イクサの眼光は鋭かった。ものすごく険しい目で、なおかつ血走っている。生まれつきなのか寝不足のせいなのか、それとも実は泣き虫なのか。理由は分からないが、なぜだかいつも赤い目をしていたのだ。もちろん、本当の理由を尋ねることなどできはしない。なにしろ学校一のワルだったのだから。
しかしイクサは人気者でもあった。いつの時代でもおそらく同じだろうが、不良と呼ばれる連中は身体能力が優れている。イクサの場合は、特に走ることに秀でていた。運動会のリレーではアンカーとして走り、何人もを次々と抜き去った。その場にいた者全員、イクサの勇姿に拍手を送ったものだ。しかも驚くべきことに、走る時にもイクサは完全な不良スタイルだったのである。
ここで当時の不良の学生服について書いておこう。まず上着は、裾を膝ぐらいまで伸ばした「長ラン」だ。そしてズボンは、思いっきり低い位置で穿く。ベルトの部分が急所に来るぐらいの位置だろうか(自分じゃやったことがないのでイマイチ分からず)。どう考えても歩きにくいと思うのだが、それが当時の不良スタイルだったのだ。これは体操着の時も同様で、運動会でのイクサは思いっきりズボンを下げて走り、にも関わらずぶっちぎりの速さだったのだ。イクサ、おそるべし。
ちなみに女子の不良スタイルは、裾が床に届きそうなロングスカートだった。何度も「アンタ、廊下を掃除しながら歩いてんの? めっちゃ良い子じゃん」とツッコミを入れたくなったが、もちろんそんな言葉は口にしなかった。
当時のK中学は、他の中学校に比べて相当なワル集団だと思われていた。K中学では平凡だった生徒が他校へ転校したら番長になった、なんてエピソードもある(もちろん事実かどうかは不明)。中2か中3になった頃、こんなこともあった。クラスは別々だったけど割と仲が良かったA君の姿を、ちょっと前から見かけなくなった。どうしたんだろう。そのクラスの知り合いに聞くと、少年院に入れられたとのことだった。僕の前ではそんなにワルには見えなかったのに。
イクサが中3の時、僕は中1だった。僕にとってイクサは手の届かない存在であり、手を伸ばそうとも思わない存在だった。できることなら顔を合わせたくないし、無関係のままでイクサに卒業してほしい。そんな風に願っていた。
とはいえ、イクサに憧れる部分も多かった。運動会での例でも分かるように、とにかくカッコいいのだ。背が高く、目つきが鋭く、運動神経が良い。当時の不良たちの間で流行っていたことに「自転車の組体操的アクロバット走行」ってのがあった。Aがサドルに座って運転し、Bが後部の荷台に座る。BはCを肩車し、CはAの肩に手を乗せる。この状態で往来を走るのだ。これが5台も6台も続く場合は、ものすごく壮観だ。しかもCの上にもう一人が肩車で乗っていることも珍しくなかった。相当な技術と度胸が必要なワザのように思えるが、やっている連中はみんな平然とした面持ちだ。ヘラヘラと笑っている輩はいない。言葉も交わさず黙々と彼らは見事な走りっぷりを見せるのである。
この組体操的アクロバット走行の中に、いつもイクサはいた。通りは不良たちのステージであり、その中の花形スターがイクサだったのである。
当時、僕は塾に通っていた。学習塾ではあったが「進学のために云々」という雰囲気ではなく、個人経営の牧歌的な塾だった。ある日、授業が終わって帰ろうとする間際、同級生のマコトが黒板に落書きをした。「ユウジのバカ」というような他愛ない落書きだ。ユウジというのは中2では一番のワルだと噂されている奴で、イクサたちが卒業したらおそらくトップの位置を担う(って言い方もナンだが)と予想されていた男だ。しかし、このユウジのことをマコトは嫌っていた。不良グループの下っ端だったマコトは、何度かユウジに意地悪されていたらしいのだ。
中1の僕らが帰って少し経つと、中2の連中が塾へ来る。その中にユウジもいる(不良なのに塾へ通ってるってのも牧歌的だが)。ユウジは落書きを見て激怒するだろう。怒らせたら大変だて。そう言って仲間たちは落書きを消すよう誠に忠告したのだが、マコトは頑として譲らない。仕方なく僕らはマコトを残して塾を出て、いつものように近くの駄菓子屋でジュースを飲んだりしていた。マコトの奴、どうせユウジが来る直前に落書きを消すだろう。そんな風に言い合いながら。
しばらくしたら、マコトが血相を変えて店に飛び込んできた。
「みんな逃げろ! ユウジが追っかけてきた!」
僕らは大慌てで自転車にまたがり、それぞれ別々の方向へ一目散に逃げた。「別れて逃げろ!」とマコトが大声で叫んだので、それに従ったのだ。
数分後、僕は一人で暗い坂道を上っていた。周りは田んぼだ。胸がドキドキしている。息が苦しい。家とは反対の方へ来ちゃったから、そろそろ戻らなきゃ。そう思った瞬間、20メートルぐらい先に自転車の集団が走ってくるのが見えた。隠れようとしたが、遅かった。そいつらは僕に気付き、叫んだ。
「おらっ、お前、マコトか!」
<つづく>
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