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過去の記憶その2

2024-01-27 23:33:43 | 日記

過去の記憶その2です。

田舎はとにかく車社会だと思われがちですが、それはここ数十年の話であり、本当に昔は「徒歩」だったようです。祖父母の世代の人から聞いた話だと、「学校へ歩いて通った」とかお客さんを遠くから読んだとき「駅から歩てきてもらった。特に迎えに行ったわけではなく、来てもらう人が途中で人に家の場所を聞きながら来たらしい」というすごい話を聞かされます。都会のように歩いて10分程度の話ではなく、小学生くらいの子供に「10キロ以上の道を徒歩で学校へ通わせた」とか「駅から目的地の家まで10キロ以上」という話であり、今からでは到底想像できません。たまに飲みに町へ出たときは、10キロ以上歩いて帰ってきたというすごい話も聞かされたことがあります。

通勤という話が出てこないのは、「かつては主力産業が農業」であり、会社へ通勤することがあまりなかったからなのかもしれません。確かに農地は当然家の近所にあるため、遠くへ行く必要がなかったからだと思います。子供も大人も「農作業を通して体が鍛えられていた」からなのか、あるいは「歩く以外方法がなかったから」なのか、おそらく両方だとは思いますが、今では考えられません。そういえば先日書いた通り、昭和の中頃は田舎だと舗装されていない道も多かったのが、昭和50年代の後半の写真では立派に舗装されて結構車が走っています。確かに私の祖父の世代だと、車の免許を持っている人は珍しかったようで、私の祖父はどうやら免許を取ったのも車を購入したのも相当早い方だったようです。因みに新しいもの好きだったらしく、電話もテレビも近所で最初に購入したらしく、電話を借りに近所の人が来たり、テレビを見に来たりすることもあったようです。

そう考えると、今の高齢者が「かつての一気に豊かになった時代の思い出」にとらわれ、地域の集約についていけないのもわかる気はします。免今話題になっている能登半島の過疎地も同じ歴史をたどってきたのではないかと思います。自分の出身地も、駅前の一等地に空きビルビルが私の子供のころから建っており、誰もが「あの場所を使いたい」と考えてきたようですが、結局権利者が「思い入れ」を持っているらしく、結局誰も再開発ができないまま、人口減もあって駅前はもはや全く店も人通りもなくなってしまいました。昭和60年代から平成初期は私の小学生時代ですが、確かに一気にロードサイドが開発され、駅前は一気にさびれました。

よく地方都市で中心地がさびれると言われますが、おおもとの原因は「徒歩が前提になっていた貧しい時代」の中心地が、「道路が舗装されたり自動車を購入できるようになった豊かな時代」の中心地として必要とされなくなっただけかもしれません。今後地方の集約が待ったなしの重要課題になっていくと思いますが、地方出身者としては、もはや維持はできないのだから、「老若男女が移動する時代になったのだ」というプレゼンを政治や行政がする必要があると思うし、国民も「一か所にしがみつく」という発想を変えるべき時が来たと思います。

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