~光と影の音色~

 自然の声をPHOTOに

吉原

2016-06-12 00:02:13 | 【写真(作品)】
吉原の遊び帰りの客が、後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、
この柳のあたりで遊郭を振り返ったという 「見返り柳」 です。

五千円札で有名な女流作家、樋口一葉の 「たけくらべ」 は
「廻れば大門の見返り柳いと長けれど」の一節で始まります。

吉原言葉と呼ばれた「ありんす」とは、「あります」の意味であり、
地方出身者が多いことから、方言では客が興ざめするだろうと、
みんなで「ありんす言葉」を使えば誰もが都会娘のように振舞う
ことができて客受けも良いので、便利に使われていたそうです。

この地に住んでいた紙漉き職人たちが、和紙の原料となる楮や
三椏を煮詰めたあと冷やす。 その間に遊女たちの顔を見に
いくので、遊廓の間では「ひやかし」と言って蔑んでいたとのこと。
これが後に「買わないのに見るだけ=ひやかし」になったとか。
 (江戸の頃の遊廓は高額なので普通の職人は遊べません)

江戸から明治、大正、昭和と時代と共に高貴でなくなっていき、
庶民にも遊べるような安価な店も出てきたようですが、その分、
そこで働かされる遊女たちにとっては厳しさが増すばかりで・ ・
いずれにしても娯楽のお金欲しさに働く女性など一人もおらず、
江戸から昭和にかけて吉原三百年の永きにおよび、ある者は
病気で、折檻で、火災で、また、日々の苦しさから自らの命を
絶った女性も多く、浄閑寺には2万5千の遊女の無縁仏の記録
があるといわれますが、男尊女卑もここまでいくと家畜扱いです。