) 吟味する、これが著者の考えるブレークスルーを達成することのできる研究者だそうです。以下、実際に見てきたような説明が続きます。
(猫のパズルではないとの仮説をたてて)吟味をし始めると、異例のパズルを次々と探し出すことができ、自分の進んでいる方向に自信を持ち始める。
そして最終的には猫ではなく、子犬のパズルであることを発見する。
引用終わり
これを読んで思わずウーンとうなってしまった。実にうまく出来た比喩だと思う。
長年、地球物理学で先端的な研究を続けてきた著者だからこそ、書くことのできる具体な例だ。
自分も、研究者として失敗例とか成功例など色んな人を見てきたのでよく分かる。
たとえば、よくマスコミをにぎわせる論文ねつ造の場合は、(1)に分類されると思う。
怖がる相手が、ボスであったり研究者の地位を失う事であったりバリエーションは色々あると思うけど、子犬の姿が見え隠れしていても、猫のパズルに合わせてストーリーを作ってしまう(ピースをカーペットの下にしまい込んでしまう)。
なぜなら、皆、猫と言ってたじゃないか、それに合わせて考えただけだというのが彼らの理屈である。
もちろん、このような例はごく一部であり、大多数は(2)の人だろう。ましてや(3)はめったに見られないケースであるが、その精神で生きていくことが大事なのだと思う。
この続きは、いずれ触れるとして、今日は身近に起こったネコか子犬かのエピソードを紹介します。
5月1日から我が病院では一部の検査値の基準値を変更した。基準値の変更には、理屈が必要である。皆がそう言っている(思い込んでいる)数値が、大きく変わる事はとんでもないことなのだ。その背景を紹介します。
HbA1cが、6.2から5.5へ
昨年4月から、全国的に糖尿病の指標であるHbA1cは基準値が変更されて、5.8以下が陰性だったのが6.2以下となった。
それを我が病院では、この5月から、さらに大きく下げて5.5以下に変更したのである。
当然、医師から非難の声があがる。なぜ、突然、そんなに下がるのだという、怒りと言うよりも予想できないショックで思考停止になってしまうのだ。
そして悲しい事にそれを皆が納得いくように説明するというのが、自分の役割だったのです。
固い説明
端的に説明すると、6.2以上は糖尿病が強く疑われる集団であり、5.5以下は現在のところ糖尿病は心配ない集団である。その間の5.5から6.1という集団は境界型糖尿病(糖尿病が進行し始めた状態)が含まれる集団なのだ。
だから糖尿病ではないというためには、5.5以下が陰性とするべきなのだけど、何故どこの施設でも基準値を変更できないのか?という疑問が出てくる。
自分が出した分析結果
糖尿病の専門家と話していて、実はこの境界型の含まれる集団が予想以上に多いという事が背景にあるらしいと気がついた。
そこで、我が病院の約1年間のデータを調べた結果、陰性は5割で陽性は2割、この境界型に含まれる集団は3割もあったのです。
どこの病院でも、今まで糖尿病ではないと言われていた集団の半分くらいが急に糖尿病の予備軍だということになると、大変なことになる。
なぜなら、境界型がどうかを決めるのはブドウ糖負荷試験という手間のかかる検査を一人ずつしなければならないのである。
当然、医師の仕事がとんでもなく増えるのは間違いない。
多分、それが理由で専門家集団のトップクラスでも急に基準値を下げるわけにはいかないという事になっているのだろう。
実際、最近は機会があれば、専門家は何かとそれを示唆する一言を付け加えるようだ。
たとえば医師会の一般市民への啓発ポスターにも、付け足しのように「ただし、HbA1cが5.5以上の方は注意が必要です」なんて、一言がついているのだ。
そこまで説明して、皆、納得して理解してくれたようだ。
国境線についても
基準値を変えるだけでも、誰でも納得できる説明が必要である。当然、国際問題になっている、離島の所属論争でも、日本はなぜそうなのかという理由を、繰り返しわかりやすく国際社会に向けて発信しつづけなければならないと思う。
マスコミを見ていると政府の足を引っ張るだけのようだし、政府もその努力が足りないのかな、と感じてしまいますね。